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【インタビュー】池田武志、スターダンサーズ・バレエ団を間もなく退団。父として、夫として、ダンサーとして、僕はこれからも挑戦を続けていく

阿部さや子 Sayako ABE

動画撮影・編集:古川真理絵(バレエチャンネル編集部)
聞き手:阿部さや子(バレエチャンネル編集長)

2026年3月7日(土)・8日(日)、スターダンサーズ・バレエ団「オール・バランシン」が上演されます。20世紀のアメリカで『セレナーデ』『シンフォニー・イン・C(水晶宮)』『ジュエルズ』等の抽象的バレエを完成させ、バレエの世界に大きな影響を与えた巨匠振付家、ジョージ・バランシン。本公演では、同団がレパートリーとしてきた『フォー・テンペラメンツ』『ウェスタン・シンフォニー』、そして今回がバレエ団初演となる『ワルツ・ファンタジー』と、3つのバランシン作品が一挙上演されます。

この公演にはもうひとつトピックがあります。2017年から約8年半にわたり数々の主役を務めてきたダンサーの池田武志さんが、今年度をもってスターダンサーズ・バレエ団を退団すると発表。この「オール・バランシン」が、池田さんにとって同団での最後の舞台になります。

池田さんは現在33歳。今まさに踊り盛りの彼が、バレエ団での活動に一区切りをつけることを決めたのはなぜなのか。そこにはひとりのバレエダンサーの、そしてひとりの男性の、人生の選択がありました。

2月半ば、スターダンサーズ・バレエ団の稽古場で、いつものように朝のクラス・レッスンに臨んでいた池田武志さんを取材しました。

池田武志(いけだ・たけし)
10歳より松本道子バレエ団にてバレエを始め、13歳よりマシモ・アクリと堀本美和に師事。2009年ローザンヌ国際バレエコンクールファイナリスト。スカラシップを得てドイツのハンブルク・バレエ・スクールへ2年間留学。ハンブルク・バレエ、新国立劇場バレエ団を経て、2017年スターダンサーズ・バレエ団入団。数多くの作品に主演。2026年3月をもって同団退団を発表。 ©Ballet Channel

8年半、バレエ団のみんなと一緒に走ってきた

池田武志さんは今年度をもってスターダンサーズ・バレエ団を退団すると発表。2026年3月7日・8日の「オール・バランシン」公演が、同団での最後の舞台になりますね。
池田 退団は自分の意志ですし、急に思い立って決心したというわけでもないので、心穏やかに最後の舞台に向かえるだろうと思っていました。ところが、今年に入って急に「そうか、このバレエ団で踊るのも残りわずかなんだな……」という気持ちが湧いてきて。それまでは「最後まで頑張ろう、楽しもう」という気持ちで進んでいたのですが、公演を一つひとつ終えるごとに、「みんなと舞台に立てるのもあと少しだな」という寂しさを感じるようになっています。でも、基本的にはいつものとおり、僕らしく楽しもうというスタンスでいます。
なぜこのタイミングで一区切りつけようと考えたのでしょうか?
池田 SNS等にも書いたのですが、2023年に自分のスタジオを開いて経営するようになったことや、子どもが誕生したことなど、身の回りの環境がここ数年で大きく変わったのがいちばんの理由です。まずは子どものことを最優先にしたいし、自分のスタジオにも大切な生徒たちがいます。僕は現在33歳とまだまだ踊り盛りの年齢で、ダンサーとして一線を退くつもりは決してありません。ただ、バレエ団員として踊ることも、子育ても、スタジオ経営も、すべて生半可な気持ちではできない仕事です。そうなると、やはり何かを削らなければ逆に全部が中途半端になってしまう。それで考えに考えた結果、今回の決断に至りました。
池田さんは2017年にスターダンサーズ・バレエ団に入団。それから約8年半の間に多くのレパートリーで主演するなど、文字どおり同団の中心的な存在として活躍してきました。
池田 入団した時は24歳でした。最初から大きな役を任せていただき、たくさんの経験を積めたことが、こうして踊り続けてこられたいちばんの理由であり、財産でもあります。8年半、最初から最後まで、感謝しかありません。
振り返って、この8年半は長かったですか? それともあっという間でしたか?
池田 長かったです。ここまで本当にいろいろなことがあって、コロナ禍の自粛期間など苦しい時間も、バレエ団の仲間たちと一緒に乗り越えてきました。みんなで経験してきたことを一つひとつ思い返すと、僕はここでずいぶん長く充実した年月を過ごさせてもらったんだなと感じます。

