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【バレエ×日本舞踊「信長」②】岩田守弘ロングインタビュー〜これがダンサー人生最後のステージ。それはきっと、僕にとって最高の瞬間になる

阿部さや子 Sayako ABE

外国人として初めてボリショイ・バレエの第1ソリストに昇り詰め、ロシアの名門劇場で芸術監督を務めてきたバレエダンサー、岩田守弘
彼が「ダンサーとして踊るのは、これが最後」と決めた舞台が、間もなく開幕します。

2023年10月25日(水)~26日(木)に東京・浅草公会堂で開催される、バレエ×日本舞踊の舞踊劇『信長-SAMURAI-』。日本舞踊家の藤間蘭黄が作・演出・振付を手がけ、2015年の初演以来ロシアや日本で再演を繰り返してきた大ヒット作です。

戦国の魔王・織田信長を演じるのは、カリスマ的な人気を誇る大スター、ファルフ・ルジマトフ
信長に国を譲る斎藤道三と、信長の忠臣でありながら最後には主君を葬る明智光秀には、藤間蘭黄(二役)。
そして天下取りを夢見る木下藤吉郎豊臣秀吉を、外国人初のボリショイ・バレエ第1ソリストとして活躍した岩田守弘が演じます。

本番を間近に控えた10月某日、蘭黄さんとのリハーサルを終えた岩田さんに、ロシアの地で歩んできたバレエ人生のことや、今回の“ラストステージ”にかける思いなどについて聞きました。

岩田守弘(いわた・もりひろ)9歳より両親が主宰する岩田バレエスクールでバレエを始める。1990年モスクワ・バレエ・アカデミー留学。1993年モスクワ国際バレエコンクール金賞。1996年ボリショイ・バレエに外国人初のソリストとして入団し、2003年第1ソリストに昇格。2009年ロシア友好勲章受勲。2010年芸術選奨文部科学大臣賞受賞。2012〜2019年ブリヤート共和国国立劇場バレエ団芸術監督。2019〜2022年ニジニノブゴロド歌劇場副総裁兼バレエ団芸術監督。現在は日ロ両国で舞踊家、指導者、振付家として活躍。 ©️Ballet Channel

バレエは踊った瞬間に消えていく。だから最後の舞台を幸せな時間にしたい

岩田守弘さんは2015年に『信長』が初演された時から豊臣秀吉役を演じていますね。
この役がおもしろいのは、秀吉という一人の人間が作品の中で変化し、成長していくことです。まだ木下藤吉郎と名乗っていた頃の若い姿で登場して、信長に仕え、だんだん出世していき最後には天下を取る。その人生を演じるのがとても楽しいです。
『信長』はバレエと日本舞踊のコラボレーションによる舞踊劇。作・演出と日本舞踊の振付は藤間蘭黄さん、バレエパートの振付は岩田さんが手掛けたそうですね。振付においてこだわったことは?
バレエの振付というのは、そのシーンの情景が浮かび上がらないといけません。時代背景、登場人物たちの人物像や関係性、感情。それらを表現するのに適したステップを選び、音楽を大事にして振付を作りました。
自分が踊るところには、自分の得意なテクニックをできるだけ入れ込んでいます。以前はとにかくステップの数をたくさん入れて嵐のように踊っていたのですが、いまは少し振りをシンプルにしています。そのぶん、一つひとつに情熱を込めて踊りたいなと。

©️Ballet Channel

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先ほどのリハーサルを見る限り、岩田さんの踊りは「少し振りをシンプルにした」とは信じられないくらい、依然として嵐のような迫力でした……。いま音楽のお話がありましたが、『信長』は和楽器によるオリジナル曲。これまで踊ってこられた西洋の音楽とは響きやリズムが異なりますが、踊っていてどのように感じますか?
僕にとって音楽は神様で、とくにこだわるのはリズムです。リズムに合っていない踊りは大嫌いだし、自分自身も音に合わないと踊れないんですね。ところが、この日本の音楽はなかなか難しい。僕らバレエダンサーが馴染んでいる三拍子や四拍子のリズムの枠からふと外れたり、規則的なリズムが消えてメロディだけの流れになったりするんです。

