“Contemporary Dance Lecture for Ballet Fans”
前回のテーマ「言葉」以上に、ダンスに近い存在が「音楽(音)」である。
およそ人類の長い歴史の中では、ダンスと音楽を分けて考えること自体がなかったといえる。
それは不可分の、一体化した存在だったのだ。
ところがほんの百年ほど前、その関係を引き裂く大事件が起こった。
それ以降、ダンスと音楽の関係は、以前のように無邪気に協力し合うわけにはいかなくなった。
両者の間に横たわっている溝を「知ってしまったら、戻れない」のがアートの世界だからだ。
その事件とは何か。
その事件を超えて、いまのダンスと音楽はどんな関係を結んでいるのか。
今回はそれを見ていこう。
ダンスと音楽、その分かたれぬ関係
●アマノウズメも無音では踊らぬ
繰り返すが、人類の歴史の中で伝統舞踊と伝統音楽は一体化していて、無音で踊る伝統舞踊はほとんどない(宗教的に秘曲とされて演奏されないものも、あるにはある)。
なにより踊りとは第一に自分たちで踊るものだった。リズムに合わせて身体を動かすのは気持ちいい。その辺にあるものをチャカポコ叩くとさらに楽しい。
そういうアッパー系のものは、戦いの前や収穫後の祭り、あるいは宗教儀式(たとえば盆踊りはもともと乱交と表裏一体だった)などの要素が強い。高揚によるトランスが重要だ。
鼓動にリンクするようなリズム。本能にダイレクトに訴えかけるパーカッションが圧倒的な強さを持っている。
その縁の深さは、古事記にも出ている。
「日本初のダンスの記録」とされる天岩戸(あまのいわと)伝説がある。
素戔嗚尊(スサノオノミコト)の狼藉に衝撃を受け、天岩戸に閉じこもってしまった太陽神である天照大神(アマテラスオオミカミ)を誘い出すために宴会を行い、そこで天鈿女命(アマノウズメノミコト)が踊ったとされるダンスがある。胸をはだけて踊ったので「日本におけるストリップの元祖」とよく言われるが、それだけではない。
「天の岩屋戸に槽(うけ)伏せて踏み轟こし、神懸かりして、胸乳をかき出で」
とある。つまりアマノウズメは、木桶を伏せて、その上でステップを踏み、音を出しながら踊った。日本のタップダンスの元祖でもあるのだ。
つまりこの時代から、踊りとはただ踊るものではなく、やはり音楽(パーカッション)と不可分なものだったのだ。
天岩戸神社東本宮にある天鈿女命像。木桶の上で踊る仕様になっている
●動きが音を纏(まと)う『瀕死の白鳥』
では逆に、悲しい気持ちの時はどうか。もちろんしんみりしたパーカッションもあるが、やはりダウナー系に合うのは琵琶やバイオリンといった弦楽器や、笛などの管楽器だろう。長くたなびく音が、傷ついた心にフィットする。これらはダンスが舞台芸術として発展し、豊かな感情表現をする上で欠かせない物になっていった。
これにより「うれしい」「悲しい」という情報や説明的な役割は音楽に任せて、ダンサーはより深い心理の表現に集中できるようになる。
『瀕死の白鳥』も、曲を聴くだけで溌剌とした踊りでないことはわかる。しかしもしも曲がなかったらどうだろう。とても滑らかな腕の動きや背筋の見事さに、まずは目がいってしまうのではないか。
もちろん芝居のように「ううっ!」ともがいたり苦しんだりはしないので、やがて来る悲劇の結末を予感するには、時間がかかってしまうに違いない。
そして中盤以降も、あくまでも踊りとして美しさの連続性を維持しながら、徐々に死へと向かっていく。そこには弦の、長く途切れずに変化していく音が一体となって寄り添っていくのだ。
最期に息絶えるときはさらに難しい。
そのまま儚く消え入るように生命の炎が尽きていくのか。
あるいは生きることをあきらめない意思を示しながら果てていくのか。
いずれにしても最期の生命の葛藤を、美しくなめらかな旋律が慰撫していき、最期を迎えさせる。
このときの弦の響きは、ごく薄いヴェールとして見えてくるようだ。そして何枚も何枚も白鳥の身体に積み重なり、ダンスの鼓動を優しく眠りにつかせる。まさに奇跡のような最期を演出するのである。
―― この続きは電子書籍でお楽しみいただけます ――
※この記事ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています。