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【初来日!ヒューストン・バレエ①】ソリスト 藤原青依インタビュー〜いま、私には何ができるか。目の前の“一歩”を積み重ねて、ここまできました

阿部さや子 Sayako ABE

★2022年夏に開催された「ヒューストン・バレエ初来日記念!日本人ダンサーのスペシャルトークショー(前編)」のもようが配信中! プリンシパルの加治屋百合子さん、ソリストの藤原青依さん、デミソリストのアクリ士門さん、今シーズンから正団員の脇塚優さんが登壇。こちらの動画では、各ダンサー&ヒューストン・バレエを楽しいトークで紹介しています。あわせてぜひお楽しみください!

全米屈指の実力とレパートリーを誇るビッグカンパニー〈ヒューストン・バレエ〉が初の来日公演を開催!
2022年10月29日(土)・30日(日)の2日間、同団芸術監督のスタントン・ウェルチ演出・振付による人気演目『白鳥の湖』を上演します。

幕開きからダイナミックに繰り広げられる男性たちの群舞、女性ソリストたちの色とりどりのソロ……踊りの見どころもたっぷりでありながら、ストーリーを徹底的に重視して、ドラマとしての見ごたえにこだわっているのがウェルチ版の大きな特徴。
主役を演じるバレリーナは〈オデット〉〈オディール〉そして〈乙女〉という「一人三役」を演じ分け、王子との愛の深まりや絶望を、まるでジュリエットのようにドラマティックに踊ります。

Houston Ballet Principal Yuriko Kajiya as Odette with Artists of Houston Ballet in Stanton Welch’s Swan Lake. Photo by Amitava Sarkar (2018). Courtesy of Houston Ballet.

今回は、来日公演にも出演するソリストの藤原青依さんにロングインタビュー。
バレエを始めたきっかけから、ヒューストン・バレエの付属スクールに留学した理由、そして入団した経緯などについて、たっぷりお話を聞きました。

藤原青依 Aoi Fujiwara 大阪府生まれ。3歳よりバレエを始める。堀川美和、福谷葉子に師事。2011年、16歳でヒューストン・バレエ・アカデミー留学。2012年より2年間ヒューストン・バレエⅡで活動後、2014年ヒューストン・バレエ入団。2019年デミソリスト、2022年ソリストに昇格。 ©️Ballet Channel