でも今回はじめて蘭黄さんに教わったのですが、演奏家のみなさんは、僕たち踊り手の動きに合わせて、その場で音を増やしたり減らしたりしてくださっているそうなんですよ。すごいですよね。ならば僕は、決まったリズムにカチッと合わせようとするよりも、音楽のなかで自由に踊ってみようーーそんなふうに考えています。これは自分にとって新しいアプローチの仕方だから、すごく楽しい。これまで以上に感情が表現できるとも感じています。

バレエダンサーである岩田さんは、蘭黄さんの日本舞踊のどんなところにおもしろみや魅力を感じますか?
僕は日本舞踊をたくさん観てきたわけではありませんが、蘭黄さんの踊りには、僕がソ連時代にロシアに渡ってまで求め続けたものがあります。つまり、内面の表現です。踊り手が身体や技術を磨くことに捉われてつい忘れてしまいがちなもの、だけど絶対に忘れてはいけないもの。それを蘭黄さんの踊りは思い出させてくれます。

©️Ballet Channel

初演から8年、前回(2019年)から数えると4年ぶりの上演ですが、今回の意気込みを聞かせてください。
毎回、その時どきで精一杯踊ってきましたし、演じるたびにいろいろな発見をしてきました。作品への理解が深まるほどに「こんなふうに表現してみようかな」と遊べる部分も出てきているので、本番が待ち遠しくてたまりません。

僕は、これを自分のダンサー人生最後の舞台にするつもりです。2012年にボリショイ・バレエを退団した時に現役ダンサーとしての一線は退きましたが、今回が本当の意味での最後。だから身体はつらいけれど、心はすごく「いま」を楽しんでいます。

「これを自分のダンサー人生最後の舞台にする」。そう決めたのはなぜですか?
僕はいま53歳ですが、本当は50歳で舞台を降りるつもりでした。なぜなら僕にはプライドが高いところがあって、自分として最低限ここまではできないと嫌だ、それ以下にはなりたくないというレベルがあります。そして僕の踊りはいま、そのギリギリのラインにあると思う。もちろん、年齢やキャリアを重ねてこそ出てくるものもあります。しかし僕はバレエダンサーとして、自分が最低限と思っているラインを下回ることはどうしても許せません。舞台を去るのがつらいのではなく、舞台で満足に踊れなくなった自分が嫌なんです。

ファルフ・ルジマトフさんのように、60歳を迎えてなお踊り続けるダンサーも素晴らしいと思います。彼は若い頃から僕らの希望であり憧れでしたが、いまや技術うんぬんを超えて、真に自分の道を突き進んでいますから。それがルジマトフさんの芸術家としての人生。そして僕には僕の、芸術家としての思いがあります。僕はこの最後の舞台で、自分のプライドが許すレベルの踊り、みなさんにお見せして恥ずかしくない踊りをきちんとお見せしたい。いまはそのための稽古を一生懸命やっているところです。

本当は50歳で舞台を降りるつもりだったと。逆に言えば、この『信長』があったから、53歳まで踊り続けたということでしょうか?
その通りです。こんなことを言っていますけど、僕はやっぱり踊るのが大好きなんですよ。だからいまとても幸せです。蘭黄さんが与えてくださったこの機会を大切に噛み締めながら、毎晩スタジオで練習しています。本当に、かけがえのない時間だから。

バレエって、踊った瞬間に消えていくものじゃないですか。その一瞬を、その場にいる仲間たちやお客様と一緒に分かち合い、あとには残らない。だから今回の2公演が幸せな時間になるように、そして絶対にみなさんに楽しんでもらえるように、精一杯がんばりたいと思います。

©️Ballet Channel

ソ連の崩壊、政変、戦争……激動の時代をロシアで生きてきた

岩田さんは1990年、まだ「ソビエト連邦」だった頃のロシアに渡り、国立モスクワ・バレエ・アカデミーで約1年半学びました。海外留学が現在とは比べものにならないほど難しかった時代で、しかも行き先は崩壊間近のソ連。当時についてとくに心に残っていることは?
僕はソ連に渡る前に、東京にあったソビエト・バレエ・インスティテュートというところで2年間ほど学びました。その学校のパンフレットに「優秀な生徒はソ連留学も可能」と書いてあるのを読んだ時から、ソ連で学ぶことを夢見ていたんですね。だから実際に留学できて本当に嬉しかったし、苦労したことよりも夢中でレッスンしたことや、大切なことをたくさん教われたことのほうが、ずっと心に残っています。

