Noism Company Niigata「円環」が2024年12月13日にりゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館〈劇場〉で開幕する。今回の公演は金森穣と近藤良平それぞれによる新作とレパートリー作品のトリプルビル。新潟公演に続き、12月22日には福岡のJ:COM北九州芸術劇場、2025年2月1日には滋賀県立芸術劇場びわ湖ホール、2月7日〜9日には彩の国さいたま芸術劇場と、各地を巡る。
2024年11月13日に新潟のりゅーとぴあにて記者発表が開催され、Noism国際活動部門芸術監督の井関佐和子、Noism芸術総監督の金森穣、ゲスト振付家の近藤良平(コンドルズ主宰、彩の国さいたま芸術劇場芸術監督)の3名が登壇した。
冒頭、井関佐和子監督が本公演の企画の意図、経緯について説明。2024年4月に設立20周年を迎えたNoismに相応しいプログラムをと「円環」と銘打ったトリプルビルを企画し、ゲスト振付家には2005年以来19年振りにNoismで振付を手がける近藤良平を招くことにしたという。
「夏頃に良平さんとお話ししたとき、『ダンサーはダンサーを演じることがある』とおっしゃって、本当にその通りだなと感じました。私自身もいまのメンバーも小さい頃から踊ってきて、自分はダンサーであると自覚しないままここまできてしまった。人間の本質や性格、自分は何を感じているのかということに向き合う時間がなかったんです。良平さんならその時間をみんなに与えてくれると思い、今回新作を委嘱しました。クリエーションではみんな楽しそうに笑っていますが、その中に恥ずかしさ、やったことのないことへの不安のようなものがある。有意義な時間を過ごしています」(井関)。
Noism0が出演する金森穣の新作『Suspended Garden-宙吊りの庭』は、元Noismメンバーの宮河愛一郎と中川賢がゲスト舞踊家として参加する。
「これまで、演出振付家に“舞踊家はこの人です”と伝えることはなかったけれど、今回はぜひ二人を使って作品をとお願いしました。日本では、バレエ、コンテンポラリーの舞踊家が、若いうちしか活躍できないまま舞踊人生が終わってしまうケースも多い。私たち4人(井関、山田勇気、宮河、中川)は40代。若手の育成はもちろん大事ですが、それは本人たちが舞台で生き、いままでの人生を舞台で見せるという本質的な時間があってこそできること。日本の舞踊界で40代以上の人たちがますます活動的になっていければという気持ちもこめています」(井関)。
続いて近藤良平が、自身の振付作品について説明。「きっともう(Noismには)呼ばれないだろうなと思いながら過ごしていたんですが、19年という恐ろしい月日が経っているのに、みんな居る。 “円環”というタイトルですが、本当に戻ってきた、川の流れとともにまたここに戻ってきたなと、つくづく感じております」。作品タイトルは『にんげんしかく』。モチーフとなるのは、段ボールだ。
「個人的に段ボールにはまっていまして。いろんなものを入れたり運んだり、避難するときの部屋の区画になったりと親しみがわき、段ボールと人との関わりのようなものも含めてなぜか『にんげんしかく』というタイトルに。そういえばNoismは昔『SHIKAKU』という作品を作っていますね(2004)。このタイトルは『にんげんし・かく』とも言えるし、人間が“四角”の中、フレームの中にいる感覚もあるし、見えている・いないの “視覚”の意味も。そんな言葉遊びもあります」(近藤)。
Noism1メンバーの印象は、「本当に困るくらいやる気のある人たち」と近藤。「身体に真面目に取り組む作業を日々やっている。自分が知っていた以上に、みんなやっているんです。プロフェッショナルのダンスの世界で、ちゃんと作品を見出して、作品の中に溶け込んでくれる人たちにはなかなか出会えないもの。Noism1のメンバーと時間をかけて作ることで、たくさん刺激をもらっています。今回はおそらくちょっと不思議な作品になる。みなさん、怪我せずに段ボールと格闘していただくと、いい作品になると思います」。
最後に金森穣が、自身が振付ける新作とNoismレパートリーについて述べた。まずレパートリーの『過ぎゆく時の中で』は、コロナ禍の最中に創作された作品。2021年のサラダ音楽祭で上演され、金森自身とNoism1のメンバーが踊る。
