ウィーン国立バレエ専属ピアニストとして、バレエダンサーを音楽の力で支えている滝澤志野さん。
彼女は日々の稽古場で、どんな思いを込め、どんな音楽を奏でているのでしょうか。
“バレエピアニスト”というプロフェッショナルから見たヨーロッパのバレエやダンサーの“いま”について、志野さん自身の言葉で綴っていただく月1連載。
日記の最後には、志野さんがバレエ団で弾いている曲の中から“今月の1曲”を選び、バレエチャンネルをご覧のみなさんのためだけに演奏した動画も掲載します。
美しいピアノの音色とともに、ぜひお楽しみください。
2020年が終わります
2020年が終わりを告げようとしている。世界のほぼすべての人が翻弄されたであろう、この稀有な年が終わる。みなさま、どのようにして2020年を乗り越えていらっしゃいましたか。
私にとっては、3月の突然の公演中止に端を発し、劇場封鎖、国境封鎖、街のロックダウン、オンラインレッスンの開始、ルグリディレクションとの別れと出会い、自分自身の初リサイタルの中止、秋冬の歌劇場公演中止……と例に漏れず、起伏の激しい一年でした。その一方で、オンラインで繋がれたことで、新しい出逢いもありました。ぽっかりと空いた時間のなかで、自分は何をして誰とどう生きたいのかを考えた年でもありました。
先月の音楽日記で書いたように、ウィーン国立歌劇場では11月3日から再び公演が中止され、予定では1月8日まで再開されません。それに伴い、新作バレエを無観客オンライン(インターネットとテレビ放映)公演として12月4日に上演することになったのです。11月上旬にバレエ団でコロナ感染者が続出してしまってからの道のりは、決して簡単なものではなく、多くの団員が自宅待機になるなか、残された者は毎日検査を受けてなんとか稽古を続けてきました。私は幸い、陽性にも濃厚接触者にもならず、ひたすら毎日検査を受けながら、人に会わず、稽古だけをこなす日々を送っていました。もう数えていないけれど、これまでに50回以上の検査を受けているでしょうか。
劇場のホワイエで毎朝検査を受ける。
無観客オンライン公演、静寂のバレエで演奏
さて、12月4日のプレミア公演。私は、ハンス・ファン・マーネン振付『LIVE』という作品を演奏しました。リストのピアノ小品を8曲。ダンサー2人とビデオグラファー、ピアニストの計4名で上演されるこの作品は、コロナ禍におあつらえむきの演目だったかもしれません。ビデオグラファーが舞台上でダンサーを撮影し、その映像がスクリーンに同時に映し出されます。ロビーや劇場の外まで移動して踊るのですが、観客はオケピでのピアノ生演奏を聴きながらスクリーンで鑑賞するという構成になっています(私はモニターでダンサーを見ながら弾きます)。1979年に作られたこの作品、当時はかなり斬新な演目だったのではないでしょうか。このような実験的な作品が40年以上受け継がれているのはやはり凄い。ちなみに、今回出演されたビデオグラファーはファン・マーネン氏の盟友で、初演以来ずっと出演されているそうです! これは彼のために作られた作品なのではないかと、私は密かに妄想しています……。
「LIVE」 ©️Ashley Taylor
ファン・マーネンの作品は、9月から10月にかけて『アダージョ・ハンマークラヴィーア』で弾いており、その時彼のスタイルを学んだのですが、崇高の極みであるベートーヴェンのピアノソナタに比べると、リストの曲は私にとっては親しみ深いもの(『マイヤリング』や『マルグリットとアルマン』等でもおなじみ)だったので、今回は割とすんなりと作品世界に入ることができて。(音楽日記を読んでくださっている方にはバレていると思いますが、私は何に関しても小さなことで深く落ち込み、数ヵ月浮上できないこともザラな人生を送っています……)とにかく一日一日を乗り切り、12月4日を迎える……。粛々とした思いで過ごしてきた数ヵ月。
永遠に続くものなんてない
じつは、9月に替わった新ディレクションの方針で、今後、公演でのソロ演奏の機会が減ってしまいそうなのです。ピアノだけでなくソロヴァイオリンやチェロ等も、オペラ座が誇る音楽家たちではなく、外部の方が演奏する機会が増えるらしく……寂しいことです。
それでも、『アダージョ・ハンマークラヴィーア』も『LIVE』も弾かせていただき、棚ぼた的に放映までされて、私は恵まれていると思います。だけど、永遠に続くものなんてない。安泰なんて一生ないのだ、と自分に言い聞かせます。
公演前日に初雪が降りました。凍った王宮庭園の池が美しく。
迎えたオンライン公演。客席の各扉は施錠され、スタッフしか立ち入りは許されません。
事前にカメラワークを説明され、どのタイミングでどのカメラを見るか、ということまで指定されました。演奏より動揺する!
ピアニストにもヘアメイクがつけられます。
本番当日。愛するオケピからの眺め。
そして始まった本番。静寂のなか、ダンサーと心を重ね、時を紡いでいきます。
このオケピで、たくさんの経験をし、たくさんの糧をいただいてきました。私のホーム。
その後の『LIVE』公演は中止になってしまい、この公演が、私の今シーズン最初で最後の国立歌劇場での演奏になりました。明日のことは分からないし、安定志向も持っていないので、もしかするとこれがここで演奏する最後の公演になるかもしれない。そんな気持ちもよぎりました。将来のことは何も決めていない。でも、人生はいつだって一期一会なのだ。
カーテンコールで舞台袖から見た、ダンサーたちが静寂のなかお辞儀している光景、それはまるで時が止まっているかのような、美しい美しいものでした。ただ光のなかに存在していて。私もその光のなかに呼ばれ、画面の向こうのお客様にご挨拶しました。
カーテンコール
こうして、私の2020年の大仕事は終わりました。今は1月に上演予定の『リーズの結婚』の稽古を弾いています。コロナ検査はさしあたって週2回に減り、心の平安が戻ってきました。
『Mahler Live』公演は、欧州在住の方は、こちらのリンクから今月いっぱい見られます。
今月の1曲
『LIVE』からリストのピアノ曲をと思っていたのですが、気が変わりました! 夏に東京で収録した珠玉のチャイコフスキーの音楽から『くるみ割り人形』の「花のワルツ」をお届けしたいと思います(※収録したチャイコフスキーのレッスンCDは来春発売予定です)。この季節にぴったりで、来たる2021年に向けて希望と輝きに満ちたハッピーな音楽で〆たいと思い直したのです。ウィーンに来てヌレエフ版の『くるみ』担当になり、ずっとリハもチェレスタも全公演弾いてきました。この曲は、毎回「金平糖」を弾く直前にキラキラした音の洪水を浴びたことを思い出させてくれます。
2021年はどんな年になるでしょう。たとえ世の中が安定しなくても、心は豊かに、人とあたたかくつながり合えるよう、そんな自分でいられるよう祈りつつ。
どうぞ良いお年をお迎えください。
2020年12月20日 滝澤志野
★次回更新は2021年1月20日(水)の予定です
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ウィーン国立バレエ専属ピアニスト 滝澤志野
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