
「白鳥の湖」千野円句(ジークフリート)©Tatiana Spiridonova
強烈な個性とカリスマ性で舞台を支配するレジェンド、ファルフ・ルジマトフ。日本でも観客を魅了し続けた彼の集大成となるステージ「ルジマトフ JAPAN FINAL」が、2026年6月に大阪・東京で開催される。
この特別な公演に次代を担うスターの一人として名を連ねるのが、モスクワ生まれ・日本育ちのバレエダンサー、千野円句だ。
ロシア人の父とロシアで活躍した日本人バレリーナの母の間に生まれ、日露両国のルーツを持つ彼は、現在ボリショイ・バレエのリーディングソリストを務めている。日本で過ごした幼少期、10歳で入学したボリショイ・バレエ・アカデミーでの日々、ボリショイ・バレエ入団直後の大抜擢、大怪我とコロナ禍を経ての舞台復帰——千野円句の原点から現在地に至るまでのロングインタビューを前後編でお届けする。
〈前編〉「僕はバレエにひと目ぼれしたわけじゃない」バレエとの出会い、日本で過ごした幼少期〜ボリショイ・バレエ入団まで
〈後編〉「踊れない日々。そこから、僕の新しいバレエ人生が始まった」大怪我とコロナ禍からの舞台復帰〜ボリショイでの現在地/コラム・千野真沙美さんインタビュー

千野円句(ちの・まるく)
ロシア人の父、日本人の母(バレエダンサーの千野真沙美)のもと、モスクワに生まれる。幼少期を日本で過ごし、ボリショイ・バレエ・アカデミーで学ぶ。2017年モスクワ国際バレエコンクール・ジュニア部門金賞受賞。同年ボリショイ・バレエに入団。『くるみ割り人形』王子、『白鳥の湖』ジークフリート王子/ロットバルトをはじめ、主要な役を数多く踊る。現在リーディングソリスト。
バレエとの出会い〜ボリショイ・バレエ・アカデミーへ
- 円句さんにとって最初のバレエの記憶は、やはり母親であるバレリーナの千野真沙美さんの舞台ですか?
- 千野 おそらく母の舞台だと思います。僕は幼い頃モスクワに住んでいて、当時は母がまだ現役でバリバリ踊っていたので、何もわからないまま劇場に連れて行かれたりしていたな……というのが遠い記憶として残っています。とくに覚えているのは、母が踊っていた『コッペリア』です。
- 『コッペリア』は真沙美さんの代表的な主演作ですね。幼心にも、舞台上でキラキラ輝く母親の姿を誇らしく思ったり、「きれいだな」と感じたりしていましたか?
- 千野 もちろんそういう気持ちもあるにはあったのですが、最初に言っておくと、僕は小さい頃からバレエが大好きだったわけではないんです。バレエに本気で目覚めたのは13〜14歳くらいの時。それ以前は、やっぱり男の子だし、父親は物理数学者でバレエとはまったく関係のない人だったので、どこか「バレエは女性がやるもの」という認識を持っていました。

母(千野真沙美)の舞台を観に行った時の一枚
- 6歳までモスクワで暮らした円句さんは、小学校入学のタイミングで真沙美さんと一緒に日本へ移住。そして祖母・谷口登美子さんのスタジオ(谷口バレエ研究所)でバレエを始めたそうですね。
- 千野 日本では、祖母のバレエスタジオの上のゲストルームに住んでいました。朝起きたら下の階でバレエをやっていて、小学校から帰ってきてもバレエをやっている。とにかくバレエが日常にがっつり密着していたので、僕もバレエを始めざるを得なかったのだと思います(笑)。もっとも、母は他にも水泳やピアノ、体操、空手など、たくさんの習い事をさせてくれたんですよ。でも「これは嫌だ」「あれはやりたくない」と言って徐々にやめていき、最後まで残ったのがバレエでした。なぜバレエだけ続いたのかは、自分でもわかりません。
- それでも小学校10歳くらいの時に、自分で「僕は本気でバレエをやる」と決めたとか?
- 千野 母に聞かれたんです。「バレエをやるなら、ロシアに戻って本格的にやらなきゃダメ。それでもやりたい?」って。その時の心情は正直あまり覚えていないのですが、自分で「やる」と言いました。まだ「バレエが大好き!」という感じではなかったけれど、僕は昔から、「やるならしっかりやる。やらないならやらない」の二択しかない性格なんです。自分でやると決めたのだから、好きとか嫌いとかじゃなく、ちゃんとやる。それでロシアに戻り、10歳でボリショイ・バレエ・アカデミーに入りました。

