モーリス・ベジャール・バレエ団「バレエ・フォー・ライフ」 ©BBL-Ilia Chkolnik
2024年9月21日(土)より開幕する、モーリス・ベジャール・バレエ団(ベジャール・バレエ・ローザンヌ、通称BBL)日本公演。3年ぶり19度目の日本ツアーとなる今回は、世界的ロックバンドQueen(クイーン)のヒットナンバーで綴るロック・バレエ『バレエ・フォー・ライフ』(Aプロ)と、モーリス・ベジャールの傑作『ボレロ』など4作品からなるプログラム(Bプロ)が上演される。
BBLでは2024年2月にジル・ロマン前監督の解任が決まり、3月より同団のトップダンサーであるジュリアン・ファヴローがその任を引き継ぐことになった。そして6月に正式に芸術監督就任が発表され、これに伴い、ファヴローはダンサーとしての活動を今年いっぱいで辞めることを表明。今回のBBL来日公演は、ファヴロー体制となって初めての日本ツアーであり、彼がダンサーとして日本の観客の前で踊る最後の公演にもなるという。
来日を目前に控えた8月27日、ファヴロー新芸術監督への共同インタビューがオンラインで行われた。
ジュリアン・ファヴロー モーリス・ベジャール・バレエ団芸術監督
- 記者1 今年2月にジル・ロマン前芸術監督の解任が発表され、ファヴローさんが後任を任された時のカンパニーの状況や、ファヴローさん自身の気持ちがどうであったかを聞かせてください。
- ファヴロー この2月に突然、ジル・ロマンが財団(ベジャール・バレエ・ローザンヌ財団、以下「財団」)から「解雇」という措置を受け、すぐに私のほうに「芸術監督を引き継ぐ」という話がきました。ただし、それは2月というシーズン半ばの出来事でしたので、まずはそのシーズンが終わるまでの暫定的な芸術監督職という提案でした。その話をいただき、私はすぐに引き受けました。というのは、とにかくそのシーズンを成功裡に終えなければいけないという気持ちが何よりも強かったからです。ジル・ロマンの解雇があまりにも急で、私たちにとってまったく予期していなかったことでしたので、当時ダンサーたちはパニックのような状態に陥っていました。そうしたパニック状態のダンサーたちを安心させ、もういちどひとつにまとめて、モーリスの作品を上演し続けていくこと。それが自分の役目なのだと、非常にリアルに実感したわけです。
- 記者1 正式に芸術監督という職務を引き受ける決断をした理由を聞かせてください。
- ファヴロー 私は17歳でこのカンパニーにやってきて、 以来モーリス・ベジャールの時代、そしてジル・ロマンの時代を生きてきました。自分はカンパニーの歴史と共にある存在なのだということ。今回の件で、それを非常に強く自覚しました。だからこの立場にある私が、 カンパニーのダンサーのみんなを安心させていく、そして見守っていくことが大切なのだと思ったのです。そして今回の体制の変化によって、何かが止まってしまうことのないように。すべてが順調に進んでいくようにというのも、強く意識したことでした。
- 記者1 ファヴローさんが考える、これからのBBLが向かうべき方向性、 芸術的なビジョンを教えてください。
- ファヴロー 3月に暫定の芸術監督という立場になってから、私自身がどのような芸術的ヴィジョンのもとカンパニーを率いていくのか、私の考えを提示するようにと財団から求められました。その内容が財団に認められ、6月、正式に芸術監督就任が発表されました。
これからカンパニーを率いていく上で、私はBBLのアイデンティティを大事にしたいと考えています。つまり、モーリスのレパートリーを守っていくということです。ベジャール作品を観るのであれば、まず観てもらいたいのはBBL。そういうカンパニーとしてのDNAを守っていきたい。ベジャール作品は世界中のバレエ団で上演されていますが、私たちBBLは(本家本元として)モーリスの作品を継承していく存在であり続けたいと考えています。
そのいっぽうで、新たな作品のクリエイションや、現代的な表現活動も積極的に行なっていきます。このカンパニーの長所をさらに強調し、いまここにいるダンサーたちの才能が引き立つような作品を考えていきたいと思います。
モーリス・ベジャール・バレエ団「だから踊ろう…!」 ©BBL-Gregory Batardon
- 記者2 先ほど、ジル・ロマン前監督が解任された時にダンサーたちがパニック状態に陥ったという話がありました。それは具体的に、何に対するパニックだったのでしょうか。人によって受け止め方はさまざまだったとしても、主にダンサーたちは何について動揺したのでしょうか?
