鑑賞ファンにも、バレエ留学を志す若いダンサーたちにも、圧倒的に人気のある国ーー英国。
現地で話題の公演や、街の人々の”バレエ事情”などについて、ロンドン在住の舞踊ライター・實川絢子さんに月1回レポートしていただきます。
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イングリッシュ・ナショナル・バレエ エマージングダンサーアワード2020
9月22日、イングリッシュ・ナショナル・バレエ(ENB)による毎年恒例のエマージングダンサーアワードがバレエ団の本拠地で開催され、その様子がライブストリーミング配信された。ENBにとっては、1月の創立70周年記念ガラ以来、約8ヵ月ぶりのライブパフォーマンスとなる。
エマージングダンサーアワード2020のファイナリストたち ©Laurent Liotardo
エマージングダンサーアワードは、例年初夏に行われるENBの若手ダンサーのための団内コンクールで、ENBのカンパニーの特徴を最もよく表しているイベントのひとつ。タマラ・ロホは芸術監督就任時から、「バレエ団内部でアーティストを育成し、スターを生み出すこと」を目標のひとつに掲げ、今年で11年目となるこのイベントにもとくに注力してきた。
バレエ団の同僚ダンサーにノミネートされたファイナリストは、プロとしてのキャリアがまだ浅い、コール・ド・バレエを踊るダンサーたち。そんな彼らが、ふだんは踊る機会のないグラン・パ・ド・ドゥや自分たちのために振付けられたコンテンポラリーの新作を踊る。そして、バレエ団内のベテランダンサーがコーチングを担当する点も、このコンクールのユニークなところだ。インタビューでENBのダンサーがしばしば口にする、バレエ団の「家族のような」雰囲気は、カンパニー一丸となって新人を育てていこうという、こうした試みの影響もあるのかもしれない。
今年のファイナリスト6人は、国際色豊かなバレエ団を反映するように、バックグラウンドもスタイルも様々なダンサーが集まった。男女ペアになって、それぞれクラシックとコンテンポラリーの2作品を踊る。
優勝したのは、メキシコ国籍でモナコの名門校プリンセス・グレース・アカデミーで学んだ入団3年目のイヴァナ・ブエノ。ウィリアム・山田と組んで踊った『タリスマン』のパ・ド・ドゥでは、確固たるテクニックとしなやかな肢体が可能にする、のびのびとした詩情あふれる踊りで確かなカリスマ性を感じさせた。コンテンポラリーでは一転、バレエ・ブラックの振付家ムススゼリ・ノーベンバーが振付けた『フルアウト』で遊び心あふれる一面を見せて観客を魅了。ピンと張り詰めた糸のように緊張感あふれる高いア・ラ・スゴンドとラフでカジュアルな佇まいのメリハリの効いた対比や、さまざまに変化するリズムと戯れるような踊りが印象的で、何よりも彼女自身の踊る喜びが伝わってきた。スケールの大きな踊りで多彩な表情を見せてくれた彼女がソリストとして活躍する日もそう遠くないだろう。
優勝したイヴァナ・ブエノ「タリスマン」©︎Laurent Liotardo
イヴァナ・ブエノ、ウィリアム・山田「フルアウト」
観客が投票で選ぶピープルズ・チョイス賞を受賞したのは、フランス出身のヴィクトール・プリジャン。アクリ・堀本バレエアカデミー出身の鈴木絵美里と組み、『サタネラ』のパ・ド・ドゥと、スティナ・クアジバー振付『ホロウ』を踊った。とくに後者での、何かに取り憑かれたような女を追い求める男の鬼気迫る表情と成熟したパフォーマンスが印象的。クラシック部門ではやや精彩に欠いた部分があったものの、クリーンで美しいラインが際立つ華やかな鈴木を引きたてる堅実なパートナリングで健闘し、万能に踊れるダンサーとしてこれから活躍していきそうだ。
ヴィクトール・プリジャン(ピープルズ・チョイス賞)、鈴木絵美里「サタネラ」
ヴィクトール・プリジャン、鈴木絵美里「ホロウ」
ブラジル出身のカロリン・ガルヴァオとパラグアイ出身のミゲル・アンヘル・マイダナ組は、躍動感あふれる踊りと若々しいエネルギーでフレッシュな魅力に満ちたペア。とくにマイダナの『ダイアナとアクティオン』でのダイナミックなジャンプは目を見張るものがあった。
カロリン・ガルヴァオ、ミゲル・アンヘル・マイダナ「ダイアナとアクティオン」
ミゲル・アンヘル・マイダナ「both of two」©︎Laurent Liotardo
そして、エマージングダンサーアワードで忘れてはいけないのが、タマラ・ロホが4年前に創設したコール・ド・バレエ賞だ。オンステージ、オフステージ共にバレエ団に貢献する活躍をみせたコール・ド・バレエダンサーを表彰するもので、今年は入団4年目となる南アフリカ出身のクレア・バレットが選ばれた。バレエ団はコール・ド・バレエがあってこそ成りたつものであり、皆にスポットライトをあてて団員のモチベーションを上げていこうというバレエ団の気概が伝わってくる。
毎年、エマージングダンサーで優勝したダンサーたちは、その後ソロなどに配役されて順調に昇進していく、未来のソリストやプリンシパル候補と言われている。実際、昨年の優勝者ジュリア・コンウェイは受賞後ファースト・アーティストに昇進、昨年の『くるみ割り人形」でクララ/金平糖の精でデビューを果たしているし、2017年度の優勝者である金原里奈も、翌2018年にソリストに昇進して活躍している。今年のファイナリストたちの今後にも、是非注目していきたい。