「その原点、源流にはある種のトラウマがあります。ようやくコロナ禍が明け始めたとき、外国籍のメンバーが一斉に母国へ帰りました。集団活動を標榜し、常日頃集団で切磋琢磨していても、自分の人生を揺るがすようなことが起こり、どうすべきか真摯に向き合わざるを得なくなったとき、集団と個人、どちらかを選ぶとなったら、個人を選ぶのは人間の性──と如実に突きつけてきた現実があった。コロナ禍という災害下で、集団性がいかに幻想であるかと理解したうえでなお、集団で活動する意義、互いを信じること、手を繋いで明日を見ること、その尊さみたいなものを舞台芸術として表現したい、そういう思いからこの作品は生まれています」(金森)。
また「自分とNoism1のメンバーが密になって踊る機会はこれまでほとんどなかった」という金森。「私自身(彼らと踊ることを)すごく楽しんでいます。若い世代の育成と同時に、円熟した舞踊家の力、この両輪を回していくために、50歳を迎えた舞踊家だからこそ伝えられる非言語の何かがあるだろう、一緒に空間を共有し一緒にパフォーマンスすることで届けられるものがあるだろうと期待している」と語った。
続いて新作『Suspended Garden―宙吊りの庭』について。「井関、山田、宮河、中川。この4人ほど私を知る舞踊家はこの世界にいない。彼らとでなければ生み出せないものを、あえてあまり考えすぎずに作りたい」と金森。クリエーションに4週間の期間を設けながら、作品はたった8日間でできてしまったという。
「Noism1の若い舞踊家たちや外部に振付けたりすると、私が信じる身体の使い方、私の芸術性みたいなものを教え、与え、引き出すことにものすごく時間がかかるけれど、旧知の舞踊家とでは、前段階をすっ飛ばし、その瞬間に生まれるものにスッと向き合える。クリエーションとはこういうことだと、感動を覚えました。作品は質を高めていく過程でまた次のレベルに飛躍できる。残りの時間で、みんなでその次のレベルに作品をもっていければと思っています」(金森)。
またタイトル『宙吊りの庭』は「劇場のメタファーです」と金森。「劇場と呼ばれる場所は、社会の日常的な出来事とは隔絶された、近藤良平的に言えば段ボールの中。外界から閉ざされているように見えたり、中が見えなかったりする。ただ、守られているからこそ生み出せるものもあり、日常的な時間とはちょっと違うスパンで時間が流れている、宙吊りにされたような庭。そこに舞踊家たちが再び集い、別れていく──そういう作品になると思います」。
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その後実施された質疑応答の主な内容は以下の通り。新潟の会場だけでなく、オンライン参加の記者からも数々の質問が寄せられた。
- 近藤さんは今回約20年ぶりにNoismに関わりますが、Noismや本公演への思いを聞かせてください。
- 近藤 素敵な質問ですね。思いは深く、熱いです。Noismが新潟で出発し、新潟で育ち、ここで生まれるものがある。全国を見ても似たカンパニーはない。20年やってきたものがあるということを、深く感じます。Noismがずっとダンスを続けられて、新潟だけでなく埼玉やいろんな場所で発表できるのは、ダンス界的にはすごく大きい。もしも僕が(いまではなく)あと10年後に30年振りで振付を頼まれていたとしたら、ちょっとヨボヨボでエネルギーを回せなかったかもしれない。今回いいタイミングで呼んでいただいたので、ぐっと熱く深く、やりたいなと思っています。
- 4月に設立20周年を迎え、6月に記念公演を実施。あの公演でどんな成果、収穫を得ましたか。
- 金森 作家として思うことは2つあります。その瞬間にしか生まれないものを生みたいということと、いつまでも人々に感動を届けるものを生み出したいという思い。数年、数十年経ったとき、この作品がどうだったか。そして再現されて再び感動を生むことができれば本望です。数ヵ月前は、本当に一日一日、その作品のために生きていた。観客のみなさんに全霊で届けるためにみんなで精進していた記憶しかないので、客観的に公演がどうだったかというのは、思い出しても意味がないと思ってしまいます。
井関 20周年はあくまでも「20年の時が経った」という数字でしかなく、前回はあの作品に全身全霊で向き合った、それだけです。自分たちは毎日毎日を生きているだけですが、サポーターズや観客のみなさんが20年ということをすごく大切に喜んでくださったことはとても嬉しかった。今回は「円環」として良平さんをお呼びできて、宮河と中川に関してはそれぞれ約10年というこの時期に呼べる。少し前でも少し後でも、違っただろうと思います。それがたまたま20周年イヤーだった。それぞれ大人になって、成長したかどうかは別ですが、いろんな人生の経験をして再度集まるということが重要だと思っています。
- 今回の公演は20周年の一環として行われるのか、それとも今年の9月から始まった21年目のシーズンの始まりを飾るものなのでしょうか。