- ファヴロー 今回の解任について、私自身は、ジル・ロマンと財団の関係がここ数年悪化していたことが原因ではないかと考えています。お互いにコミュニケーションが取りづらい状態が続いていたことが、事の背景にあったのではないかと思っています。ただ、その決定に至るまでに財団内でどんな議論があったのか等、詳細を私は知りません。ですからいま言ったことは、あくまでも私の立場からの話です。しかし事実として、ローザンヌ市と財団はジル・ロマンの解雇を決めた。そして、それを発表しました。
私たちにとって本当に寝耳に水だったこの出来事により、ダンサーたちがどのようにパニックに陥っていたのかを説明します。この決定によって、BBLじたいが存続できなくなるのではないか。自分たちの仕事がなくなってしまうのではないか。新しい芸術監督として外部から人が来るのではないか。そういった意味でのパニックが起きたということでした。そこから先の財団側の動きが非常に早かったのは、そうしたカンパニーの動揺を理解したからだと思います。すぐに私に(後任の芸術監督にという提案の)連絡があり、返事の猶予は「24時間以内」と伝えられました。
考えた末、私は2つの理由から、その提案を引き受けることに決めました。1つ目は、その提案が自分にとって正当なものだと思えたこと。 2つ目は、それが最もソフトに着陸できる方法であり、バレエ団を再びまとめるための解決法だということです。
私が暫定的に芸術監督を務めるということがすぐに発表され、ダンサーたちはとても安心してくれました。その一報を受けた時に拍手がわき起こり、結果的に退団を決意する人は一人もおらず、みんながそのままカンパニーに残ってくれました。ダンサーたちはこの新しい体制に満足してくれたのだと思いますし、私自身も満足しています。そしてモーリス・ベジャールのフィロソフィーや思想をジル・ロマンが守り続けてくれたように、私も引き継いでいきたいと考えています。
- 記者2 芸術監督になると、時に強いリーダーシップや厳しい決断を求められ、それまで“仲間”や“友達”だった団員たちとの関係性も変わらざるを得ないかと思います。その意味で難しさを感じたり、覚悟を決めたりしたことがあれば教えてください。
- ファヴロー 財団からの提案に24時間で結論を出してから、いろいろなことが猛スピードで進んでいきました。最初の数週間は確かに慣れないことが多く、落ち着く暇がありませんでしたね。というのも当時はまだシーズン半ばのツアー中で、上演していた『わが夢の都ウィーン』では私も重要な役を踊っていたのです。ダンサーとして、まず自分の踊りに集中しなくてはいけない。そのいっぽうで、芸術監督としてさまざまな仕事をしなくてはいけない。たとえばダンサーのリハーサルに立ち会わなければいけないし、照明などあらゆるスタッフたちに指示をして確認をしなければいけないわけです。仕事が一気に3倍に増えたような状態でしたから、最初の頃は慣れなくて大変でしたが、幸いなことに私は1人ではなく、エリザベット・ロスや小林十市、ドメニコ・ルヴレが一緒にいてくれるので、彼らにとても助けられました。 何よりも大事なのは、カンパニーを維持していくこと、しかも最高の状態で上演を続けていくことだと考えて、以降の舞台に私自身が立つことは止めて、自分の新しい仕事に専念するようにしました。
- 記者2 9月のBBL日本公演にはファヴローさんもダンサーとして出演し、Bプロでは『ボレロ』のメロディも踊りますね。初めて踊った頃と現在とで、『ボレロ』という作品やメロディという役に対する思いに変化はありますか?
- ファヴロー この6月にローザンヌで『ボレロ』を踊りましたが、私にとってはそれがローザンヌでの最後の『ボレロ』でした。そして9月には東京でも踊る予定ですが、それも私が日本で踊る最後の『ボレロ』ということになるでしょう。
私は2024年の終わりをもって、ダンサーという立場からは完全に身を引きたいと考えています。なぜなら芸術監督とは、非常に大きなエネルギーと時間を必要とする仕事だからです。スポンサーなどたくさんの人に会わなければいけません。スタジオでリハーサルも見なければいけないし、ビデオなどの資料もチェックしなければいけません。けれども、モーリスがやっていた仕事をジルが引き継ぎ、ここまで続けてきてくれたように、今度は私が引き継いでいくこと。それが自分の役目だと思っています。最初の数週間は難しかったけれども、だんだんうまくいくようになってきていますし、自分はこの仕事が好きだということにも気がつきました。とても楽しんでいます。願わくばカンパニーのメンバーも同じように感じてくれているといいなと思います。
