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【特集:DDD2021】小林十市×金森穣クロストーク〈後編〉〜舞台の幕が下りた時、「終わり」ではなく「始まり」になる作品に

阿部さや子 Sayako ABE

2021年8月末より、横浜の街や劇場を舞台に約2ヵ月半にわたって様々なステージが繰り広げられてきたDance Dance Dance @ YOKOHAMA 2021(DDD2021)

そのクロージングを飾るのは、同フェスティバルのディレクター・小林十市が、振付家・金森穣率いるNoism Company Niigataと初共演する注目の舞台「Noism Company Niigata × 小林十市『A JOURNEY〜記憶の中の記憶へ』」です。

20世紀を代表する巨匠振付家モーリス・ベジャールのバレエ団〈ベジャール・バレエ・ローザンヌ(BBL)〉のスターダンサーとして活躍した小林十市。
ベジャールが創設したバレエ学校〈ルードラ・ベジャール・ローザンヌ〉に1期生として入学し、若き日にその薫陶を受けた金森穣。
ベジャールという巨星のもとで出会ったふたりが、約30年の時を超えて、今回初共演を果たします。

金森が「永遠の兄」と慕う小林のために、ベジャールの記憶を軸にして本作を演出振付。
10月初旬、Noismの拠点であるりゅーとぴあ新潟市民芸術文化会館で行われていたリハーサルのあと、小林十市・金森穣の両氏にお話を聞きました。

【特集:DDD2021】小林十市×金森穣クロストーク〈前編〉「十市さんの身体は、自分が思うよりも踊っているし、語っている」はこちら

写真左から:金森穣、小林十市 ©️Ryu Endo

悲しみも怒りも最後には笑い飛ばす……十市さんには「道化」のような強さがある

小林十市さんと金森穣さんの出会いは1992年。十市さんがベジャール・バレエ(BBL)に入団して3年目、22歳の時にベジャールが付設のバレエ学校「ルードラ」を設立。その1期生として入学してきたのが当時17歳の穣さんで、それがふたりの初めての出会いだったとのことですね。
小林 穣くんは僕にとって初めての日本人の後輩と言えば後輩なんですけど、当時はベジャールさんが若手の育成に本気で力を注ぎ始めた時期で、カンパニーと学校を同等に位置づけて互いに競わせ、切磋琢磨しながら向上させようとしていました。だから「カンパニーが上、学校が下」という感覚もなかったし、穣くんたち1期生のことを「後輩」という目ではあまり見ていなかった。むしろルードラの学生たちは、クラシックやモダンの授業はもちろん、演劇、声楽、剣道など幅広いカリキュラムで学んでいたし、創作も積極的にやっていたでしょう? 言ってみればベジャール作品しか踊っていない僕らカンパニーのダンサーからすると、学生たちのほうが創造性豊かだし、彼ら独自の世界観というものがすでに構築されつつあると感じていました。

金森 ……と十市さんは言ってくれるけど、実際の俺は右も左も分からず不安でいっぱい。自分の世界もへったくれもありませんでしたよ。何しろ俺は15歳で高校を辞めて入団した牧阿佐美バレヱ団でアザーリ・プリセツキー先生に出会い、ルードラを勧められて、「ベジャールって誰ですか?! でもとにかく海外に出たいので行きます!」と、それだけで留学を決めた人だったから(笑)。だけどいざ入学したら、周りは「ベジャールのもとで学びたい、踊りたい」という野心や志の塊みたいな学生たちばかりだったから、それはもう大変でしたよ。本当に必死。

小林 「自分たちで創る」ということができる穣くんたちのほうが、自立したアーティストだと僕は見ていたんだけど。

金森 当時はまだ言葉もできず、ベジャールさんのこともよくわかっておらず、いつも心細くて必死だった俺とは対照的に、十市さんはスターダンサーとして舞台で踊りまくっていたわけですよ。それはもう、年齢差が5歳とは思えないくらい、はるか上の存在に見えました。

小林 お互いに忙しかったから常時一緒にいたわけではなかったけれど、息抜きに食事とかはよく行っていたよね。

金森 十市さんにとっては「息抜き」だけど、俺にとっては地獄に垂らされた「蜘蛛の糸」のようでしたよ(笑)。孤独で「もう無理だ!」となった時に限って、たまたまなんだろうけど食事に誘ってくれたり、日本の音楽の入ったカセットテープやテレビ番組を録画したビデオテープを持ってきてくれたり。だから俺にとって十市さんは大恩人。本当にどれだけ救われたことか。

©️Ryu Endo

そうして出会ったおふたりが、約30年の時を超えて初共演するのが今回の『A JOURNEY〜記憶の中の記憶へ』ですね。この作品は二部構成で、一部はまずオープニングに続いて、十市さんと穣さんがギリシャの作曲家マノス・ハジダキスの音楽で踊るデュオ「追憶のギリシャ」、次にNoism 0+1のみなさんと十市さんの『BOLERO 2020』。そして休憩をはさみ、二部はユーグ・ル・バールの音楽で綴る「The 80’s Ghosts」とのことですね。
金森 一部はまず俺が十市さんと2人で踊り、そこに佐和子が加わり3人になって、次にNoismのメンバーたちが加わって、いわば十市さんにどんどん薪をくべていく。そうして十市さんの中に熱いものを作ってもらって二部へと向かうというイメージです。

