“Contemporary Dance Lecture for Ballet Fans”
ダンスで扱う「物」たち〜舞台の上に無駄なものは何ひとつない〜
今回はダンスで使う、様々な物たちについて語っていきたい。前回の告知では「小道具」としていたが、扱う範囲がとてつもなく広がってしまったので、大道具小道具含めて述べていこう。
今日のダンスではありとあらゆる物を使う。単なる新奇さから使う物、説明として必要な物、中には新しい動きを生み出す物や、作品のテーマを左右する物もある。
扱い方も、
- 手に持ち操作しながら踊る物
- 踊りの相手として使う物
- 目に見えない物
など様々だ。
それではダンスにおける物の使い方と意義について見ていこう。
バレエにおける重要な小道具
●『ドン・キホーテ』キトリの扇子
バレエでは出演者やシーンを代表する印象的な小物が効果的に使われている。
編集部に軽い気持ちで聞いたところ、たちどころに「『眠れる森の美女』なら薔薇を王子たちから受け取りながら踊る〈ローズ・アダージオ〉があり、『ジゼル』ならばヒナギクの花で恋を占い、第2幕ではウィリとなった自分の存在を白い花で知らせます。『ラ・フィーユ・マル・ガルデ』では恋人たちがピンクのリボンで〈あやとりの踊り〉を踊り、『コッペリア』では〈麦の穂の踊り〉を踊ります。『ラ・バヤデール』のニキヤには〈花かごの踊り〉があり、『シンデレラ』には〈ほうきの踊り〉があり、『ライモンダ』や『ラ・シルフィード』には〈ヴェールの踊り〉があり……」と、怒濤の答えが返ってきた。
いやもうホントすんませんでした。
様々な象徴を小道具に託して効果的に使うのは、たしかにバレエの醍醐味のひとつといえるだろう。
なかでも『ドン・キホーテ』 のキトリが扇子を手に持って踊るのは印象的だ。
開閉の時の「シャラン!」という音は、遠く離れた客席にいても鮮やかに脳内へ響きわたる。
扇子を持って踊るダンスは日本舞踊やスペイン舞踊など珍しくはないが、キトリのダンスは独特の効果を生み出している。
というのも、バレエは基本的に身体、腕、脚のラインを見せることに主軸が置かれているので、踊りながら手のひらを使う表現は極めて限定的だからだ。
バレエで手指を使うのはほとんどマイムの表現のときであり、日本舞踊のように踊りの最中に表情を生み出すことはほぼない。
バレエの手指は、肩から腕に伸びてきた美しいラインを完成させ、さらに無限の彼方へと連結させるためにある。ちょこまかと動いては、せっかくのラインが崩れてしまうだろう。
筆者の場合「手のひらを全開にして踊るダンス」で真っ先に浮かんでくるのがモーリス・ベジャールである。逆にいえばそれ以前の振付で、手のひらを正面に見せるダンスが思い浮かばない。
これは私見であり詳細な検証が必要だが、クラシック・バレエの振付で、「観客に手のひらを見せる表現」は、(『コッペリア』など人形振りを別にすれば)ほとんどないのではないか。
それは近代以前の西洋美術(ギリシャ・ローマの彫刻でも)でも、手のひらが巧妙に隠されていることと関係しているかもしれない。
西洋では信頼を示すために握手をする。つまり手のひらとは本来、信頼を置ける相手以外には見せるべきでない大切なものだった。それがやがて「秘すべき身体の部分を大っぴらに見せるのははしたない」という感覚に育っていったのかもしれない。
で、長くなったが、キトリの扇子である。
バッと音を立てて広がる色鮮やかな扇子は、「本来は開かれることのないはずの手のひらを拡張するもの」として、極めて独特である。
「腕から伸びた先の扇の丸み」は、じつは日本の美意識にも多く見られる。
女性の和服で、背中の直線から帯への丸み、うなじの直線から日本髪の丸み。あるいは枝の先にある松の葉の丸みなどなど。
つまり腕からの直線を扇の丸みが受け止め、本来は先細りする手指を、華やかに開いていくのである。
さらには隠されるべきものを自らの意思で開いていくキトリの意志の強さ、自信満々で自らの魅力をアピールする能動的な女性の姿は、じつに魅力的だ。
むろん扇子は『ドン・キホーテ』の舞台であるスペイン舞踊でポピュラーに使われるものだが、バレエの文脈の中では、重要な役割を果たしているといえるだろう。
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