パリ・オペラ座――それは世界最古にして最高峰のバレエの殿堂。バレエを愛する私たちの聖地!
1661年に太陽王ルイ14世が創立した王立舞踊アカデミーを起源とし、360年の歴史を誇るオペラ座は、いわばバレエの歴史そのものと言えます。
「オペラ座のことなら、バレエのことなら、なんでも知りたい!」
そんなあなたのために、マニアックすぎる連載を始めます。
- 「太陽王ルイ14世の時代のオペラ座には、どんな仕事があったの?」
- 「ロマンティック・バレエで盛り上がっていた時代の、ダンサーや裏方スタッフたちのお給料は?」
- 「パリ・オペラ座バレエの舞台を初めて観た日本人は誰?」 etc…
……あまりにもマニアックな知識を授けてくださるのは、西洋音楽史(特に19〜20世紀のフランス音楽)がご専門の若き研究者、永井玉藻(ながい・たまも)さん。
ディープだからこそおもしろい、オペラ座&バレエの歴史の旅。みなさま、ぜひご一緒に!
イラスト:丸山裕子
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「あなたが親しんでいるバレエ作品で、いちばん古いものは?」と質問されたら、みなさんはどのような作品をイメージするでしょうか? 多くの方がパッと思いつくのは、《ラ・シルフィード》や《ジゼル》といった、19世紀半ばのロマンティック・バレエ作品かもしれません。
では、この2つの作品以前に初演されたバレエは、どこに行ってしまったのでしょうか? 創立以来、パリ・オペラ座は数々のバレエを世に送り出していましたが、オペラ座を含め、19世紀初頭以前のフランスで初演された作品は、残念ながら、現在では上演されなくなってしまったものがほとんどです。
ただし、それらのすべてが消えてしまったわけではありません。初演そのままの形では残らなかったにせよ、現代の私たちも知っている作品があります。それが、日本では《リーズの結婚》のタイトルで親しまれている、《ラ・フィーユ・マル・ガルデLa Fille mal gardée》。今回は19世紀初頭の資料などを参照しながら、この作品の初期のようすについてご紹介します。
1785年、《ラ・フィーユ・マル・ガルデ》世にあらわる
「ラ・フィーユ・マル・ガルデ」というタイトルの舞台作品が、最初に世の中に登場したのは、18世紀末近くの1785年、パリのファヴァール座という劇場でのことです。ただし、このとき上演されたのは、私たちが良く知るバレエではなく、「オペラ・コミック」という、オペラの一ジャンルとして、でした。
これまでの連載でも見てきたように、17世紀半ば以降のフランスで「オペラ」と呼んでいたのは、かなり大雑把にいうと、作品のすべてが音楽によって進行し、歌とバレエのシーンを含む劇作品のこと。いっぽう、18世紀の後半には、このオペラにしゃべるセリフ(地のセリフ)が加わった「オペラ・コミック」が登場しました。しゃべって歌って踊る、というのは、なんだか現代のミュージカルのようですよね。こうした作品を当時のパリで専門に上演していた劇場のひとつが、1783年までは「コメディ・イタリエンヌ座」という名前で知られていた、ファヴァール座だったのです。
このオペラ・コミック版の《ラ・フィーユ・マル・ガルデ》は1幕構成で、音楽はエジーディオ・ロムアルド・ドゥーニ(1709-1775)というイタリア人の作曲家が手がけました(ただし、「作曲」といっても彼が全曲をオリジナルで作ったのではなく、ドゥーニはそのときに流行していた歌や楽曲を繋ぎ合わせて、それに歌詞を付けたようです)。その音楽は、私たちが《ラ・フィーユ・マル・ガルデ》として知っているものとはまったく違います。というのも、バレエ版《ラ・フィーユ・マル・ガルデ》の音楽として、現在、最も良く知られているのは、フェルディナン・エロルド(エローとも、1791-1833)作曲のもの。物語も大分異なっており、歌詞の中には「ニコレット」や「リンドール」という、謎の人物名が……つまり、1785年初演のオペラ・コミック版は、同じタイトルとはいえ、音楽もストーリーも異なる、別の作品なのでした。
1789年、ドーベルヴァルの《藁のバレエ》初演
さて、ファヴァール座でオペラ・コミック《ラ・フィーユ・マル・ガルデ》がお目見えするより少し前の1783年、フランス南西部の中心都市ボルドーに、パリから一人のダンサーがやってきました。彼の名はジャン・ドーベルヴァル(1742-1806)。元・オペラ座バレエの有名ダンサーの一人であり、かつ、メートル・ド・バレエも務めた人物です。
「月の港」と呼ばれるボルドーは、古くはアキテーヌ公国の首都として栄えた、歴史ある街です。大西洋に注ぐガロンヌ川が市庁舎の前をゆったりと流れ、現在も、近隣の港町アルカションで取れる牡蠣をはじめとしたグルメと、上質のワインを楽しめる古都……その中心部には、1780年開場のボルドー大劇場があります(ちなみに、パリ・オペラ座のパレ・ガルニエの内装は金と赤を基調にしていますが、現在のボルドー大劇場はくすみブルーの座席と金の内装で、こちらもとても素敵な劇場です)。