ちなみに、4ヵ月遅れで開催された今年のエマージングダンサーアワードは、あらゆる意味で例年とは様子が違った。ENB内のキャリアディベロップメントプログラムで未来のダンス界のリーダーとなるべく研修中のファースト・ソリスト、ジェームズ・ストリーターがプロデュースした今年の公演は、まずは新型コロナ感染防⽌のための厳格なガイドラインに則ることが最重要課題。一般客は入れず、ステージとは別階で演奏したオーケストラや、エドワード・ワトソンやナタリア・オシポワを含む豪華審査員陣も皆マスクをつけて2メートルの対人距離を保っていた。受賞式でも、受賞者自らテーブル上に置かれたクリスタルガラスの盾を取りに行く形式で、おなじみのハグや握手も一切ない。
そして何より出場したファイナリストたちも、約3ヵ月続いたロックダウンの間自宅で満足なトレーニングができず、決して万全なコンディションとはいえない状態だったはずだ。そんな彼らが、モチベーションを保ち続け、今日の舞台に立てたことだけでも、今年のエマージングダンサーアワードは例年以上の意味を持っている。授賞式では、いつもは冷静なタマラ・ロホ芸術監督が感極まった様子で「今年は皆にとって、とても厳しい年でした。そんななかで徹底的にコミットし、歩むのをやめることなくロックダウンの間も進化し続けたダンサーたちを、心から誇りに思います」と語る姿が印象的だった。
【Column】DistDancingーー警察官介入・公演中止騒動とその後
前回・前々回の記事で紹介した、ロイヤル・バレエの桂千理とヴァレンティノ・ズケッティがプロデュースするDistDancingだが、8月最終週の公演中に警察官が介入し、公演がやむなく中止されるという事態に発展した。公演の会場であるホクストン・ドックスを所有する会社の経営者であるラッセル・グレイによれば、6台のトラックで会場に入ってきた警察官たちは「新型コロナ感染防⽌のための規制」として関係者を逮捕すると脅し、音源を止めたために公演は継続不可能に。関係者たちが具体的にどの条項に違反していたかを尋ねたところ、警察側からは明確な回答を得られなかったという。
前回のインタビューにもあったように、舞台上、舞台裏、観客間と、あれほどまでにソーシャルディスタンシングを徹底し、パフォーマンスの場を求めていたダンサーたち、そしてライブアートを渇望していた人々に希望の光を与えたプロジェクトが、なぜそのような人権の侵害ともとれる扱いを受けなければならないのかーー。DistDancingの呼びかけに応じ、多数のアートやダンスを愛する人々が、会場のあるロンドン市ハックニー行政区宛に活動を支持する旨メールを送った。
結果、英国だけでなく日本をはじめとする海外からもサポート表明が数多く集まり(※)、9月半ばにDistDancingの活動は再開が許可されることに。1日3回決められていた時間に開催されていたパフォーマンスは、今回のような事態を避けるため、スケジュールなしの突発的なパフォーマンスに変更された。
ただし、DistDancingの活動は再開されたものの、まだすべての問題が解決したわけではない。
8月中旬、アートと建築における創造活動を支援するプロジェクトAntepavilionの一環として、建築家ジェイミー・ショーテンによる5匹のサメのインスタレーション「Shark!」がDistDancingの舞台のあるホクストン・ドックスに登場。それをハックニー行政区が「公共の安全にリスクをもたらし、近隣住民および設備に悪影響を及ぼし、保存地区の景観を損ねるもの」として問題視し、同会場のすべてのインスタレーション(DistDancing含む)の解体命令に発展した。
9月中旬、このハックニー行政区による解体命令の根拠と、DistDancingの公演に警察が介入し公演が中止された理由、そして両者の関連性について、ハックニー行政区に問い合わせたところ、「我々は報告されたすべての建築許可違反を調査する必要があります。公共の利益のために、不正な開発が行われた場合は引き続きしかるべき行動をとっていきます」との回答があった。さらに9月下旬、会場があるハックニー・ハガストン地区の区議会員のオフィスからは、「ハックニー行政区は、8月30日のDistDancingの公演妨害に一切関与しておらず、対処の方法は警察側の問題なのでこれ以上答えられない」との回答を得た。現在ハックニー行政区と警察の両方に対して、実際にどのような違反報告・苦情があったのか情報開示を請求しているが、9月30日現在、実際DistDancingの活動のどこに問題があったのか、なぜあのような形で公演が中止されなければならなかったのかについては明確な回答を得られていない。
ハックニーといえば、以前は治安の悪さで悪名高いエリアだったが、近年アーティストやデザイナーのギャラリーやアトリエが数多くでき、個性的で感度の高い若者やアーティストが多く住むようになった。街にはストリートアートが溢れ、現在ではクリエイティブなイメージが定着している。そのような創造的なエネルギーにあふれる街だからこそ、今回の騒動に衝撃を受けた人は少なくなかった。
「ロンドンは、人々が自由に自己表現できる街であり、若者たちが変革をおこすことのできる街です。建築やパフォーミングアートを通じた人々のつながりを奨励する、インスピレーションにあふれる場所であるべきです。なかでもハックニーは、そんな革新的な建築と創造活動の最前線にあるべき地区であり、ロンドン中心部のごく一部にのみあてはまるような保守的な建築制限に縛られるべきではありません」ーーAntepavilion
(※)反響の大きさにメールの受付も10月8日まで延長された。Antepavilion及びDistDancingの活動をサポートするメールのテンプレートはこちら。
〈2020/10/02 追記〉コラムの一部を修正しました