谷口バレエ研究所(祖母のバレエ教室)の発表会後に母と
- ボリショイ・バレエ・アカデミーのようなロシアの名門バレエ学校は、いわば“職業訓練校”。日本で“お稽古ごとのひとつ”としてバレエを習っていた頃とは、求められる姿勢も環境もまるで変わったのでは?
- 千野 はい、ボリショイ・バレエ・アカデミーは『ハリー・ポッター』でいうところのホグワーツです(笑)。魔法ではなくバレエを学び、他にも歴史や国語、算数、数学、物理といった一般科目の授業もあるので、生徒たちは1日中ずっとそこで過ごすことになります。
- 自分で選んだ道とはいえ、「思っていたのと違う……」と戸惑ったりしたことは?
- 千野 日本の小学校からいきなりロシアの学校の5年生に転校した僕にとって、いちばんのストレスは“言葉の壁”でした。当時、ロシア語を話すことはできたけれど、読み書きがまったくできなかったので……。すでに多少の経験があったバレエより、ロシア語の授業などのほうが、よほど大変でした。ようやくいろんなことが落ち着いてきたのが13〜14歳くらいの時。そこからバレエに集中できるようになり、自分でもいろいろな映像を見たりするようにもなって、だんだんバレエへの愛が芽生えていきました。
- そうすると、「バレエを続けるのはもう無理」とか「もうやめたい」とか思うこともなく、順調なアカデミー時代でしたか?
- 千野 僕はあまり胸の内を表に出すタイプではないのですが、肉体的に限界だと思う時期はありました。僕はもともと、運動神経が良くないんです。足は遅いし、すぐに疲れてしまうし、力もない。もちろん体型的には、僕はとても恵まれていると思います。でも運動能力という意味では、ロシア人のクラスメイトたちが容易くできることでも、僕は相当な努力をしないと追いつけず、疲れ果ててしまうことがありました。
- それはいつ頃のことですか?
- 千野 15歳前後の頃です。思春期で身体が急激に変化していく上に、14歳くらいからパ・ド・ドゥやキャラクターダンス、モダン(コンテンポラリー)ダンス、ヴァリエーションなど、授業の難易度がどんどん上がっていくんですね。さらに他の科目もこなさなくてはいけないし、夜にはリハーサルも入ってくるし……もはや「できる・できない」の問題ではなく、「そもそも僕の体力は最後まで耐えられるのか?」と、不安を覚えるようになりました。

ボリショイ・バレエ・アカデミー時代。写真右が円句さん
- そんなに大変でも、円句さんは「プロのダンサーになりたい」と思っていたのでしょうか?
- 千野 それはもう、バレエ学校に入学したわけですから。ロシアではよく「バレエ学校に入ったということは、10歳で職業をもらったようなものだ」と言われます。ボリショイ・バレエ・アカデミーに入学し、卒業するということは、イコール「プロになる」ということです。
- ただ、ロシアの名門バレエ学校というのはまず入学するのが難しく、卒業するのも難しいわけですよね。
- 千野 そうですね。数百人の志願者の中で入学できるのは50人弱、そしてそこから卒業までたどり着けるのは30人強くらいなので。ただ、僕は正直にお話ししたいのですが、女の子に比べると男の子はずっと楽です。バレエの世界で男の子が貴重な存在なのはロシアも同じなので、ある程度の能力があれば無事に卒業までいける可能性は高いですね。
- アカデミー時代のことで、もうひとつ聞きたいことが。10代といえばジャンプや回転などのテクニックが楽しい年頃だと思いますが、円句さんは当時から「バレエはスポーツではなく演劇だ」という考えをはっきりと持っていたそうですね。
- 千野 はい、それが第一だと思います。ジャンプやアクロバットなら、体操やフィギュアスケートの選手のほうがはるかに難しいことをやっています。運動神経や身体能力は先天的なものが大きいので、その道においてはスポーツ選手に敵わない。だけど演技とか醸し出すオーラみたいなものは、人それぞれに生まれ持ったものがあるし、年齢を重ねることで豊かになっていきますよね。例えば10歳から本格的にバレエを始めて運動神経も優れていない僕にでも、何かがパッとひらめく瞬間が訪れるんです。
もちろん僕は跳んだり回ったりするのも大好きで、夜遅くまで友達とテクニックの練習をしていた時期もあったし、いまでもたまにやっています。だけどやはり、バレエは芸術です。僕たちに問われているのは「難しいテクニックができたか、できなかったか」ではなくて、「心に刺さったか、刺さらなかったか」。テクニックとお芝居と醸し出すオーラ、そのすべてを積み重ねて自分の最大限を出しきれた時に、いい舞台になると思っています。