- 金森 実際にシーズンは9月から始まっていますが、ただ、年度で考えればこの4月から来年の3月までがNoismの20周年。ですからこのプログラムも20周年イヤーのプログラムです。
- 21年目のシーズンの課題、向き合っているものについて教えてください。
- 金森 Noism2、1があって、0がある。多層的な舞踊家の集団を抱えているNoismが、これからの社会、現在の社会に対し、舞踊芸術の力を多角的に表現していくために重要な役割を担う、あるいは担っていると思います。若手の育成も必要で、円熟した舞踊家たちの円熟した力を、どう社会に還元していけるかということも考えなければ。若手の育成は急務の課題。同時に、まだまだ力のある人たちの力を社会に還元していく。この両輪を回していかなければいけないのはNoismだけの話でなく、この国の社会問題として認識されるべきです。舞踊、芸術家として何ができるかということを、この劇場から発信していくのが我々の使命。21年目も変わらず、より深く推進していければ。
井関 良平さん含めゲストのみなさんが戻ってきたとき、あらためてその層の深さを感じました。この数週間、年齢を重ねた人間にしか伝えられないことがあると感じています。昔の話でいえばNDT(ネザーランド・ダンス・シアター)にNDT1、2、3があって、NDT3(*)への憧れみたいなものがずっとありました。そうした感覚はいまの若い人たちにもきっとあるので、そこの強化をしていきたい。年齢が上だからNoism0、ではなく、観る方々がその層の深さを感じていただけるようなプログラムを考えていきたい。
*NDT3=ネザーランド・ダンスシアーの40歳から60歳のダンサーが在籍したカンパニー。2006年まで活動
- 井関さんが舞踊家として宮河さん・中川さんと久しぶりに一緒に踊ってみて実感していることや、彼らについて思うことを教えてください。
- 井関 舞踊家なので若い人たちや穣さんなどみんなと触れながら踊るわけですが、今回宮河や中川に触れたときにどう感じるか、すごく怖かったんです。ちょっと恥ずかしかったり、こわばってしまったりといろいろありますが、でも最初の瞬間から、あの頃と同じでした。変わらないものってあるんだなと。みんなで「白髪が! 目元のしわが!」とふざけ合っていますが、お互いの癖も変わらない。その癖に「ああ、また同じことやってるよ」って思ってしまう自分も変わらない。そこからどう深めていくかは、年齢を重ねたおかげで、お互い近寄って解決できる。これほど年月を空けて一緒に踊る人たちがこれまでいなかったので、貴重です。
- 今回、『過ぎゆく時の中で』を再演したいと考えた理由は。
- 井関 良平さんの作品では、みんなに心の部分で良平さんと旅をしてほしかった。いっぽうで、自分たちがここで積み上げてきたものを見せる機会も非常に重要。舞踊家としていろんな自分の姿を舞台上に見せられるってすごいことで、若いときはとくにそれが嬉しい。彼らの持つ多面的なところを見ていただきたいし、彼らにそれを見せてほしいという願いがあった。とてもいい作品ですし、「円環」(というコンセプト)にも合う。ゆえにこの作品を上演したいと思いました。
- 金森さんは、「『過ぎゆく時の中で』再演に際して」という文章の最後に、「時よ止まれ! 君(たち)は美しい…」と書いています。この君(たち)とは、踊り手なのか、観客なのか、それとも別の対象なのか。また、(たち)としているのはなぜなのでしょうか。
- 金森 これはゲーテの『ファウスト』の一節で、原文は複数ではなく「君は」ですが、それを用いました。対象とした「たち」が舞踊家なのか観客のみなさまなのか、あるいは形而上的な何者かという解釈は、委ねます。
- 金森さんはよく「人間とは何か」をテーマにしていますが、近藤さんにとって「舞踊」とは何でしょうか? 自身の舞踊論があれば教えてください。
- 近藤 急に大きなことを聞かれてしまいました(笑)。ダンス、舞うとか踊るとかいうことについては僕もずっと模索しているので、その回答は出ない、と思います。普段よく言っているのは、そんなに特別なことではない、ということ。時々特別なことのように見えるけれど、日常の中で、少しおどけてみたり目立ってみたり、何か儀式的になったりして、踊りが勝手に生まれている瞬間がたくさんあると思っています。踊りが非常に身近で、あまり特別視しすぎずに人間が関われたらいいなと常々思っていて、作品を作ったりみなさんとダンスの会話をしたりしている──と、舞踊に関しては思っています。
- 金森さんに質問です。『Suspended Garden―宙吊りの庭』で観客に訴えかけたいことは?
