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話題の振付家「ノエ・スーリエ」とは?!ダンサー船矢祐美子さんに聞く、ユニークすぎる動きのことや来日公演『The Waves』のこと。

阿部さや子 Sayako ABE

ノエ・スーリエ『The Waves』 © José Caldeira

いまヨーロッパのダンス界で熱い注目を集める振付家、ノエ・スーリエ。1987年フランス・パリに生まれ、国立コンセルヴァトワールやベルギーのP.A.R.T.S. でダンスを学ぶと同時に、ソルボンヌ大学で哲学の修士号を取得したという異能の持ち主。2020年からはアンジェ国立現代舞踊センターのディレクターを務めている、気鋭のコレオグラファーです。

そのスーリエの作品が、2024年3月〜4月に彩の国さいたま芸術劇場とロームシアター京都で上演されます。タイトルは『The Waves』。イギリスの作家ヴァージニア・ウルフの実験的な小説『The Waves(波)』の一節が語られるなか、6人のパフォーマーが緻密に重ねていく多様な動きと、現代音楽アンサンブル・イクトゥスによる打楽器の生演奏とが呼応し合う、濃密な60分です。

……と、この春大注目の公演ではあるものの、
「ノエ・スーリエという名前を聞くのは初めて……」
「名前は聞いたことあるけど作品は知らない……」
という人も多いのではないでしょうか?

そこで今回は、ノエ・スーリエ作品に2014年から参加している日本人ダンサーの船矢祐美子さんに、スーリエの振付家としての個性や作品の特徴について教えてもらいました。
船矢さん自身のユニークなダンス人生のお話も、合わせてどうぞ!

船矢祐美子(ふなや・ゆみこ)東京都出身、ベルギー在住ダンサー/パフォーマー。日本女子体育大学舞踊学専攻を経て、2004年よりP.A.R.T.S.(Performing Arts Research and Training Studios/School for contemporary dance) にてダンスを学ぶ。2008年よりNeedcompanyに6年在籍後、フリーランスダンサーとしてダニエル・リネハン、Alexandra Bachzetsis、Abattoir Fermé、Grace Schwindt、針生康(SHSH)、Cie Shonen/Eric Minh Cuong Castaingの作品に参加。モデルや役者としても活動している。 ©︎Takao Iwasawa

「おとなしくプリエできなかった」少女が、ベルギーでダンサーになるまで。

船矢祐美子さん、今日はノエ・スーリエという振付家や作品の特徴について、「基本のき」から教えてください! まずはご自身のお話から。船矢さんは何歳から、どんなダンスを始めたのですか?

船矢 ダンスとの出会いは4歳の時。「幼いうちから何か身体を動かすことを」と、母がクラシック・バレエの教室に連れて行ってくれたのが始まりです。でも私、じっとしているのがとにかく苦手な子どもで。バー・レッスンではいつも「どうしてみんな、おとなしくプリエしていられるの? 私は早くセンターで跳んだり回ったりしたいのに!」と思っていましたし、先生にも「落ち着きがない!」と叱られてばかりでした。

さっそく個性的なエピソードが(笑)。でも実際には船矢さんも先生もお互いに大変だったでしょうね?
船矢 そうなんです。私がお稽古の場を乱してしまうので、先生と母が話し合い、「もしかしたらバレエより他のダンスのほうがいいかもしれない」ということになったそうです。それでいったんバレエは辞めてしまいました。
それで、「他のダンス」として選んだのは?
船矢 モダンダンスです。近所のお友達の誘いで飯塚モダンダンススタジオ(*)という教室に通い始めたのですが、そこがとてもユニークで。生徒たちをコンクールに出したり厳しく指導したりせず、自分たちのやりたいことや創りたいものに、のびのび自由に取り組ませる。それが先生たちの信念でした。ふだんのお稽古はしっかりやるけれど、時にはみんなで公園に行って追っかけっこをして遊んだり、近隣のお教室とコラボレーションして作品を創ったり。それが私の性に合っていたようで、結局8歳くらいから20歳で日本を出るまで、ずっとその教室でレッスンを受けていました。