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水泳とバレエ、どちらも好きだった子ども時代

藤原青依さんがバレエを始めたのは何歳の時ですか?
3歳です。私自身が「習いたい」と言ったわけではなく、母親の勧めで、家の近くのバレエ教室に通い始めました。
習ってみてどうでしたか?
自分ではあまり覚えていないのですが、幼い頃のビデオを見ると、2歳くらいの私が音楽をかけられると勝手に身体が動くという感じで、すごく楽しそうに踊っているんです。とにかく身体を動かすのが大好きな子どもでしたから、踊ることも好きだったように思います。
バレエを習っている女の子に将来の夢を聞くと「バレリーナになりたい!」と答えてくれることが多いのですが、子ども時代の青依さんはどうでしたか?
私、5歳くらいから水泳も始めまして、最初はどちらかというと水泳のほうが好きだったんですよ。当時バレエではそれほど目立つ存在じゃなかったのに、水泳は他の人よりも上手く泳げて、周りから評価されていたので。私はいまでもそうなのですが、褒めていただいたりテストや競技会などで結果がついてきたりすると、いっそうやる気が出て頑張れるタイプなんです(笑)。
そうだったのですね! でも結果的にはバレエの方向へと進んだわけですが、それはなぜだったのでしょうか?
トウシューズを履き始めたのがきっかけです。これはあまり良いこととは言えないのですが、私は小学校低学年で、周りのお姉さんたちと一緒にトウシューズを履き始めたんですね。トウシューズって最初は全然踊れないものなのに、なぜか私はいきなり立ってピルエットを1回転回れたりもして、先生に少し注目していただけて。それが嬉しくてバレエに目覚めたというか、「もっと本気でがんばってみよう」と思うようになりました。
それで、より本格的に習うために、お教室も変わったのですね?
当時はまだ水泳をやりたいという気持ちもありましたし、「本格的に」というほどではなかったかもしれません。でも、最初に習っていたお教室はすごく大人数のクラスでしたし、どちらかというと趣味でバレエを習う人が多かったので、もう少し少人数でみていただけるところを……と、堀川美和先生に教わるようになりました。
よりみっちりとレッスンするようになって、バレエへの気持ちは変わりましたか?
完全に変わりましたね。堀川先生は本当に愛情いっぱいだけど、お稽古においてはとても厳しい方で。いまは私にとってもうひとりの母親みたいな存在なのですが、子どもの頃は怖くて話せないくらいでした。でも小学校3〜4年生頃からコンクールに出るようになって、先生からいただいた注意を一生懸命復習して次のレッスンまでに直していくと、いつもは決して褒めてくださらない先生が、「少しよくなった」みたいなことを言ってくださるんです。それがすごくうれしくてもっとがんばるから、さらにどんどん上達していける。そういう好循環が生まれていたように思います。
愛情を感じていたとしても、厳しいレッスンでバレエがつらくなったりしたことはありませんでしたか?
それはありませんでした。というのも、堀川先生のお教室に通うようになってしばらくすると、バレエと水泳の時間が重なるようになってしまって、私は母の勧めもあってバレエのほうを選びました。だからもう自分にはバレエしかないと思っていましたし、その頃にはバレエが大好きにもなっていたので、やめたいとかつらいとか、そういうことは考えませんでした。

2010年、コンクールに出場した時の1枚

ヒューストン・バレエ・アカデミーに留学して

そうしてバレエに本気になっていった青依さんは、16歳でヒューストン・バレエ・アカデミーに留学します。
きっかけは、15歳の時に出場したジャパングランプリというコンクールです。ヒューストン・バレエのカンパニーのバレエミストレスが審査員としていらしていて、そこでスカラシップをいただけることになって。本当はその夏から留学の予定だったのですが、ビザの準備が間に合わなかったために1年待つことになりました。
その頃にはもう留学したいという気持ちがあったのですか?
中学生になった頃から、留学したい気持ちはありました。それまでにも短期でしたけれど海外のスクールに留学したこともありました。
最初はどこに短期留学を?
中学3年生、早生まれなので14歳で行ったABT(アメリカン・バレエ・シアター)のサマーインテンシヴが最初です。そのあと、2〜3週間のコースでハンブルク・バレエ・スクールにも行きました。
留学したいと考えたのは、プロになりたいという気持ちがあったからですか?
最初は、ただ海外留学を経験してみたいという思いでした。でも実際に短期で行って、朝から夕方までみっちりバレエを学べる環境を体験したら、「私はこういう生活がしたい」と強く思うようになって。当時は中学生で、学校の勉強も忙しくなって、バレエと両立していくのは難しいと感じていたんですね。もちろん日本でバレエも勉強もきちんと両立してがんばっている人はたくさんいますけれど、私はバレエに絞りたい、そしてプロを目指したいと。それで、長期留学を目指すようになりました。
海外留学経験のあるダンサーに「留学していちばんよかったと思うことは?」と質問すると、ほとんどの人から「一日中バレエを学べたこと」という答えが返ってきます。
そうだと思います。私の場合も、日本だと学校が終わって夜7時くらいからバレエのレッスンに行って、そのあとコンクールの練習をして……本当に夜の限られた時間しかバレエをすることができませんでした。でも海外のバレエ学校に留学すると、朝のクラスがあって、午後にはパ・ド・ドゥとかコンテンポラリーとかいろいろな授業があって。プロになるにはそういう経験も必要なのかなとも思ったし、とにかくバレエ漬けの毎日を送れることがすごくよかったです。
「プロになりたい」と思うようになったきっかけは何だったのでしょうか?
何か明確にきっかけがあったわけではありません。プロのバレエダンサーってなりたいと思ってもそう簡単になれるものではないとわかっていたので、つねに考えていたのは「いま、私には何ができるか」ということでした。遠い先のことはわからないけれど、すぐ目の前の目標なら、それをクリアするのにどのくらいの努力が必要か、自分自身でわかります。そうして一歩ずつ成長を積み重ねていくうちに、プロへの道が見えてきたという感じです。
なるほど、夢は夢として心に置いたまま、目の前に出てくる課題を一つひとつ乗り越えてきたら、いつの間にか夢の場所にたどり着いていたということですね。そういうことって確かにある気がします。
例えば子どもの頃にコンクールに挑戦し始めた頃から、私はいつもそうだったんです。最初は入賞なんて全然できなくて、それでもあきらめずにひとつずつがんばっていると、去年よりは今年、今年よりは来年……というふうに少しずつ成績が上がっていきました。ヒューストン・バレエ・アカデミーに入ってからも同じ。「クラスで一番」みたいな成績では全然なくて、自分がカンパニーに入団できる可能性があるのかどうかもわからず自信もなかったけれど、とにかく目の前のことを一つひとつ一生懸命やることで道が開けていったように思います。
先ほどの子ども時代のお話からも、藤原さんは、ひとつ課題がクリアできた、また一歩成長できたという実感がエンジンになる人だということがわかります。そのいっぽうで、やはりプロになるのは狭き門。例えば「クラスで一番ではない」という状態に焦ったり、つらくなったりしたことはなかったのでしょうか?
上手な人がうらやましいと思ったことはあります。だけど踊り方って人それぞれ違うものだし、じゃあ私の個性ってどこだろう、みんながやっていないことを自分はがんばろう、と考えていました。例えばみんなが音楽を淡々と取って踊っていたとしたら、自分は強弱をつけてみようとか。あるいはみんながどうしてもきれいに止まれないポーズがあったとしたら、そこをすごくがんばって止まれるようにするとか。一つひとつは本当に小さなことですけれど、少しずつでも自分なりのものを踊りに出していこうと。