ボリショイ・バレエ・アカデミーの試験にて。写真左が円句さん

ボリショイ・バレエ・アカデミーの卒業式にて。写真3列目右から3人目が円句さん
ボリショイ・バレエに入団して
- 2017年、円句さんはボリショイ・バレエ・アカデミーを優秀な成績で卒業し、ボリショイ・バレエに入団しました。
- 千野 ロシアでは卒業試験の時にいろんなバレエ団の芸術監督が見に来て、野球のドラフト会議みたいに、自分のカンパニーに欲しいダンサーを選びます。僕はそれまでの成績からして「おそらくボリショイ・バレエに行けるだろう」という状況だったのですが、もちろん絶対的な保証はないので、卒業試験の半年前にモスクワ音楽劇場バレエのオーディションを受けて、いちおう合格はもらっていました。そして卒業試験の結果、ボリショイ・バレエからオファーをいただけたのでそちらに入団した、という経緯です。
- ボリショイ・バレエといえば世界有数のバレエ団のひとつ。入団してみてどうでしたか?
- 千野 最初からいきなり、とてつもない経験が僕を待っていました。あれは忘れもしない、アカデミー卒業後の夏休みのこと。マハール・ワジーエフ芸術監督から僕の携帯に電話がかかってきて、「君は9月に主役を踊るから頑張って」と言われたんです。演目はハラルド・ランダー振付『エチュード』。このテクニック中心の一幕バレエでエトワール役を踊ることになり、その時点で僕の夏休みは終わりました(笑)。
- 『エチュード』のエトワールと言えば、通常はプリンシパル級のダンサーが踊る役ですね。それをまだプロデビューもしていない段階で踊ることが決まって、率直にどんな気持ちでしたか?
- 千野 ボリショイ・バレエに入団が決まった時、僕は母と「5年いて何も役がつかなかったら辞める」と話していました。ところが蓋を開けてみたら、入団前に主演が決まるというまさかの展開。ちょっとパニックに陥りながら、残りの夏休みは全部おばあちゃんのスタジオにこもり、必死に自主練に励みました。じつはワジーエフ監督って、そんなふうに若いダンサーをいきなり難しい役に抜擢して、彼・彼女が自力でどこまでいけるか試すところがあるんです。
『エチュード』には3人のエトワールがいて、僕以外の2人はエフゲーニヤ・オブラスツォーワさんとヴャチェスラフ・ロパーチンさんという大先輩プリンシパルでした。プレッシャーは大きいし、リハーサル期間も3週間弱しかなく……それでも何とか踊りきることができて、芸術監督からも「これから磨いていくべき部分はたくさんあるけど、よかったよ。おめでとう」と言ってもらえました。
- いきなりの主役抜擢から始まったとはいえ、入団時の階級はコール・ド・バレエですね?
- 千野 はい。僕は6年間コール・ド・バレエでした。ボリショイ・バレエはとにかく公演数が多いので、コール・ドはとても大変です。とくに僕は入団したとたん、コール・ド担当の監督に「君は日本人だな。だったら振付をすぐに覚えるだろう?」と言われて、すべての作品に入れられたんです! 短期間でいろんなバレエを覚えなくてはならず苦労しましたが、そのおかげで舞台に対する恐怖心はすぐになくなりました。
- 日本人ダンサーは賢くて真面目な人が多く、振り覚えの良さや代役への対応力の高さが評価されて大役への抜擢につながった……みたいな話はよく聞きます。
- 千野 そうですね。ただ、そう簡単にはいかないのがボリショイ・バレエという場所です。1年目は確かに充実していたのですが、2年目になると、また新たな卒業生が入団してくるわけです。僕が踊っていたソロの役も彼らが踊るようになり、「自分が特別だったわけじゃないんだな」と、何となく冷めた空気を感じることもありました。
でも僕が幸せだったのは、コーチの先生に恵まれたことです。アレクサンドル・ヴェトロフ先生という、かつてボリショイのプリンシパルだった方。先生は「たとえ役をもらえなくても、新しい役を覚えて、稽古している姿を見せて、自分は踊りたいんだという意志を示さなくてはいけない」とおっしゃって、僕とたくさんリハーサルをしてくださいました。ヴェトロフ先生に師事しているダンサーの8割はプリンシパルなのに、コール・ド・バレエの僕にも目をかけてくださるのが嬉しかった。おかげで僕は悲しんだり落ち込んだりすることもなく、ずっと楽しい気持ちでいることができました。
★〈後編〉は明日(2026年6月11日)公開予定!