*2020年より「パーソナルハーモニースタジオ」と改名

恩師、飯塚武文と 写真提供:船矢祐美子

そして高校を卒業した船矢さんは日本女子体育大学に進学、舞踊学を専攻。その頃にはもうダンスを仕事にしたいと考えていたのですか?
船矢 「このままダンスを続けて、それが職業になるといいな」という夢は持っていましたけれど、当時はまだぼんやりしたイメージにすぎませんでした。日本女子体育大学を選んだのは、高校生の時にたまたま一緒に創作活動をした人たちが日女体出身だったり在学中だったりして、彼女たちを通して初めてコンテンポラリー的なダンスを体験したのがきっかけ。すごく楽しくて、「自分も日女体に入って、こういうダンスをもっと踊ってみたい!」と思うようになりました。
大学生活はどうでしたか?
船矢 楽しくてたまらなかったのは、コンテンポラリー・ダンス系はもちろん、バレエやジャズ、ヒップホップなど、様々なジャンル出身の同世代の人たちと出会えたこと。ダンス公演から演劇までいろいろな舞台を観るきっかけが増えたのも、すごく良かったです。
当時に観たなかで、とくに印象に残っている舞台はありますか?
船矢 彩の国さいたま芸術劇場で観た、ベルギーのダンスカンパニー「ローザス」の『レイン』(2003年)です。衝撃的な体験でした。移ろう音や衣裳の色合い、ダンサーたちの身体から滲み出てくる動き方。それまで踊ってきたダンスや観てきた作品のどれとも違っていて、恋みたいに胸がドキドキしました。「私もこんなふうに踊れたら、どんなに幸せだろう」って。
舞台を観て胸がときめくって、何ものにも代え難い経験ですよね。
船矢 終演後には、知り合いに頼み込んで楽屋裏へ。ローザスの創設者で振付家のアンヌ・テレサ・ドゥ・ケースマイケルさんに挨拶して、「いつかあなたと踊りたいです!」と伝えました。たぶん英語を間違えていたので、アンヌ・テレサさんには意味が伝わらなかったかもしれませんが(笑)。でもその日、さいたま芸術劇場でローザスを観たことは、間違いなく私の人生を変えた出来事のひとつです。
まさに! その後の船矢さんがたどった道を考えると、文字どおり運命の一日でしたね。
船矢 後日、当時ローザスで踊っていらした社本多加(しゃもと・たか)さんのワークショップにも参加しました。そこで「私も海外に出てローザスみたいなカンパニーで踊りたいのですが」と相談したら、「私が勉強した学校があなたに合いそうだけど、どう?」って、P.A.R.T.S. (パーツ)を紹介してくださって。そこから1年後にはもう、P.A.R.T.S. のオーディションに向かっていました。
なんという行動力……。
船矢 若い時ってすごいですよね。突然「これがやりたい!」と思いついて、流れが来たら迷わず「乗ってみよう!」って。
ベルギーのブリュッセルにあるP.A.R.T.S. (Performing Arts Research and Training Studios)は、ローザスとベルギー王立歌劇場(モネ劇場)によって設立されたコンテンポラリー・ダンスの学校。もちろんローザスのレパートリーを学ぶ機会もあると聞いていますが、P.A.R.T.S. での毎日はどうでしたか?
船矢 日本女子体育大学に通っていた頃も、ダンスが「授業」として組み込まれているなんて夢のようだと思っていたんですね。でもP.A.R.T.S. はさらにその上を行く充実度でした。朝8時半からのヨガ・クラスに始まり、午前中は必ずコンテンポラリーとバレエのクラス。そこから夕方5時くらいまではみっちり授業があって、そのあとは自分たちで作品を創ったりしていたので、ほぼ毎日夜10時くらいまで学校に入り浸っている生活でした。他にも、ピナ・バウシュやウィリアム・フォーサイスなどさまざまな作品のワークショップもありましたし、何といっても、すぐ隣にローザスのスタジオがあった。ローザスのレパートリーに少しでも触れられたのは最高の時間で、毎日が本当に充実していましたね。体力的にはもう二度とできないと思いますけれど(笑)。

P.A.R.T.S. 時代、ポンピドゥー・センターでのパフォーマンスの写真。“Fall in and out” by Yumiko Funaya and Simon Mayer and Peter Mayer as part of “Les Jeudi’s” at Centre Pompidou in Paris. (2007) 写真提供:船矢祐美子

大充実のP.A.R.T.S.時代、船矢さんにとって最大の収穫は何だったと思いますか?
船矢 1つはクラシック・バレエです。先ほどお話ししたように、私は日本で習っていた頃は全然長く続かなかったし、「バレエを習う」=「バレリーナを目指す」というイメージを持っていました。でもP.A.R.T.S. の先生に教わったのは「コンテンポラリー・ダンサーのためのクラシック・バレエ」。バレリーナにならなくていいし、脚が上がらなくてもいい。ただ身体の動きを解剖学的に正しい位置に導くためのバレエであり、「それがあなたたちの将来の糧になるから」と。そういうアプローチで再びバレエに出会い、自分の中にあった苦手意識を克服できたのは、とても良かったことのひとつです。
船矢 もう1つは、作品制作のプロセスを実践的に学べたこと。P.A.R.T.S. のカリキュラムのひとつとして、振付家志望の人がピックアップされて、ダンサー志望の人を雇ってクリエイションをする、という機会がありました。クリエイションには予算を組むことや舞台スタッフさんたちとの調整なども不可欠。ダンス作品を制作するとはどういうプロセスを踏まねばならないのか、早い段階で体験的に学べたのはとてもためになりました。