東京・青山にあるスターダンサーズ・バレエ団の稽古場。太陽の光が差し込む窓際のバーが、池田武志さんの“定位置”なのだそう ©Ballet Channel

これまで多くのバレエダンサーを取材する中で、結婚して家庭を持ったのをきっかけにバレエ団を退団し、フリーになったりお教室を始めたりする男性ダンサーに少なからず出会ってきました。バレエ団員として活動することと、夫・父として家族を支えることの両立は、難しいところがありますか?
池田 人によって事情はいろいろだと思いますが、僕の場合は、若くして自分のスタジオを持ったことがいちばん大きいです。「教室を開くのは、もう少し歳を重ねて、ダンサーとして一線を退いてからでいいと思うよ」と助言してくださる方もいたのですが、僕は自分が充分に踊れる姿を生徒たちに見せてあげたかった。だから30歳で教室を開いたのですが、その場所が妻(編集部注:バレエダンサーのフルフォード佳林さん)の地元の逗子市なので、東京・青山にあるバレエ団での活動と両立するのが地理的にも難しいという事情もあるんですね。僕の最優先は家族なのに、現状では子育てもスタジオでの教えも妻に負担をかけてしまっています。もちろん、絶対に両立不可能かと言ったらそんなことはないのですが、やはり大切な家族のことをいちばんに考えたくて、バレエ団での活動に区切りをつけることにしました。
自分のお教室を開きたいという思いは、昔からあったのですか?
池田 ありました。知り合いのお教室にゲストで教えに行った時など、「どういう言葉を使えば子どもたちに伝わるのかな?」という難しさを体験するたびに、「自分でも生徒を持って、もっと長い時間をかけて教えてみたい」と思っていました。そして妻も同じく「バレエ教室をやりたい」という気持ちを持っていたので、思いきって2人で始めた次第です。教室の名前は「LUX BALLET STUDIO(ルクスバレエスタジオ)」といいます。生徒を教えることは、自分が踊るのとはまったく違う面白さがあって、刺激的です。僕にとって、ルクスバレエスタジオはもう一つの新しい家。小さな子どもから大人まで、みんなが頑張ることを楽しんでくれているのが何より嬉しいです。「生徒を可愛いと思うってこういうことなんだね」と、妻とよく話しています。

朝のクラス・レッスン風景 ©Ballet Channel

自信がなくて内向的。だけど僕は、チャンスを獲るためここに来た

これまでのキャリアについてのお話を。池田さんは小学4年生の時にバレエを始めたそうですが、子どもの頃から「将来はプロになりたい」と思っていましたか?
池田 いいえ、まったく。むしろ「自分はきっとそのうちバレエをやめて、何か他のことを探さなくちゃいけないだろう」と思いながらレッスンに通っていました。ところが中学1〜2年生の頃に、バレエの先生から「ローザンヌ国際バレエコンクールに挑戦してみる?」と言われて。そこから様々な紆余曲折がありながらも何とかローザンヌ出場にたどり着き、舞台に立った瞬間、人生で初めて心の底から「踊るって楽しい!」と思えたんです。僕はこんなにバレエを楽しめる。だったら自分を信じてみよう、チャンスがあるなら海外留学に挑戦してみよう——そんなふうに思うようになりました。
そのローザンヌ国際バレエコンクールで見事ファイナリストになり、スカラシップを得て、ドイツのハンブルク・バレエ・スクールへ留学。2年間学んだのちにハンブルク・バレエに入団しましたが、約1年後に帰国しました。
池田 帰国することにしたのは、ドイツでの生活が合わなかったのと、メンタルが追いつかなかったのが主な理由です。スクール生だった頃から、先生方は僕にたくさんのチャンスを与えてくださいました。けれども僕自身は「自分はちゃんとできている」という確信が持てないまま踊り続けているような状態で、どんどん自信を失ってしまったんです。それでもジョン・ノイマイヤー芸術監督(当時)は僕をバレエ団に入れてくださったのですが、やはり年間約80公演もあるカンパニーのスピード感についていけなくて。精神的にどん底まで追い詰められて、「これ以上は無理だ」と帰国を決意。当時の僕は18歳くらいでしたが、それ以降も含めて、あの時が自分のバレエ人生でいちばんの挫折だったと思います。本当に、「もうバレエをやめよう」と思っていました。
だけど、池田さんはバレエをやめませんでした。それはなぜだったのでしょうか?
池田 帰国して、日本でお世話になっていたバレエの先生に会いに行きました。僕はきっと叱られると思っていたのに、先生はただ「とりあえず1ヵ月休もう」と言ってくださって。それでしばらく何もしない時間を過ごしながら、自分自身を見つめ直したんです。そしてたどり着いた結論が、「やっぱり僕にはバレエしかない。バレエだけはやめられない」ということでした。