『ボレロ』のメロディを初めて踊ったのは2011年。イタリア・アオスタのフェスティバルで、ジルが私に「試しに『ボレロ』を踊ってみないか」と提案してくれました。そこでうまくいけば、3ヵ月後に予定されていたパリのパレ・ド・コングレという非常に大きな会場で『ボレロ』を踊ってもらう、と。その時は本当に夢のような気持ちでした! 『ボレロ』のメロディと言えばもちろん「いつか踊りたい」と考えてきた夢の役。しかも私はフランス人ですから、パリの大きな会場で『ボレロ』を踊れるならまさに夢が叶います。そんな気持ちで、初めてのメロディをアオスタで踊ったことを覚えています。当時を振り返ってみると、私はまだ自分の踊りをうまくコントロールができていなかった気がします。けれども『ボレロ』という作品は、いつ踊っても、とても難しい作品です。歳を重ね、自分も成熟し、身体も変化してきました。それでもこの『ボレロ』という作品はどうしても御せない。人間がその作品よりも強くあるということが、とても難しいのです。作品が凄まじい力を持っていて、ダンサーはそれに従わざるを得ない。ダンサーが作品に打ち勝つことができない、そういう作品です。そしてとても魔術的で、神話的な作品でもあります。たとえ毎日200回踊ったとしても、毎回違う感覚が立ち現れます。本当に素晴らしい作品です。踊るたびに、ラヴェルの音楽とモーリスの振付が、この作品でひとつになるために、それぞれ生まれてきたのではないかとすら感じます。本当に魔法のような作品です。
ダンサーとして、日本で『ボレロ』を踊るのは、おそらくこれが最後です。ただ、私は17歳でプロのダンサーとして歩み始め、早い段階から日本のお客様の前で踊らせていただくことができました。それから約30年にわたるキャリアの円環を、自分自身で閉じることができる。とても幸福なことだと考えています。
モーリス・ベジャール・バレエ団「ボレロ」ジュリアン・ファヴロー ©BBL- Lauren Pasche
- 記者3 『バレエ・フォー・ライフ』のフレディも、ファヴローさんが10代の頃から何度も踊ってきた役。初めて踊った時のことや、歳を重ねたいまどのような変化を感じているかについて教えてください。
- ファヴロー 私がカンパニーに入団したのは、モーリスがちょうどこの作品を作っていた頃でした。そして当初フレディ役を踊っていたダンサーがその後1〜2シーズンでカンパニーを去ってしまい、モーリスが私にフレディ役を勧めてくれたのです。ただし、その時に私はこう言われました。「君はフレディ・マーキュリーと見た目がずいぶん違う」と。じつは、初演でフレディ役を踊ったダンサーは、フレディ・マーキュリーと非常に雰囲気が似ていました。ですからモーリスは「ジュリアン、君はオリジナルキャストのダンサーとは違うやり方で、この役を演じなくてはいけない」と言い、ひとつのヒントとして、「ダンサーとしてのジュリアンではなく、ロックスターとしてのジュリアンを舞台の上で見せてほしい」と話してくれました。「君はどんなロックスターになるのか?」と。
私は外見ではなく、フレディ・マーキュリーが放出するロックスターのオーラから、役にアプローチしていきました。インスピレーションになったのは、フレディの身振りやヴェルサーチの衣裳でした。また、フレディ・マーキュリー以外のロックスター、たとえばデヴィッド・ボウイやミック・ジャガーなどのイメージも自分なりに混ぜ合わせて、役を理解していきました。そうして役作りをし、踊ってきたわけですが、振り返れば最初の頃はまだ足りていないことがあったし、身体的にも突き抜けた表現ができていなかった部分もありました。それでもモーリスやジルがいつも私を助けてくれて、導いてくれました。
モーリスがどんなアドバイスをしてくれたか、いまでもよく覚えています。いろんなことをやってみる私に、「それはちょっとやりすぎだ」「そっちの方向性は良くない。別のやり方でやってみよう」「この役はずっと同じエネルギーで踊ってはいけない。感情面でもコントラストをつけて」等と言ってくれました。フレディは、優しい時もあれば、アグレッシブな時もある。さまざまな感情や感覚のパレットみたいなものを、この役を通して得られた気がします。
日本、フランス、それから南米でもたくさん踊ってきました。自分のキャリアを振り返っても非常に重要な役です。私自身も歳を重ね、フレディ・マーキュリーが亡くなった年齢に近づいてきています。今回の日本公演では、いまの自分やこれまでの経験を活かしてパフォーマンスをお見せできたらと思っています。
モーリス・ベジャール・バレエ団「バレエ・フォー・ライフ」ジュリアン・ファヴロー ©Kiyonori Hasegawa
- 記者4 12月にローザンヌで公演を観て、ファヴローさんはダンサーとしてまだまったく衰えていないと感じました。監督業が忙しいとはいえ、ダンサーを引退するという選択に未練はありませんか?