公演情報
【大阪公演】
●2026年6月13日(土)15:00開演
会場:梅田芸術劇場 メインホール
上演演目:Aプログラム(下記参照)
【東京公演】
●2026年6月16日(火)19:00開演
会場:新宿文化センター 大ホール
上演演目:Aプログラム(下記参照)
●2026年6月17日(水)14:30開演/18:30開演
会場:新宿文化センター 大ホール
上演演目:Bプログラム(下記参照)
【主な演目】
| Aプログラム(6/13、16) |
| 「Ne me quitte pas(いかないで)」N.アンドロソフ振付 |
F.ルジマトフ&ペレン |
| 「王は踊る」N.アンドロソフ振付 |
F.ルジマトフほか |
| 「ファルーカ」N.アンドロソフ振付 |
F.ルジマトフ |
| 「ボレロ」N.アンドロソフ振付 |
F.ルジマトフ |
| 「カルメン組曲」より |
セヴェナルド&ロヂキン |
| 「シェヘラザード」より |
セヴェナルド&ロヂキン |
| 「ラ・バヤデール」第3幕よりアダージョ |
ヴォロンツォーワ&チェトヴェリコフ |
| 「ドン・キホーテ」よりグラン・パ・ド・ドゥ |
ヴォロンツォーワ&チェトヴェリコフ |
| 「海賊」よりグラン・パ・ド・トロワ |
シェフツォーワ&千野&D.ルジマトフ |
| 「薔薇の精」 |
ペレン&千野 |
| 「追憶」N.アンドロソフ振付 |
D.ルジマトフ |
| B-①プログラム(6/17-14:30) |
| 「王は踊る」N.アンドロソフ振付 |
F.ルジマトフほか |
| 「牧神の午後」F.ルジマトフ改訂振付 |
F.ルジマトフ&ペレン |
| 「ボレロ」N.アンドロソフ振付 |
F.ルジマトフ |
| 「カルメン組曲」より |
セヴェナルド&ロヂキン |
| 「ドン・キホーテ」よりグラン・パ・ド・ドゥ |
セヴェナルド&ロヂキン |
| 「ジゼル」よりパ・ド・ドゥ |
ヴォロンツォーワ&チェトヴェリコフ |
| 「ラ・バヤデール」第3幕よりアダージョ |
ヴォロンツォーワ&チェトヴェリコフ |
| 「海賊」よりグラン・パ・ド・トロワ |
シェフツォーワ&千野&D.ルジマトフ |
| 「シェヘラザード」より |
ペレン&千野 |
| 「追憶」N.アンドロソフ振付 |
D.ルジマトフ |
| B-②プログラム(6/17-18:30) |
| 「Ne me quitte pas(いかないで)」N.アンドロソフ振付 |
F.ルジマトフ&ペレン |
| 「王は踊る」N.アンドロソフ振付 |
F.ルジマトフほか |
| 「ファルーカ」N.アンドロソフ振付 |
F.ルジマトフ |
| 「ボレロ」N.アンドロソフ振付 |
F.ルジマトフ |
| 「カルメン組曲」より |
セヴェナルド&ロヂキン |
| 「ドン・キホーテ」よりグラン・パ・ド・ドゥ |
セヴェナルド&ロヂキン |
| 「ジゼル」よりパ・ド・ドゥ |
ヴォロンツォーワ&チェトヴェリコフ |
| 「ラ・バヤデール」第3幕よりアダージョ |
ヴォロンツォーワ&チェトヴェリコフ |
| 「海賊」よりグラン・パ・ド・トロワ |
シェフツォーワ&千野&D.ルジマトフ |
| 「シェヘラザード」より |
ペレン&千野 |
| 「追憶」N.アンドロソフ振付 |
D.ルジマトフ |
【出演】
ファルフ・ルジマトフ(元マリインスキー・バレエ プリンシパル/元ミハイロフスキー劇場バレエ芸術監督)
イリーナ・ペレン(ミハイロフスキー劇場バレエ プリンシパル)
アンジェリーナ・ヴォロンツォーワ(ミハイロフスキー劇場バレエ プリンシパル)
エレオノーラ・セヴェナルド(ボリショイ・バレエ プリンシパル)
クセニア・シェフツォーワ(バイエルン国立バレエ プリンシパル)
デニス・ロヂキン(ボリショイ・バレエ プリンシパル)
ニキータ・チェトヴェリコフ(ミハイロフスキー劇場バレエ プリンシパル)
千野円句(ボリショイ・バレエ リーディングソリスト)
ダレル・ルジマトフ(マリインスキー・バレエ)
【料金】
SS席 22,000円/S席 19,000円/A席 15,000円/B席 11,000円/C席 8,000円/U25チケット 4,000円
※全席指定・税込。未就学児入場不可。演奏は特別録音音源を使用。
【詳細】
光藍社 公演WEBサイト
※出演者・演目等は変更となる場合があります。最新情報は上記公式WEBサイトにてご確認ください
【問合せ】
光藍社チケットセンター
TEL 050-3776-6184
12:00〜15:00/土日祝休