ドーベルヴァルは、このボルドー大劇場とイギリス・ロンドンの複数の劇場を舞台に、バレエやオペラのバレエシーンの振付を行いました。そうした活動の中で生まれたのが、バレエ《藁のバレエ、または善と悪は紙一重Le Ballet de la Paille, ou Il n’est qu’un pas du mal au bien》でした。この《藁のバレエ》は1789年7月1日、パリでバスティーユ牢獄への襲撃が起こる2週間前に初演され、主役のリゾン役は、ドーベルヴァルの妻で「マダム・テオドール」と呼ばれていたマリー=マドレーヌ・クレスペ、コラン役はベルギー生まれのウジェーヌ・ユスが演じました。これが、バレエ版《ラ・フィーユ・マル・ガルデ》(《リーズの結婚》)の原点となった作品です。
……って「リゾン」と「コラン」? じつは1789年にドーベルヴァルが上演したこのバレエでは、主役カップルの役名が、現在の「リーズ」と「コーラス」ではなかったのです。とはいえ、作品のストーリーは、現代の《ラ・フィーユ・マル・ガルデ》にグッと近づきました。じつはドーベルヴァルは、ピエール=フィリップ・ショファール作の腐食銅版画『叱責、母親に非難される若い娘』からインスピレーションを受けて、このバレエのお話を作っています。腰に手を当てて怒る母親、その母親から視線をずらして(若干うるさそうにして)いる娘、その後ろにチラッと見える人影……ショファールのこの銅版画は、私たちが知る《リーズの結婚》の一場面を思わせますよね。
ピエール=フィリップ・ショファール作の腐食銅版画『叱責、母親に非難される若い娘』
初演直後から愛されるレパートリーに
ボルドーでの《藁のバレエ》の初演は大成功。当時発行されていたボルドー地域の新聞である「ジュルナル・ド・ギュイエンヌ」を見ると、この作品が初演の3ヵ月後にはすでに、大劇場で再演されていたことがわかります。いっぽう、ドーベルヴァルは《藁のバレエ》を1791年にロンドンのパンテオン・シアターでも上演し、その際に、作品のタイトルを《ラ・フィーユ・マル・ガルデ》と改めました。
これがそのボルドーの地元新聞「ジュルナル・ド・ギュイエンヌ」の紙面。ボルドー大劇場での《藁のバレエ》再演について、赤枠内に記載されています
ただし、ボルドーでは19世紀になってからも、この作品は《藁のバレエ》のタイトルでも親しまれていたようです。現在、ボルドー市立図書館には、ボルドー大劇場バレエのプルミエール・ダンスーズだったアガート・マルタンが、1818年にリゾン(リーズ)役を演じたときの版画が所蔵されているのですが、そこに書かれている作品タイトルは《藁のバレエ》のままです。
こちらが1818年にリゾン(リーズ)役を演じたアガート・マルタンの版画。絵の下に《藁のバレエ le Ballet de la Paille》と書かれているのがわかります
それにしても、この版画に描かれたアガートの姿は、現代の私たちが知るリーズ役とほぼそっくり! アガートの足元にある樽のようなものは、「バラット・ア・マン」という、昔のバター作りに欠かせない装置の一つです(アシュトン版《リーズの結婚》の第1幕で、リーズがベンチに座ってトントンするアレですね)。神話や歴史物語の登場人物たちではなく、どこにでもいたような農家の娘の姿は、当時の観客たちにはとても親しみの持てるものだったでしょう。
1828年、パリ・オペラ座版の《ラ・フィーユ・マル・ガルデ》上演
ドーベルヴァルは1806年に、フランス中部の街トゥールで亡くなります。しかし、それよりも後の日付が入る版画が作られていることからもわかるように、《藁のバレエ》改め《ラ・フィーユ・マル・ガルデ》は、ボルドーなどで繰り返し上演されるレパートリーになっていました。実際、この作品は、1828年にはパリ・オペラ座の舞台にも登場することになります。
このとき、オペラ座バレエのメートル・ド・ダンスを務めていたのは、ドーベルヴァルの弟子だったジャン=ピエール(ルイ)・オーメール(1774-1833)でした。師の傑作を上演するにあたり、オーメールは振付や音楽を変えることを決め、音楽はエロルドに託します。
作品にそんなに手を入れてしまって大丈夫……?と、現代の私たちは思ってしまいますが、オーメールによるこの上演は、《ラ・フィーユ・マル・ガルデ》の存在を今日に伝える上で、とても重要な役割を果たしました。というのも、19世紀初頭までに上演されたバレエ作品のほとんどは、今日では振付はおろか、ストーリーの細かいところすら、よく分からない状態になってしまったためです。実際、ドーベルヴァルがボルドーで上演した際の振付は残っていませんし、音楽も、全体の4分の3は消えてしまいました。そのため、オーメールが作品を作り直すことによって、少なくとも物語だけは残った、というのは、とても画期的なことだったと言えます(*)。