- ファヴロー 今回のことは自分にとって自然な成り行きだったと感じています。ダンサーを辞めるというのも、そのタイミングがいつなのかというだけの問題だったと言えます。というのも、じつはすでにジル・ロマンには、「そろそろダンサー引退を考えている」という相談をしていたのです。 2021年の日本ツアーのあとにアキレス腱を断裂して、1年間ほど踊れない状態でした。その時に、「いったんは舞台に復帰するけれども、そのあとは何か良いかたちでダンサーとしてのキャリアを終わりにしたい」とジルに話しました。ジルは「たとえばコーチやレペティトゥールなど、何らかのかたちでカンパニーに残ってほしい」と言ってくれていました。
ダンサーを辞めるという決断について、多くの方から「それを決断するのは難しいことでは?」と質問をされます。しかし、いまの自分にとって難しいのは、踊る身体をきちんと整えておくことです。それは相応の時間をかけなければできないこと。ダンサーとして踊るためにコンディションを整えるということが、だんだん難しくなってきています。でも、ダンサーのキャリアを30〜35歳で辞めるダンサーたちもいる中で、私はまもなく47歳になろうとしているのに、まだ踊ることができているわけです。『ボレロ』、そして『バレエ・フォー・ライフ』のフレディも、東京でも踊る予定になっています。また、ダンサーを辞めるといっても、たとえば演技中心の役などであれば、また舞台に立つということもあり得るでしょう。
モーリス・ベジャール・バレエ団「2人のためのアダージオ」エリザベット・ロス、ジュリアン・ファヴロー ©BBL-Gregory Batardon
- 記者5 芸術監督としてチャレンジしていきたいと、現時点で考えていることがあれば教えてください。
- ファヴロー これから始まる2024-2025シーズンはほぼジル・ロマン前監督が決めていたプログラムであり、その細かな調整を私が引き継ぐというかたちです。何といっても日本ツアーで始まるシーズンですから、とても素晴らしい1年になるでしょう。今回は西宮や札幌でも上演の機会をいただいています。私たちのカンパニーにとって、日本での公演は本当に特別なこと。 ダンサーたちのモチベーションもすごく上がっていて、とても楽しみにしています。
その後はスイスに戻り、モーリス・ベジャールのレパートリーに加え、ここ数年間で外部から招いた振付家に作ってもらった作品を組み合わせて上演する予定です。さらにブラジル・ツアーにも出かけて、12月にはローザンヌで12年ぶりに『バレエ・フォー・ライフ』を上演します。私が踊ってきたフレディ役を、新しい世代に引き継ぐ時が来ました。まだ発表はしていませんが、新しいフレディが誕生することになると思いますので、ぜひ楽しみにしていていただけると嬉しいです。それからドイツやスペインなど様々な場所でツアーを続けて、今シーズンの終わりとなる2025年の6月には、私が決めるプログラムが予定されています。ここで何を上演するか……現時点では、 100パーセントベジャール作品のプログラム、という企画を考えています。大きな作品をひとつ、それから小規模な作品をいくつか、という組み合わせで上演できたら。自分が踊ったことのある作品という観点で選ぶのではなくて、カンパニーにとって大事な作品や、しばらく上演されていないけれどもいまのカンパニーが踊るのに適した作品を選んでいきたいと思っています。なぜなら、私が芸術監督として心がけているのは、ベジャール作品の価値を高めていくこと、そしてダンサーの価値も高めていくことだからです。ダンサー自身が、ベジャール作品をわが物にすること。彼らが自分自身を表現できるようになること。それが大事だと考えています。
モーリス・ベジャール・バレエ団「バレエ・フォー・ライフ」より ©Kiyonori Hasegawa
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共同インタビューは約80分で終了。「最後に伝えたいこと」として、ジュリアン・ファヴロー芸術監督は以下のように締め括った。
「私のヴィジョン、ミッション、目的は、モーリス・ベジャール・バレエ団を継続させていくことです。BBLは非常に素晴らしいカンパニーであり、本当に優れたダンサーたちが揃っています。モーリス・ベジャールの作品も、他の振付家の作品も踊ることができる、素晴らしいダンサーたちです。
最後に、ベジャールの言葉を。
困難はある。変化もある。
けれども、そこにあるのは“revolution(革命)”ではなく“evolution(進化)”なのです。
Show must go on!」
公演情報
モーリス・ベジャール・バレエ団2024
日時 |
◉Aプロ:『バレエ・フォー・ライフ』
2024年9月21日(土)〜9月23日(月祝)
◉Bプロ:『ボレロ』 ほか
2024年9月27日(金)〜9月29日(日) |
会場 |
東京文化会館(上野)
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詳細・問合 |
NBS日本舞台芸術振興会 公演WEBサイト |
【他都市公演】
『バレエ・フォー・ライフ』
⚫︎西宮
2024年10月2日(水)17:00
兵庫県立芸術文化センター KOBELCO大ホール
TEL 0798-68-0255(芸術文化センターチケットオフィス)
⚫︎札幌
2024年10月6日(日)14:00
札幌文化芸術劇場hitaru
TEL 0570-00-3871(道新プレイガイド)