P.A.R.T.S. 時代、ブリュッセルの舞台芸術フェスティバル「バタール・フェスティバル」に出演。“Super Conflict” by Robin Jonsson in Batard festival in Brussels (2007) JOOP PAREYN © BATARD 2007

P.A.R.T.S. 時代、ブリュッセルの舞台芸術フェスティバル「バタール・フェスティバル」に出演。“Super Conflict” by Robin Jonsson in Batard festival in Brussels (2007) JOOP PAREYN © BATARD 2007

P.A.R.T.S. には何年間在籍したのですか?
船矢 P.A.R.T.S. は4年制ですが(*)、私は3年6ヵ月で辞めました。というのは、就職が決まったから。4年生になる頃からみんなと同じように就職活動を始めて、いろいろなカンパニーのオーディションに申し込んだりしていたタイミングで、ベルギーの演劇ダンスカンパニー「Needcompany(ニードカンパニー)の代役オーディションがあったんですね。それもまた当時そこに所属していた社本多加さんが妊娠して、彼女に似た雰囲気のアジア人ダンサーを探していると。私は社本さんと全然似てはいないのですが、幸いにも合格することができました。

船矢さんが在籍していた当時は4年制(最初の2年がTraining cycle、次の2年がResearch cycle)だったが、2019年より3年制(Training cycle)に制度変更された

みごとチャンスをつかんだわけですね。
船矢 そうですね。ただ、そのオーディションには「合格したらすぐにカンパニーに入って仕事を始めること」という条件がついていたのですが、じつはちょうどその頃、P.A.R.T.S. の卒業公演で『レイン』を上演すると決まったんです。
船矢さんの人生を変えた、あのローザスの『レイン』ですか?
船矢 そうです。私が初めて恋をした作品ですから、どんなに忙しくなろうと、絶対に『レイン』にも出たかった。でも、Needcompanyのほうは「仕事」。卒業公演よりも仕事を優先すべきだと決断して、P.A.R.T.S. は辞めることにしました。
何という運命のいたずらでしょうか……。いま振り返って、その選択は正しかったと思えますか?
船矢 正直に言うと、半々です。もちろん、その後たくさんの経験ができて、いまフリーランスのダンサーとして好きなように活動できていることを考えれば、あの時の選択は間違いなく正しかったと思います。ただ、当時はやっぱり、ローザスに入りたかった。何度かカンパニー側と話をしたこともありましたけれど、結局いつもタイミングが合いませんでした。夢を諦めなくてはいけなかったことがどうしても心残りで、数年間ずっと「自分の決断は正しかったのかな」と悩み続けていたのも事実です。
リアルなお話をありがとうございます。人生ってそういうものだなと、身に染みるものがあります。船矢さんはその後Needcompanyに6年間在籍したのち、フリーランスに。そしていよいよノエ・スーリエ作品に参加するようになるわけですが、まずはスーリエさんに出会ったきっかけは?
船矢 ノエとはP.A.R.T.S.で出会いました。彼は私より1つ下の学年にいて、率直な印象は「よくしゃべる人」(笑)。というのもノエは同時にソルボンヌ大学で哲学を学んでいて、そこで得たアイディアをパフォーマンスとして表現する、コンセプチュアルで言語的な作品を創っていたんです。当時は私の語学力がまだ充分ではなかったこともあり、彼の作品を観ていると眠くなってしまうこともありました(笑)。
(笑)。そこからどうしてクリエイションに参加することになったのですか?
船矢 フリーランスになったばかりの頃に、アムステルダムからブリュッセルに戻る電車の中で、ノエにばったり会ったんです。その時の私は年齢的にも30歳になる手前で、これからの人生やキャリアについて考え始めていたタイミング。「いったん自分をまっさらにして、新たなチャレンジをしてみよう」と思ってフリーを選んだことや、「だからいま仕事を探している」という近況を何気なく話したら、彼が突然「僕もいまダンサーを探しているんだけど、来週は空いてる?」と。ノエもちょうど振付家としてプロジェクトを始めたばかりで、たぶん軽い気持ちで私に声をかけてくれたんでしょうね。「私はたくさん踊りたいから、あまり言葉をしゃべる作品は嫌なんだけど……」「大丈夫、この作品はそんなにしゃべらない。むしろ身体はすごく疲れると思うよ」なんて会話もして(笑)、そこからは急展開。翌週にはパリでリハーサルをしていました。