僕は子どもの頃から自分に自信がなくて、性格的にも繊細で内向的なところがあります。って言うと、いまの僕に出会った人は誰も信じてくれないのですが(笑)。とくに10代の頃は他人の目を過剰に気にしてしまったり、自分の踊りは下手だと思われているんじゃないかと悩んだりして、いつも苦しかったんですね。でもいまは、その繊細な感覚が役の感情を理解するのにすごく役立っていますし、僕が強くなれたのは、ハンブルクでの大きな挫折があったからこそなんです。もう何があっても「あの時に比べたら何てことない」と思えるし、「僕は大丈夫だ」という自信もある。ポジティブなこともネガティブなことも、本当にすべての経験が、現在の僕を作ってくれました。

©Ballet Channel

そこからしばしフリーランスで踊った後、新国立劇場バレエ団に入団。同団ではデヴィッド・ビントレー振付『アラジン』でランプの精ジーン役を踊るなど4年ほど活躍後、スターダンサーズ・バレエ団に移籍しました。
池田 新国立劇場バレエ団でもいろいろな役をいただき、僕の踊りが好きだと言ってくださる方もたくさんいて嬉しかったのですが、同時に「もっと踊りたい、もっと自分を見てもらえる場所に行きたい」という、ダンサーとしての欲が出てきたんです。あの頃の僕は、チャンスに飢えていました。もっと、もっと踊りたかった。新国立劇場バレエ団は素晴らしい環境だけど、何しろカンパニーの規模が大きくてダンサーの層も厚く、待ち続けたところでチャンスは巡ってこないかもしれません。ならば思いきってここを出て、次のステップへ踏み出そう——そう考えるようになりました。また、ちょうどその頃にいまの妻と付き合い始めて、心が安定したのも大きかったと思います。自分の気持ちの準備が整ったところで、移籍を決心しました。
「もっと踊りたい」というのはつまり、より大きな役を踊りたい、ということですね。
池田 そうですね。僕は20代中盤までに、どうしても主役をやりたかったんです。できるだけ若いうちに“真ん中”に立つ経験をしないといけない、その経験があるかないかでバレエに対する考え方がまったく変わるはずだと、強く思っていました。だから2017年、移籍したその年の『くるみ割り人形』で全幕主役をいただいた時、「このために僕はここに来た」と思いました。自分はチャンスを獲るためにここへ来たんだ、と。
人生には幾度か“勝負に出るべきタイミング”というものがありますが、まさに池田さんは勝負に出て、つかみたかったものをつかんだわけですね。
池田 僕の人生の夢は「家庭を持つこと」で、この世でいちばん尊敬している自分の父親みたいに、家族を守れる男になりたいとずっと思ってきました。そのために、ダンサーとしても人としても、早く力をつけたかった。だから絶対に主役という経験をしなくてはいけないと考えていました。我ながらちょっと大それていたな……とも思いますが、それだけの熱量が自分にはありました。

©Ballet Channel

真ん中に立つことより、立ち続けることが難しい

ここまでの経歴を振り返ると、最初に入団したハンブルク・バレエに在籍したのは約1年、次の新国立劇場バレエ団は約4年、スターダンサーズ・バレエ団は約8年半。つまりスターダンサーズ・バレエ団が最も長く踊ったカンパニーということになりますね。
池田 次々とチャンスを与えてくださり、自分は信頼してもらえていると実感できたこと。それが長く居続けたいと思えたいちばんの理由でした。若い頃は「初めて主役をもらえた!」というワクワク感でいっぱいで、それがキャリアを重ねるにつれ徐々に責任感という名の重圧に変わっていったけれど、それでもスターダンサーズ・バレエ団に来てからは毎日が楽しかったです。
池田さんにとって、スターダンサーズ・バレエ団の楽しさとは?
池田 レパートリーがバラエティに富んでいて、次から次に新しい挑戦が待っているところでしょうか。新作であれ再演であれ、つねに何かしら挑戦しなければならないことがある。だから、飽きることがないんです。
ここで踊ってきたなかで、忘れられない役やとくに思い入れの深い役はありますか?
池田 2つあります。1つはクルト・ヨース振付『緑のテーブル』の「死」という役です。これは本番を迎えるまでのプロセスも含めて、舞台に立つとはどういうことか、ダンサーとしての考え方そのものを成長させてくれた衝撃的な役でした。もう1つは、バレエ『ドラゴンクエスト』の「黒の勇者」ですね。入団してすぐの頃から昨年の上演時までずっと演じてきましたから、黒の勇者という役と共に僕を知ってくれたお客様もたくさんいらしたと思います。僕自身、もはや黒の勇者と一心同体という感覚があります。黒の勇者にも、黒の勇者を僕に踊らせてくれた演出・振付の鈴木稔さんにも、感謝の気持ちでいっぱいです。