- 金森 まず『過ぎゆく時の中で』が2021年の作品ですが、コロナ過以降、時間とは何か、過ぎゆく時とは何か、その中に生きる私たちとは何か、ということに取り憑かれたように惹かれています。その系譜の中の『Suspended Garden』でもあります。自然あるいは宇宙の時間から考えれば、私たちの生の営みとは一瞬に過ぎない。この一瞬をいかに生きるかということでしか生を全うできない我々が、同時に、祖先・先人たちが生きてきた世の中の情報や思いみたいなものを、いま読んだり聞いたり受け継いだりすることができる。この人間としての不思議を、人間って何だろうということを通して作品化しているのがいまの金森穣なので、今回の作品もそういうものになります。それに輪をかけて今回は、ある種の友情、友愛、つまりある時間を共に深く過ごした者たちが、時を経て再び出会うことで生まれる“変わらないもの”、“変わらないことに対する愛”みたいなものが、作品に出ていると思います。
- 近藤さんの作品の音楽について教えてください。
- 近藤 内橋(和久)さんという、維新派などの音楽を作っているベルリンに住んでいる方の音楽を使います。前衛音楽家に入るのか、ジャズに入るのか……ダクソフォンという、ヨーロッパにしかない、世界にもそんなに数はないという楽器の、人間の声のような音が出る楽器による音楽です。あの音が、この“箱シリーズ”、シリーズではないけれど、その世界にマッチしたので。
- 『過ぎゆく時の中で』で、金森さんはNoism1のメンバーと初めて触れ合いながら踊っているとのこと。彼らと触れ合ったとき、金森さんはどんなことを感じますか。
- 金森 若い舞踊家と円熟の舞踊家。年齢でひと区切りにしているけれど、別の言葉で言うと、情報量の違いです。身体が経験してきた情報に伴って、この瞬間に発せられる情報の量が違う。だから、久しぶりに若い舞踊家とぱっと繋がりあうと「なるほど! いま、彼らの情報はこれなんだな」となる。それに対し私自身が、いまだから与えられる情報を彼らの中に流したとき、彼らの目が輝く、あるいは目が怯える、息が詰まる──。彼らと一緒に踊りながら、私自身も様々なことを体感している日々です。円熟していくと、いろいろな選択肢を考えられるがゆえに、無鉄砲になれないこともある。それが円熟の性としてある中に、彼らが限られた情報でバッと向かってくる潔さに、逆に私自身も刺激を受ける。「あ、いいな」と思いながら、という感じですね。
- 高い技術を持つNoismに作品を提供することに、近藤さんはどのような期待をしていますか。また、金森さんにはどのようなイメージを持っていますか。
- 近藤 すごく、踊れる方たちです。振付をすると、多分5秒後くらいには完璧に自分の中に取り込んで再現してくれる。僕は30秒後くらいにはその振付を忘れてしまうんですが、みなさんが「近藤さんはこうやって踊っていましたよ」と教えてくれる(笑)。それが表現としていいかどうかはまた別ですが、振り覚えがダントツ速い。そこをちょっと笑いつつ、「そんなに(振りが)入っちゃうんだねー」というところから、「どうなの?」という部分を探す、みたいなことをやっています。
穣さんに関しては、結局僕も創作者でありダンサーであり、そこの部分は共有というか、ずっとこっちもやっているっていう自覚がある。結果的に人生を背負っているんだろうなっていうことを、時々言おうかな、と最近思っています。あまり言わないけど(笑)。ここ新潟の稽古場では、ルーティーンとしてダンスや作品に向かえる環境があり、忙しいと思うけれど、ダンスに関わる一つの形としてはすごく落ち着いている。この環境にちゃんと応えながらやっていると感じます。(金森らに)これからもよろしくお願いします。