留学先のモスクワ・バレエ・アカデミーでは、アレクサンドル・ボンダレンコ先生に師事しました。実を言うと、当初僕はピョートル・ペストフ先生に教わりたいと思っていたんです。ペストフ先生はウラジーミル・マラーホフやニコライ・ツィスカリーゼらを育てたことで知られるように、王子タイプのダンサーを育てるのが得意な教師。外国人であるうえに身長が低い僕は受け入れてもらえず、代わりに引き受けてくれたのがボンダレンコ先生でした。でも、いまにして思えばそれが幸運だったんですね。というのもボンダレンコ先生は技術を教えることに非常に長けていて、僕の才能を最大限に引き出してくださったから。王子タイプではないけれど、僕には僕の個性があると。他の人にはできないようなテクニックでお客様を楽しませる。そういうタイプのダンサーになる道を開いてくださいました。

ボンダレンコ先生は、具体的にはどのようにして技術指導をしてくださったのですか?
それが、すごく不思議なんですよ。例えばピルエットの稽古をするとして、先生は「真っ直ぐに立って回りなさい」といった大まかなことは言いませんでした。ただ、僕の身体に触れながら「右の肩をこうして」「ここの筋肉をこう使って」等と細かく直していく。そして「そのまま回ってみろ」と。そんなの無理、回れないに決まってる……と思いながらやってみると、くるくるくるくる……と魔法のように回れてしまうんです。

©️Ballet Channel

かつてボリショイ・バレエの来日公演で日本の観客を熱狂させた岩田さんの超高速回転や力強い跳躍の根っこには、そうした細かなご指導の積み重ねがあったわけですね。
そうですね。でももっと重要なのは、ボンダレンコ先生は細かい指導をしながら、じつは大きな本質を教えてくれていたということです。いちばん心に残っているのは、先生がよくおっしゃっていた「バレエというのは『道徳』なんだよ」という言葉。「道徳」という日本語は少しニュアンスが違うかもしれませんが、ステップであれ、手を出す動作ひとつであれ、大切なのは「何をするか」ではなく「どういうふうに行うか」なのだと。

また校長のゴロフキナ先生も、それとつながる意味のことをこうおっしゃっていました。「バレエとは踊る音楽であり、踊る彫刻であり、踊る文学です」。バレエは正しい基礎も大事だし、技術も大事だし、身体条件も大事。でもそれと同じくらい精神や考え方や生きる姿勢も大切で、すべてが調和することが重要だと。あらためて思い返すと、昔の先生は素晴らしいことをおっしゃっていたなと思います。

そのいっぽうで、ソ連崩壊前後は政情も混迷を極め、経済も困窮。食料品を求める人々が、何も商品がないお店に長蛇の列をなす様子などが日本でもよく報じられていたのを覚えています。そうした混乱期を、まだ20歳前後の若者だった岩田さんは現地で体験しました。
確かに、生活の上では不便もありました。とにかく物がなくていつも行列に並ばなくてはいけなかったし、食べ物も貧しかった。僕はモスクワのバレエ学校では寮に入っていたのですが、食堂でバナナが出てきたら「うわあ、バナナがある!」と大興奮。ある日ぶどうが入ってきた時にはもう学校じゅうで噂になって、僕も楽しみでたまらずお昼に食堂に行ったら「ぶどうは夜だから」と言われ、落胆のあまり大暴れしてしまった……なんてこともありました(笑)。

でも、僕はソ連時代が好きだったんですよね。毎日が刺激的で「ここで勉強し続けたい」と思っていたし、舞台を観るたびに感動していました。

具体的にはどのようなところに魅力を感じていたのですか?
ロシアのバレエって人間らしいと思うんですよ。一般的にロシア人ダンサーというと、身体条件から選び抜かれていて美しいとか、踊りが華やかでダイナミックだとか、そういう表面的なことを形容されることが多いですよね。僕はそれよりも、心に伝わってくるものがすごいと思う。心、魂、エネルギー。そういう人間らしい踊りに惹かれていました。