ヒューストン・バレエ・アカデミー時代。公演が終わってみんなでパチリ!

そうやってコツコツと努力を積み重ねた藤原さんは、スクールに入って1年後の17歳で、もう次なるステップーーヒューストン・バレエのセカンドカンパニー「ヒューストン・バレエⅡ」に入団することが決まりました。
15歳でスカラシップをいただいた時には、ヒューストンがアメリカのどこにあるのかも知らないくらいでしたけれど(笑)、実際に入ってみたら、幸運なことに自分にはすごく合っていたと思います。ジャンプや回転などテクニック系が得意なほうだったのもアメリカで踊るには強みになりましたし、芸術監督のスタントン・ウェルチは瞬発力のあるダンサーが好みで、私はそういう彼のスタイルになじむことができるタイプだったというのも大きかったと思います。
自分に合うと思える場所で踊れるって、素敵なことですね。
本当にそうですね。もともと合っていたというのもありますし、ここで学ぶうちにより合うようになっていった面もあります。ありがたいことにスクール生の時からカンパニーのリハーサルに参加する機会があって、そこでプリンシパルの方たちの踊りをずっと観ていると、「このダンサーはこういうふうに踊るんだな」と特徴がわかってきたり、「あの動きがすごく素敵だから私もやってみよう」って真似してみたり、学べることがたくさんあったんですね。ヒューストン・バレエで求められるのはどういうダンサーなのか、自分なりにつかめていったというか。
セカンドカンパニー時代は、どんな毎日でしたか?
セカンドカンパニーには2年間在籍したのですが、あの頃が自分のこれまでのキャリアのなかではいちばん大変だったかもしれません……。というのも、セカンドカンパニーのメンバーはバレエ団の公演に出させていただくこともあるし、自分たちだけの公演もあるので、公演数もリハーサルも多いんですね。そして日々のスケジュールも、バレエ団は基本的に週休2日であるのに対して、セカンドカンパニーは週休1日。しかも公演が入ればそれもなくなります。朝も、バレエ団のクラスは10時からだけど、セカンドカンパニーは9時からで、その後もバレエ団とセカンドカンパニー両方のリハーサルをして……。本当にハードで、若くて体力もあったからできたことではありましたけれど、あの2年間で鍛えられたおかげでいまがあるとも思います。
聞くからにハードな2年間ですね……。しかしそれを乗り越えた藤原さんは見事ヒューストン・バレエに入団。やはり入団オーディションみたいなものもあったのでしょうか?
オーディションをあらためて受けたわけではありません。先ほどもお話ししたように、セカンドカンパニーの2年間ですでにバレエ団の公演にも出ていましたし、時には朝のクラスにも参加する機会があったので、すでにディレクターは私がどんなダンサーか充分にご存じだったと思います。ですから入団オーディション的なものはなかったのですが、逆に言えば、セカンドカンパニー時代は「この毎日がオーディションなんだ」という意識で日々のクラスやリハーサルに臨んでいました。