「緑のテーブル」池田武志(死)©Kiyonori Hasegawa

バレエ「ドラゴンクエスト」池田武志(黒の勇者)©Kiyonori Hasegawa

スターダンサーズ・バレエ団での8年半で、試練はありましたか?
池田 真ん中に立つことよりも、真ん中に立ち続けることのほうが遥かに難しいと、キャリアを重ねれば重ねるほど痛感するようになりました。そこにはモチベーションや心身を保ち続けることの難しさもありますし、自分自身と向き合い、闘い続けなくてはいけない厳しさもあります。でも、主役であれ、ソリストであれ、コール・ド・バレエであれ、誰もがそれぞれに闘うべきものと闘っていますからね。そう考えると、僕が感じてきた試練なんて、取り立てて語るほどのことではないかもしれません。
間もなく、池田さんにとって一区切りの舞台となる「オール・バランシン」の幕が上がります。
池田 バランシン作品3本立ての公演で、僕が出演するのは『フォー・テンペラメンツ』『ウェスタン・シンフォニー』の2作品。もうひとつは、バレエ団初演となる『ワルツ・ファンタジー』です。バランシンの振付はとても難しいのですが、自分の身体が音楽を見つけてカチッとはまった時に、すごく楽しく踊れるようになる。とてもロジカルで偉大な作品だなと思います。じつは、僕がスターダンサーズ・バレエ団に入団して初めて踊ったのもバランシンの『ワルプルギスの夜』だったんですよ。始まりも終わりもバランシンというのが感慨深いし、とくに『ウエスタン・シンフォニー』の第2楽章(アダジオ)には思い入れもあります。スターダンサーズ・バレエ団の団員として最後に踊るのがこの作品でよかったな、と思っています。

「ウェスタン・シンフォニー」池田武志 ©Kiyonori Hasegawa

当日は、どんな舞台にしたいですか?
池田 観客のみなさんがバランシンの魅力を存分に味わい、清々しい気持ちで劇場を後にできるような公演になれば嬉しいです。そして僕個人としては、ずっと一緒に踊ってきた仲間たちとの時間を、最後の瞬間まで大事にしたい。お客様とバレエ団のメンバー、みんなで舞台を楽しめたら最高です。
あらためて、池田さんにとってスターダンサーズ・バレエ団はどういう場所ですか?
池田 チャンスを与えてくれた場所、です。与えられたチャンスをつかむことで、また次のチャンスが見えてくる。そうやって僕を成長させてくれた、幸せな場所でした。
池田さんにとってバレエとは?
池田 僕にとって、バレエは「楽しむもの」です。そう言うと軽く聞こえるかもしれませんが、自分がこれまで歩んできた道のりを思えば、「バレエを楽しむ」というのは決して容易いことではありません。それでも自分の中から沸き立つものがなければ、どんな役や作品を踊っても形だけのものになる。だからやっぱり、僕の場合はバレエを楽しめている時が最強です。バレエとは楽しむもの。この言葉に尽きますね。
ファンのみなさんへメッセージを。
池田 家族を守ることをいちばんの原動力にしながら、僕はこれからもバレエダンサーとして、挑戦を続けます。まだ出会っていない役にも出会いたいし、自分のスタジオの発表会等で作品を作ることもしたい。スターダンサーズ・バレエ団を退団するからといって、決して現役を引退するわけではないので、みなさんに泣いていただく必要はありません(笑)。まずは3月7日・8日の「オール・バランシン」をぜひお楽しみください。そしてその先もまた、舞台でお会いしましょう!

©Ballet Channel

公演情報

スターダンサーズ・バレエ団
「オール・バランシン」

日時

2026年

3月7日(土)14:00開演

3月8日(日)14:00開演

※13:15開場/15:45終演予定

※13:40~ 小山久美総監督によるプレトークを予定

会場

東京芸術劇場プレイハウス

詳細・問合 公演特設WEBサイト

 

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