©️Ballet Channel

アカデミー卒業後は、国立ロシア・バレエ団を経て、1995年にボリショイ・バレエへ研究生として入団。96年にはソリストとなり、2003年には外国人として同団史上初めて第1ソリストに昇格。2012年のご退団までスターダンサーとして踊り続けました。
当時を振り返ってあらためて思うのは、ロシアは劇場のシステムが素晴らしいということです。レパートリーというものがあって、作品を何回も何回も繰り返し上演するから、ダンサーたちの中で役が深まっていく。その結果、作品そのものが成長していくわけです。そしてプロになっても素晴らしい先生がちゃんと指導してくださるし、観客もまた、ダンサーたちを育ててくれるんですね。劇場というものがまるでひとつの生き物というか、不思議なエネルギー交換の場になっていて、その日にどんなお客様が来るかによって舞台の質が大きく変わる。つまり、優れた舞台がそこにあるから観客は劇場に足を運び、優れた観客が来てくれるから僕らは良い舞台ができる。そういう好循環がロシアの劇場にはありました。
ボリショイ・バレエ退団後、2012年からはウラン・ウデのブリヤート国立オペラ・バレエ劇場バレエ団芸術監督、2019年からはニジニーノブゴロド国立アカデミー・オペラ・バレエ劇場バレエ団芸術監督を歴任されました。ダンサーという立場を離れ、「芸術監督」として仕事をした10年間はいかがでしたか?
劇場を任されるって、やはりすごいことだったなと思います。僕はボリショイ・バレエを退団した時は「振付家になりたい」と思っていて、ブリヤート国立オペラ・バレエ劇場からオファーをもらっても「振付活動がおあずけになるのでは……」と、正直あまり乗り気ではありませんでした。だけど、もしもモスクワにとどまり一人で振付活動をしていたら、僕はきっと頓挫していた。何しろダンサーを集めるだけでも大変だし、制作費を工面するなんてとても無理だったでしょうからね。ところが芸術監督に就任してみたら、そこにはすでにダンサーがいて、稽古場があって、リハーサルする時間も当たり前にあって、衣裳も舞台装置も照明もすべてがある。そして劇場がどのように運営されているのかーーどのように人やお金が動いて、舞台がどのように作られるのかを、内側から知ることができたのも非常に勉強になりました。

それからもうひとつ、大きな学びがありました。僕はボリショイ・バレエで踊っていた時、自分の力でその場所に立っているスーパースターだと思っていたんですよ。だけど芸術監督の立場になってわかったのは、自分は劇場によって作り上げられ、守られていた駒のひとつに過ぎなかったのだということです。言い方を変えれば、芸術監督はその采配ひとつでダンサーを育てることもダメにすることもできる。だから自分は日々頑張っているダンサーたちが最高に活躍できる場所を作ってあげたい。そう思うようになりました。

©️Ballet Channel

そして2022年、岩田さんはニジニーノブゴロド国立アカデミー・オペラ・バレエ劇場バレエ団を去り、日本に拠点を移すことを表明されました。あらためて振り返ると、ロシアの地で30年以上のキャリアを歩んできた間には、ソ連崩壊、体制の変化、今なお続く戦争などもありました。そうした体験は、岩田さんのバレエ人生や芸術に対する考え方に、何か影響をもたらしましたか?
影響はもちろんあったと思います。いちばん衝撃的だったのは、政治が変わると人間が変わってしまうのだと知ったことです。ソ連が崩壊した時、それまで正しいとされてきたことが悪になりました。あるいはつい最近までロシアのバレエやダンサーは世界中で愛されていたのに、今回の戦争が起こったとたん、嫌われ者になってしまいました。政治的な変化は、芸術界の風景まで変えてしまう。それを肌身で感じてきた経験者として、これから先の人たちに伝えていくのも自分の役目かなと思っています。