Noé Soulier “First Memory” (2022) © Laurent Philippe

そんなふうに突然チャンスが訪れた時にフットワークよくキャッチできたのは、フリーランスの道を選んでいたからこそですね。
船矢 そうですね。ただ、フリーランスになるということは、自力で仕事をつかみ取らないといけないということ。オーディションを受ける回数も格段に増えましたし、結果的に落ちてしまったり、自分の望むような作品にはご縁をいただけなかったりすることは何度もあって、つらいなと思うことはもちろんありました。

「打つ、よける、投げる、準備する」を掘り下げ続けて約10年……あまりにもユニークなノエ・スーリエの世界

そうした苦労もありながら様々な振付家に出会ってきた船矢さんから見て、ノエ・スーリエの特徴や個性、魅力とはズバリどんなところにありますか?
船矢 ノエはとにかく頭の回転が驚くほど速くて、正直な人です。クリエイション中、自分が思っていることや悩んでいることを、全部私たちに話してくれるんですよ。ただその思考のスピードが速すぎてこちらは追いつけないけれど、それでも振付家として上から指示を与えるような構図ではなく、ダンサーも対等な立場で一緒に悩み、一緒に動きを探っていると感じられるバランスでクリエイションの場を作ってくれる。そこがノエの人間的な魅力のひとつです。
船矢 振付家として面白いのは、動きに対する探究心がとにかく強いこと。具体的に言うと、彼はここ8〜9年くらいずっと、〈Hit〉〈Avoid〉〈Throw〉――つまり〈打つ〉〈よける〉〈投げる〉という3つの動きを深掘りし続けています。そしてもうひとつ〈Preparation〉(プレパレーション=準備する)も加わり、これら4つのアクションをメインのタスクとして、新たな動作を探究しています。
なるほど、〈打つ〉〈よける〉〈投げる〉〈準備する〉を深掘りするんですね。……ってどういう意味ですか!?
船矢 例えば、身体の前に小さなピンポン玉が浮かんでいるところを想像して、それをまず右肩の前側で打ち、今度は後ろ側で打つ、みたいなことを次々と考えていく。あるいはゆらゆらと不規則に動いている火の玉をよけ続ける、みたいな動きをずっと練習するんです。そこで最初に重要になるのは、ダンスの動きとしてではなく、人間の日常の動作として、本当に打ったりよけたりしているように見えるかどうか。野球のボールが顔面に向かって飛んできたら、おそらく人はボールを見ながらよけますよね。つまり、本当にボールをよけているように見えるためには、目線の使い方とか、動きの俊敏性とか、ビクッとする感じとか、いろいろな要素が関わってくる。そんなふうに私たち人間の日常の動きを徹底的に探究していって、そこから少しずつダンスっぽい動きに変換していく、ということをやっています。
少しだけわかってきた気がします。しかし〈打つ〉〈よける〉〈投げる〉は何となく想像できるとして、〈準備する〉とは一体……?
船矢 例えばボールを投げるとして、でも最後のアクション、つまりボールを投げきる瞬間の動きにたどり着く前に、次のアクションに移る、というような動きのことです。ボールを投げつつ、次は側転をしたいから投げきる前に側転の準備に入るけど、でも絶対に側転はしない、みたいな。何かの動作をしようとするけど、いつも寸止めで次の動きへと変化させていく。それが〈準備する〉というタスクです。
ずいぶんもどかしそうな動きですね……。
船矢 やっていると、ものすごく疲れます(笑)。ボールを投げきりはしないけど、でも本気でボールを投げているように見えないといけないので。全部寸止めだけど、何かをしている。常に準備して、常に何もしない。それを繰り返すのが〈プレパレーション〉で、そこから生まれてくる不自然さを、ノエはすごく楽しんでいます。