オーメールとエロルドの《ラ・フィーユ・マル・ガルデ》は、1828年11月17日にパリ・オペラ座で初演され、その後、1854年まではオペラ座のレパートリーとして上演され続けました。現在のパリ・オペラ座バレエが上演するフレデリック・アシュトン版は、イギリスのロイヤル・バレエで初演されたもの。オペラ座へは2007年にレパートリー入りし、これまでに5回のシーズンで上演されています。名前は変わっても、230年以上の長きにわたって観客に愛されてきた登場人物のリーズは、「ちゃんと見張られていない娘La fille mal gardée」というより、むしろ「とても愛されている娘La fille bien aimée」だ、と言えるかもしれません。
*ドーベルヴァルが《藁のバレエ》を初演したのは1789年。その弟子オーメールによる《ラ・フィーユ・マル・ガルデ》初演は1828年。その間はわずか39年ほどであり、しかもドーベルヴァルの死後も繰り返し上演される人気レパートリーでもあったのに、なぜオーメールは振付も音楽も新たに作り直したのでしょうか?
この点については、ピエール・ヴィダルという研究者の指摘が参考になるでしょう。ヴィダルはこの時代について、
・「レパートリーを踊りついでいく」という考え方がまだ薄かった
・振付家が他者の作品にあまり関心を持たなかった
ということを説明しています。オーメールたち 19世紀初頭の振付家たちにとっては、振付だけでなく物語を作るのも仕事のうちで、さらに(とくにオペラ座は)新作主義の劇場でした。つまり、その時在籍しているメートル・ド・バレエの作品を上演するのがルールだったので、オーメールにとっては、音楽や振付を新しくすることは振付家としては当たり前、という感覚だったと考えられます。そしてその意味では、オーメールが物語まで変えてしまってもおかしくなかったのに、むしろそこはそのまま残したということが、非常に画期的だったと言えます。
ただ、《藁のバレエ》がボルドーでドーベルヴァルの死後も踊られていたことを考えると、このヴィダルの指摘は、《リーズ》の場合には完全には当てはまらないのかもしれません。少なくとも1818年まではボルドーで《藁のバレエ》というドーベルヴァル原作の作品を上演し続けていたわけですから。しかし、真相はまだ闇の中。残念なことに、ボルドー市立図書館はドーベルヴァルの振付に関する資料を所蔵しておらず、今のところ、《藁のバレエ》についてはヴァイオリンの譜面の一部しか残っていないそうです。
★次回は2022年7月5日(火)更新予定です
参考資料
Calamy, Pierre-Godefroy. Journal de Guienne n°277, daté du 4 octobre 1789. Bibliothèque municipale de Bordeaux, H 3442/11 Rés.
https://selene.bordeaux.fr/notice?id=h%3A%3ABordeauxPA_7237&locale=fr
Choffard, Pierre-Philippe. La Reprimande/Une Jeune Fille Querrillée Par sa Mère, eau-forte d’après la peinture « La Paysanne querellée par sa mère » de Pierre-Antoine Baudouin.
Duni, Egidio. La Fille mal gardée, comédie en un acte. F-Pn : IFN-9067426.
Hérold, Ferdinand. La Fille mal gardée, ballet pantomime en 2 actes. Partition d’orchestre. F-Pn : IFN-10551336.
Galard, Gustave de. Mme Agathe Martin, première danseuse [au Grand-Théâtre de Bordeaux] dans le ballet de la paille. Estampes. Bibliothèque municipale de Bordeaux, Del. Carton 136 suite/22 (3).
https://selene.bordeaux.fr/notice?id=h%3A%3ABordeauxS_B330636101_DP136_suite_022_03&locale=fr
Auclair, Mathias et Ghristi, Christophe (dir.) 2013. Le Ballet de l’Opéra, Trois siècles de suprématie depuis Louis XIV. Paris, Albin Michel.