日本のバレエ教育に合うメソッドを作りたい

今後、日本ではどのような活動を?
ロシアのメソッドって、やはり素晴らしいんですよ。何が優れているかというと、教えるべきことが順序よく整理されているところです。シンプルで簡単なことから始めて、徐々に複雑になり、最終的に踊りになっていく。当たり前のようですが、これがなかなか難しいんです。身につけていく順番を間違えると、後のちの成長が止まってしまいますから。もちろん日本の中にも素晴らしい先生はたくさんいらっしゃるけれども、「順序よく教えていく」というシステムがまだ整っていないように見えます。とくに最近はコンクールのために幼いうちから難しいテクニックを身につける子がとても多いし、日本人のダンサーたちがよく「海外に留学して基礎を一から学び直した」と言うのは、そういうことを表していると思います。だから僕はまず、日本の現場にふさわしい「メソッド」を作ることをやりたい。
それは、例えば岩田さんが学んだボリショイのメソッドをそのまま伝えるということではなくて、独自のメソッドを作るということでしょうか?
もちろんボリショイやワガノワのように8年間=8段階でプログラムを学べるならそれが良いけれども、日本ではなかなか難しいでしょう。ですから僕は、5段階のプラグラム構成にしようと考えています。でも、やることはロシアの学校と同じです。順序よく学んでいって、5段階の最後まで到達したら、ロシアのバレエ学校を卒業したのと同程度の知識や技術を習得できるような道筋を作りたいと思っています。

そしてただ練習するだけでは到達度合いが見えにくいでしょうから、それを検定試験の形にしてはどうかというのが僕のアイディアです。向こうのバレエ学校でも学年末には必ず試験があって、それをパスしなければ進級はできません。それと同じように、テストを設けることによって生徒たちが明確な評価を得られ、自分の課題を見つけられるようにしたい。

なるほど、おもしろいですね。
ロシアの学校は進級試験に落ちたらそこで退学になるけれども、検定試験は何度でも挑戦できるようにするつもりです。うまくいくかどうかはわかりませんが、とにかくやってみて、不十分なところはどんどん改良していく。そうして少しでも日本のバレエの先生や生徒のみなさんのサポートになるシステムを作れたらと思っています。

©️Ballet Channel

それにしても、こうして今後のことを語る岩田さんはとても生き生きしていて、目が輝いています。私は勝手に、「人生最後の舞台」を前にすると感傷的になったりするのかな……?と想像していました。
最後の舞台で自分がどう感じるかは、その時になってみないとわかりません。でもどんな気持ちになったとしても、それは僕にとって最高の瞬間になる。いまはただ、本番までやるべきことをしっかりやるだけです。絶対にいい踊りをみなさんにお見せできるように。
最後の質問です。バレエ少年だった頃、岩田さんはどんな夢を思い描いていましたか? そしてその夢は叶いましたか?
子どもの頃はバレエ団で仕事をするなんて知識もなく、素晴らしいダンサーとは何かもわかっていませんでした。ただバレエが大好きで、人より上手くなりたかった。上手いってどういうことかも理解していなかったのに、その一心だったんですね。だから具体的な夢というのはとくになかったかもしれないけれど、ボリショイ・バレエに入ってからは、プリンシパルになりたいと思っていました。でも、その目標にはたどり着けませんでした。
だけど、それを目指して頑張っていた日々そのものが、かけがえのない時間だったな思うんですよ。つらかったことも含めて幸せだった。いいバレエ人生を送らせてもらいました。

©️Ballet Channel

公演情報

「日本舞踊の可能性」vol.5『信長―SAMURAI―』

【日時】
2023年10月25日(水)19:00、26日(木)15:00

【会場】
浅草公会堂

【演目】
第1部
藤間蘭黄 長唄『松の翁』
長唄:杵屋勝四郎・杵屋栄八郎 連中
​岩田守弘『生きる』
ファルフ・ルジマトフ『レクイエム』

第2部
『信長―SAMURAI―』
作・演出:藤間蘭黄
振付:藤間蘭黄 岩田守弘
作調・作曲:梅屋巴 中川敏裕
笛手附:鳳聲千晴
衣裳:落合宏理
照明:足立恒
美術:河内連太

【出演】
NOBUNAGA:ファルフ・ルジマトフ
秀吉:岩田守弘
道三・光秀:藤間蘭黄

演奏
鳳聲千晴(笛)
堅田喜代(小鼓)
藤舎千穂(大鼓)
梅屋巴(太鼓)
藤舎朱音(蔭囃子)
中川敏裕(十三弦)
岡崎敏優(十七弦)

ナビゲーター:桂吉坊​

【詳細・問合せ】
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