- 『Suspended Garden―宙吊りの庭』のトン・タッ・アンの音楽は録音ですか。また、具体的にどのような音楽になるのでしょう。
- 金森 録音です。どのような音楽か! 難しいですね。古典的な、楽譜に起こせるような音楽ではなく、時間軸、フレーズがはっきりしている音楽ではありませんが、とはいえメロディーがあり、情感豊かで、極めてトン・タッ・アンだな、としか言えません。が、彼はNoismと初めて仕事をした2005年以降、映画音楽などを多く作曲している。イメージするなら、時間を規定するのではなく、ふわっと外から聞こえてきた外界からの音であったり環境音であったり、あるいは匂いであったり、突然生まれる感情であったり──そういう音楽です。
- 井関さんと金森さんは、近藤さんの作品づくりを見てどう感じていますか。
- 井関 先日、入団したてのメンバーから質問がありました。「良平さんの創作をすごく楽しんでいるけれど、Noismとしての型、Noismダンサーとして壊しちゃいけない部分があるのかどうか、悩んでいる」と。私からは「そんなものはないです」と答えました。もちろん、私たちはNoismメソッド・Noismバレエという基礎を毎日やっていて、それはもう身体に組み込まれているけれど、頭で考える「Noism的な」というものは存在しません。「これがNoism的だからやる」と考えている間は、全然まだまだ。彼らには、「もしNoism的なものがあるとすれば、全身全霊でぶつかること。自分の身を投じてやり切ってみたとき、その先がきっと見えるだろうから、それをやってほしい。それが、私が感じるNoism的なもの」と伝えました。
- 金森 一見すると真逆、でしょうね。どう言えばいいのか……。たとえば山に籠っての修行を軸にした信仰もあれば、町に降りて歩きながら念仏を唱えることを軸にする信仰もあるように、舞踊も一概に「これが舞踊だ」とは言えない。ただ、それぞれが独立して互いを牽制し合うのではなく、互いに影響し合いながら、わっと融合されていく。それが人間存在そのものだと思います。ましてやこの時代、じつは「多様であること」はものすごく難しい。ある一つのことを極めつつ、それを手放す胆力を持つこと、その多様な可能性に常に身をさらすことは本当に難しい。Noismとしてはある意味、金森穣的な作品をやり続けるほうが簡単で、そこに近藤良平という、一見逆に見える芸術家を招くという井関の意思にこそ、新潟が擁するNoismという舞踊団の、ある種のオリジナリティ、社会性があるのではないかと思っています。
文:加藤智子(フリーライター)
公演情報
Noism Company Niigata
Noism0 / Noism1「円環」
⚫︎新潟公演
2024年12月13日(金) 〜15日(日)
りゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館〈劇場〉
⚫︎福岡公演
2024年12月22日(日)
J:COM 北九州芸術劇場〈中劇場〉
⚫︎滋賀公演
2025年2月1日(土)
滋賀県立芸術劇場びわ湖ホール〈中ホール〉
⚫︎埼玉公演
2025年2月7日(金)〜9日(日)
彩の国さいたま芸術劇場〈大ホール〉
【プログラム】
Noism1『にんげんしかく』
演出振付:近藤良平
Noism0『Suspended Garden-宙吊りの庭』
演出振付:金森穣
Noism0+Noism1『過ぎゆく時の中で』
演出振付:金森穣
【詳細】
NoismオフィシャルWEBサイト