ヒューストン・バレエ入団、そしてこれからのこと

そうして2014年にまずはアパレンティス(研修生)として入団し、1年後の2015年に正団員、さらに4年後の2019年にはデミソリスト、そして2022年ソリストに昇格。順調にキャリアを重ねているように見えますが、ここまでを振り返って思うことは?
入団以来いろいろな作品に挑戦させていただけて、年々大きな役も任せていただけるようになって、本当に幸せなことだなと思っています。ただ、最初からいい役をもらえたわけでは決してありませんし、やっぱり私は「一番」ではないんです。スクール時代と同じように、とにかくその時に与えられたものに対して全力で取り組んで、少しいい役をいただけたら絶対に期待に応えていく。それを積み重ねるうちに、だんだんキャスティングされる内容が変わっていったーー私にとってはそんな8年間でした。

もうひとつ大きかったと思うのは、配役されていたダンサーがケガをして、本番当日に「今夜踊ってほしい」と急遽代役を任された時。私はもともとあまり緊張しないのですが、ピンチになるといっそう緊張しないというか、「やるしかない」と腹が据わるタイプなんですね。急な事態が起こった時に任された役割をきちんと果たせることはすごく重要で、そういう局面を何度か乗り越えるたびに、周りから認められていった面もあるように思います。

ヒューストン・バレエ『白鳥の湖』より、ハンガリーの王女を踊る藤原青依さん Houston Ballet Soloist Aoi Fujiwara as Princess of Hungary and First Soloist Christopher Coomer as the Hungarian Ambassador with Artists of Houston Ballet in Stanton Welch’s Swan Lake. Photo by Lawrence Elizabeth Knox (2022). Courtesy of Houston Ballet.

配役されていたダンサーのケガは心配なことですけれど、代役のダンサーにとってはそれが重要なチャンスになるという話はよく聞きます。突然訪れるそうした機会でしっかり結果を出すために、日頃から心がけていることはありますか?
そこは、私も含めて「真面目」「勤勉」と言われる日本人ダンサーの強みを生かせるところかもしれません。これは最近のことですけれど、このコロナ禍で、私たちのバレエ団でもクラスターが発生したことがあったんですね。その時リハーサルしていた作品に私は配役されていなくて、アンダースタディだったのですが、毎日のように感染者が出て、昨日はあそこ、今日はここ……と、日々どこかしらに欠員が出る事態に陥ってしまって。それで私ともう1人の日本人ダンサーである福田有美子さんは、自分が代役に入っているパートだけでなく、他のパートも覚えるようにしました。そうしたらリハーサル指導の先生に「あなたたちってコンピューターみたい! 振付を覚えるのが本当に早いし、何があってもいつでも代役に入ってもらえる」と言っていただけて。与えられた仕事だけをやるのではなく、自分で周りの状況をよく見て、いつ何があっても大丈夫なようにスタンバイしておくこと。そうやって信頼される存在になっておくことは、とても大事なのではないかと思います。
素晴らしいですね……! 逆に、ここまでに大きな壁にぶつかったことはありますか?
これを「壁」というのかはわからないのですが……研修生として入団して1ヵ月後に、ある舞台でソロをいただいた時のこと。じつはその時に脚をケガしていて、強い痛みを抱えていたのに、ソロを踊れるのが嬉しくて、無理して踊ってしまったんです。でも、それによって痛みがさらに悪化してしまい、とうとう踊れなくなって、結果的に4ヵ月間も舞台から離れることになってしまいました。その時にウェルチ監督から言われたのは、こういう言葉でした。「こんなにケガの状態がひどいということは、もともと激しい痛みがあったはず。それを隠して舞台に立とうとするのは、プロとして信頼を失うことだ」。