ノエ・スーリエ『The Waves』 © José Caldeira

非常におもしろそうな感じがしてきました……! そしてこの春に日本で上演される『The Waves』は、イギリスの作家ヴァージニア・ウルフが1931年に発表した小説『The Waves(波)』の形式から着想を得て創られたとのこと。男女6人の独白によって物語が展開していくこの実験的な小説を、ノエ・スーリエはどのようにダンス作品に取り入れているのでしょうか?
船矢 ノエの『The Waves』は、ウルフの小説の流れそのものを表現しているわけではありません。物語性はなくて、小説の中からピックアップしたいくつかの情景や言葉のリズム、タイミングなどを織り込んだ作品。私たちの身体のリズムと、ウルフが書いた英語の文章のリズム、そして現場で一緒に音楽を創ってくれたアンサンブル・イクトゥスのパーカッションのリズムを交わらせていく、まさに寄せては返す波のような創作過程を反映したタイトルだと個人的には感じています。音と動き、そしてウルフの素敵なテキストとの調和と不調和を楽しめる作品だと思います。
公演のWEBサイトで公開されているトレイラーを見ると、それが決められた振付なのか、あるいは船矢さんたちダンサーのインプロヴィゼーションなのか、境界がわからないような不思議な感覚になりますね。
船矢 基本的には前者、つまりあらかじめ振付けられたものを私たちは踊っています。ただし、クラシック・バレエのように動きの「型」が厳密に決まっているわけではもちろんありません。私たちに求められる「厳密さ」とは、例えば「打つ」というアクションが、確かに打っているように見えること。あるいは「投げる」というアクションが、どこにどのように投げているのか明確に見えることなんです。
船矢 その上で、インプロヴィゼーションで動く部分も確かにあります。そもそもクリエイションの過程で偶発的に生まれた動きが振付として取り入れられている部分もありますし、実際の舞台上でインプロをすることもあるんですよ。決まっていることと、何も決まっていないことの間をザブン、ザブンと波のように漂うのが、この『The Waves』という作品だという言い方もできるかもしれませんね。

決まっていることと、何も決まっていないことの間をザブン、ザブンと漂う作品……バレエファンにとっては新感覚の鑑賞体験になりそうです。
船矢 ノエ自身もじつはバレエをずっとやってきた人で、クラシック・バレエのパやポジションがどのように構築されていて、社会的にはどう見えているのかを話しながら見せていくソロ作品も創っているんですよ。『The Kingdom of Shades – Signe blanc』という作品なのですが。彼は出来上がったアクションやフレーズをいったん壊し、あらためて再構築したらどんなものができるかに強い興味を持っている振付家です。バレエをよく知っているみなさんだからこそ、おもしろく観ていただける部分もありそうな気がします。

船矢さん、今日はたくさん教えてくださりありがとうございました! ダンスについて言葉で説明するのは難しいはずなのに、とてもわかりやすくて素敵なお話ばかりでした。
船矢 よかったです! 『The Waves』は、音と動きの波長が整ったり崩れたりすることを遊ぶ作品です。そしてみなさんが日常の中で何気なくやっている動作も、きっとそこかしこに見え隠れするはずです。ぜひ、ご自身の視覚と聴覚で自由にお楽しみください!

公演情報

ノエ・スーリエ『The Waves』

【振付】
ノエ・スーリエ

【出演】
ステファニー・アムラオ、ジュリー・シャルボニエ、アドリアーノ・コレッタ、船矢祐美子、ナンガリンヌ・ゴミス、ナン・ピアソン

【パーカッション】
トム・ドゥ・コック、ゲリット・ヌレンス(イクトゥス)

【音楽】
ノエ・スーリエ、トム・ドゥ・コック、ゲリット・ヌレンス

埼玉公演

【日時】
2024
329日(金)19:00開演
330日(土)15:00開演

★上演時間:約60分(途中休憩なし)
★上記2公演終了後、振付家ノエ・スーリエによるポスト・パフォーマンス・トークを開催。該当日の公演チケットがあれば誰でも参加OK

【会場】
彩の国さいたま芸術劇場 大ホール

【詳細】
彩の国さいたま芸術劇場 公演ページ

【問合せ】
SAFチケットセンター
0570-064-939(劇場休館日を除く10:00~18:00)

京都公演

【日時】
2024年4月5日(金)19:00開演

★上演時間:約60分(途中休憩なし)
★公演終了後、振付家ノエ・スーリエによるポスト・パフォーマンス・トークを開催。公演チケットがあれば誰でも参加OK

【会場】
ロームシアター京都 サウスホール

【詳細】
ロームシアター京都 公演ページ

【問合せ】
ロームシアター京都 チケットカウンター
075-746-3201 (劇場休館日を除く10:00~17:00)

関連企画 屋外パフォーマンス『Passages

【日時】
2024年4月6日(土)14:00開演

★上演時間:約45分(途中休憩なし)
★入場無料・予約不要

【会場】
ロームシアター京都 ローム・スクエア

【振付】
ノエ・スーリエ

【出演】
ステファニー・アムラオ、ジュリー・シャルボニエ、アドリアーノ・コレッタ、船矢祐美子、ナンガリンヌ・ゴミス、ナン・ピアソン

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