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【新連載】小林十市 連載エッセイ「南仏の街で、僕はバレエのことを考えた。」

小林 十市

ベジャール・バレエ・ローザンヌ(BBL)のスターダンサーとして世界中の舞台で活躍。
現在はBBL時代の同僚であった奥様のクリスティーヌ・ブランさんと一緒に、
フランスの街でバレエ教室を営んでいる小林十市さん。

バレエを教わりに通ってくる子どもたちや大人たちと日々接しながら感じること。
舞台上での人生と少し距離をおいたいま、その目に映るバレエとダンスの世界のこと。
そしていまも色褪せることのない、モーリス・ベジャールとの思い出とその作品のこと−−。

南仏オランジュの街から、十市さんご本人が言葉と写真で綴るエッセイを月1回お届けします。

オランジュの街角 撮影:Ballet Channel

***

バレエチャンネルをご覧のみなさん、元ベジャールダンサーの小林十市です!

この度は連載をする機会をいただき、僕が住んでいる南フランス、オランジュの街からいろいろなことを発信できたらと思っています。

世代交代が進んで僕の現役時代を知る人も少なくなってきているいま、ざっと簡単に自己紹介をしたいところですが、50歳にもなるといままでやってきたことを語るには長すぎるので、そうですね、まずは、10歳で小林紀子先生に師事。17歳で School of American Ballet (スクール・オブ・アメリカン・バレエ)に留学しスタンリー・ウィリアムズに師事。そして20歳の時にBejart Ballet Lausanne(ベジャール・バレエ・ローザンヌ)に入団。34歳の時に腰椎椎間板変性症と診断され現役を引退。35歳の時に翻訳家・演出家である青井陽治先生に勧められ演劇をはじめ様々な舞台経験をし、41歳の時にベジャールさんが東京バレエ団のために作った作品「M」で7年半ぶりにダンサー復帰。44歳で渡仏、在仏6年目の現在に至る。と、こういうことになっております!(笑)

なぜ、南仏なのか? 僕の妻であり、元ベジャールダンサーのクリスティーヌはフランス人で元々はリヨン出身で家族もみなリヨンに住んでいました。我々が現役時代に購入した家がオランジュから8㎞離れたセリニャン・デュ・コンタという村にあり、妻子が3年間日本に住んだ後に戻ってきた場所がリヨンではなくここだったという事です。僕はクリスティーヌがフランスへ戻ってきた4年後に合流したわけですが、それはいま14歳、当時8歳の娘に父親不在で不自由で悲しい思いをさせないためでした。

さて、フランスの滞在許可証も得てここフランスで僕ができること、それは、やはり「バレエを教える」ということでした。はじめはオランジュ市内やオランジュ近郊の教室でいくつかのクラスを受け持っていましたが、3年前にOrange Ballet School(オランジュ・バレエ・スクール)というバレエスタジオをクリスティーヌとふたりで始め、この9月からの新学期で4年目に突入です。

ここがオランジュ・バレエ・スクール! 撮影:Ballet Channel

中学生クラスでの風景

ふたりでスタジオを営むと同時に、昔一緒に舞台を踏んでいた、現在Bejart Ballet Lausanneの芸術監督であるジル・ロマンとの交友関係のおかげで、

たくさんの舞台を一緒に踏んできた戦友的な3人

6年前にはベジャール・バレエ団へ『中国の不思議な役人』の振付指導、3年前はトゥールーズのキャピトル・バレエ団に『火の鳥』の振付指導、そして2年前はクリスティーヌと一緒にサンティアゴ・チリのバレエ団へ『魔笛』の振付指導をしに行きました。そして我々の教室でもベジャールさんの作品からいくつかの群舞をスタジオの発表会で上演する許可もいただきとてもありがたいのですが、まあ、うちの生徒たちがどう感じているのか? そのありがたみが分かっているのか? ちょっとわからないですけど(汗)本当にベジャールさんの作品の一部を踊らせてもらえるなんてすごい事なのに!! って僕は思うのですが……。

さて、そんなオランジュ・バレエ・スクール、生徒はどれくらいいるのか?

ベジャールさんの作品『ライト』より抜粋を稽古中

まずオランジュという街は、人口2万9千人くらいの街で、ダンス教室はうちを含め6つ。そのうちクラシックだけやっている教室は2つで、いちばん流行っているのはヒップホップの教室で生徒が250人いるとか!? その次に流行っているのがコンテンポラリーの教室でモダンジャズとかも踊れる教室。クラシックは正直、流行りではない感じでなかなか生徒が増えてくれないのが現状です。なので「ベジャール作品踊れますよ」と宣伝しても難しいっていうのがこの辺りのベジャールさんの認知度なのかなと。

が、しかし!

オランジュにはローマ時代の遺跡がいくつか残っていて有名ですが、中でもしっかり残っているのが凱旋門とローマ劇場。1世紀に建てられたオランジュのローマ劇場は何が見どころなのかというと、舞台の後ろの壁が残っている点です。舞台の後ろの壁が残っているローマの劇場というのは、世界に3ヶ所、トルコとシリアと、ここオランジュだけなのだそうです。というわけで、もちろんユネスコの世界文化遺産になっています。そして毎年夏になると音楽祭やオペラで賑わうのですが、去年、ここのローマ劇場で20年以上公演がなかった「踊り部門」が復活し、その1回目がなんとベジャール・バレエ団だったのです!! もうこれは「偶然」という言葉だけでは済まされない「必然」で、我々のスタジオには、ゲネプロ見学や、この時上演された『魔笛』という作品のプロローグに教室の3人の生徒を参加させてもらうというこの上なくありがたいジルからのプレゼントがあり、

ベジャール・バレエ団芸術監督 ジル・ロマン

『魔笛』開演前

『魔笛』カーテンコール

ようやく少しずつ「ベジャール・バレエとは、その特典がある教室の意味とは」が浸透しつつある感じです。

オランジュ・バレエ・スクール第3回発表会終演後

本当にどこの街にもある、「習い事」のためのバレエ教室ですが、僕らなりにバレエの楽しさ、ベジャール作品の楽しさ、自分と向き合う時間、身体のコントロールと精神性、音楽の素晴らしさ、想像力の広がりなど生徒たちに感じてほしいと日々考えています。そんなスタジオでの出来事やこの南仏の地域で起こっているダンス事情などを連載していけたらと思っていますので、今後もよろしくお願い申し上げます。

2019年9月15日 小林十市

 

★次回更新は2019年10月15日(火)の予定です

この記事を書いた人 このライターの記事一覧

元ベジャール・バレエ・ローザンヌ、振付家、俳優。 10歳より小林紀子バレエシアターにてバレエを始める。17歳で渡米し、スクール・オブ・アメリカン・バレエに3年間留学。20歳でスイス・ローザンヌのベジャール・バレエ・ローザンヌに入団。以後、数々の作品で主役をはじめ主要な役を踊る。2003年に腰椎椎間板変性症のため退団。以後、世界各国のバレエ団でベジャール作品の指導を行うほか、日本バレエ協会、宝塚雪組などにも振付を行う。また舞台やテレビ、映画への出演も多数。 2022年8月、ベジャール・バレエ・ローザンヌのバレエマスターに就任。

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