当時はまだアパレンティスで、次の年に正団員としての契約をもらえるかどうかという大事な時に、自分は信頼を失ってしまったーー本当に落ち込みましたけれど、プロとして踊るってそういうことなんだと、ハッとさせられた機会でもありました。

入団以来、自分にとって転機になったと思う作品や役はありますか?
先ほど本番当日に急遽代役を務めたお話をしましたが、まさにその時に踊った、ジャスティン・ペック振付『リフレクションズ』という作品です。それはニューヨーク公演の時のことで、開演2時間後になって「今日はもう大丈夫そうだから」と食事に出たところで劇場に呼び戻され、すぐに舞台に立った……という意味でも思い出深いのですが、何よりも私にとって本当に楽しく踊れた作品だったんです。全体で20分ほどの作品で、私が任されたのはそのパ・ド・ドゥ(アダージオ)の部分。以前はどちらかと言えばジャンプや回転をたくさん見せるテクニカルな踊りや、タタタタタ!と機敏に動く踊りにキャスティングされることが多かったのに、しっとりとしたアダージオを踊ってみたら、意外にもいまの自分にはよりしっくりくる気がしました。自分にはそういう持ち味もあるのだと気づけたことも、すごく嬉しかったです。

バレエ団でのリハーサル中のひとコマ

これからの目標は?
バレエダンサーは長くできる仕事ではないので、身体作りにはよりいっそう努力していきたいです。以前、プリンシパルの加治屋百合子さんが「私はいまでも年々身体の状態がよくなってきている」とおっしゃっていて、驚いたんです。キャリアを重ねればどうしてもフィジカルは下がっていくのだと思っていたので。でも、それは百合子さんが人一倍真摯に努力を続けてきたからこそのこと。私も心身をもっと鍛錬して、経験もたくさん積んで、どんな役がきても演じられるダンサーになっておきたいと思っています。
最後に、バレエが藤原さんに与えてくれた宝物とは何でしょうか?
これが答えになるのかはわかりませんけれど、私は周りの人たちに、よくこう言われるんです。「青依は表情がくるくる変わるね。表情がゆたかだね」って。そういう自分の性格や個性そのものを作ってくれたのが、バレエなのではないかという気がします。

ヒューストン・バレエ『くるみ割り人形』より、クララを踊る藤原青依さん Houston Ballet Soloist Aoi Fujiwara as Clara in Stanton Welch’s The Nutcracker. Photo by Lawrence Elizabeth Knox (2021). Courtesy of Houston Ballet.

公演情報

ヒューストン・バレエ『白鳥の湖』

日程

2022年

10月29日(土)12:00開演 ベッケイン・シスク&チェイス・オコーネル

10月29日(土)17:00開演 加治屋百合子&コナー・ウォルシュ

10月30日(日)12:00開演 サラ・レイン&吉山シャール ルイ・アンドレ

10月30日(日)17:00開演 加治屋百合子&コナー・ウォルシュ

会場 東京文化会館 大ホール
詳細 光藍社WEBサイト

 

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