「追憶のギリシャ」は、今回ベジャールと親交の深かったハジダキスの楽曲をいろいろリサーチしていたらすごくいい曲を見つけて、「ああ、これを十市さんと踊りたい!」と思って振付けたデュオです。また『BOLERO 2020』は昨年映像舞踊として発表したもので、コロナ禍で稽古もできず、踊りと向き合うこともできなくて、個々が悶々と過ごした苦しい日々をテーマにした作品。そこに込められた舞踊家たちの不安や憤りや祈りといったエネルギーを、ドーン!と十市さんにぶつけたくて選びました。

ベジャールの『ボレロ』が赤い円卓の中央に立つ1人の「メロディ」を中心としているのに対し、Noismのオリジナルの『BOLERO 2020』には中心がいません。だけど今回は、十市さんがその中心に立ちます。Noismのメンバーたちは、ダメな自分、弱い自分と葛藤しながら、それでも日々踊り続けている。いっぽう十市さんは、誤解を恐れずに言えば、致し方ない理由だったとはいえ一度は舞踊を手放した。つい最近まで一線を退いていた十市さんが、現役で絶えずエネルギーを燃やし続けている舞踊家たちといきなりひとりで対峙するのは、じつは決して簡単なことではありません。それでも、そのエネルギーを十市さんに全身で浴びてもらいたい。そして十市さんに全霊で踊ってもらいたいと思っています。

小林 『BOLERO 2020』を通すのはこれからだけど、若い子たちのエネルギーは日々感じている。その中に入って、少なくとも彼らと同じレベル、できればそれ以上の熱量で応えなくてはいけないと思っています。

金森 Noismの『BOLERO』の真ん中に立つって、本当にもう、立つだけで大変だと思う。だけど十市さんには絶対にできる。なぜならばベジャール自身のもとであれだけの経験を積んできた人であり、それは魂が覚えているはずだから。あとは、乗り物としての肉体、50代を迎えた今の身体を、どう乗りこなすか。それだけだと思う。

©️Ryu Endo

そして二部の「The 80’s Ghosts」は、やはりベジャールが好んで使用したユーグ・ル・バールの音楽を全編にわたって使用した作品。十市さんがピエロの姿になったり、明るくユーモラスなシーンもあれば切なくなるシーンもあったりと、これまで観たNoismのどの作品とも違う雰囲気を感じました。
金森 それが俺の記憶の中の十市さんだから。俺がつらかった時、十市さんはいつも笑顔だったし、明るかったし、優しかった。そして舞台の上ではいつも光り輝いていていました。ベジャール作品においても、寂しさや悲しさを全部笑い飛ばすような、道化的な役を踊っていた十市さんが、俺の記憶には刻まれています。でも、これは想像だけど、もしかしたらその後の人生には、そんなふうに笑い飛ばす強さを失ってしまった瞬間もあるのかもしれない。そうした記憶や想像の中の十市さんを描いたのが「The 80’s Ghosts」です。
穣さんがご自身のTwitterでも「十市さんは私にとって、深い悲しみを笑い飛ばし、重苦しい現実を軽やかに飛び回る、道化師だから」と書かれているのを読み、ハッとしました。毎月の連載エッセイで知る十市さんにも、確かにそういう面があるなと。
金森 真剣な話になると、絶対にふざけて笑い飛ばすでしょう?

小林 「北斗の拳」のケンシロウみたいなものですよ。悲しみを知っている男ほど強いという(笑)。

金森 ほら、必ずこうやって外すの(笑)。でももうひとつ、今回初めて気づいたことがある。それは、十市さんはやはり「柳家小さん」の孫だということ。落語なんですよ、生き方そのものが。悲しみとか怒りとか人間の業みたいなものは十市さんの中にも絶対にあるんだけど、最後はすべて笑い飛ばしてしまう強さ。それは道化的でもあるけれど、それ以上に落語的だと思う。だから今回の衣裳は着物にしたほうが良かったのかもしれない(笑)。

小林 (笑)

先月の連載で、十市さんは「穣くんは僕の踊りをどう思っているんだろう? 聞くのは怖いし、穣くんだって聞かれても困るだろう」と書いていました。そこで思いきって伺いますが、穣さんはこの作品における十市さんのパフォーマンスをどう感じていますか?
金森 これは十市さんに限らずどんな舞踊家に対しても同じなのですが、作品を創っている時はある種の妄想に取り憑かれていて、その妄想には終わりもゴールもありません。妄想の中の舞踊家に対しては永遠に満足することがなく、もっとこうできるんじゃないか、もっと、もっと……と常に求め続けています。だからいま十市さんがここまできている時点で俺はすごく嬉しいけれど、いっぽうで十市さんにはもっとこんなことを味わってほしい、十市さんと一緒にもっとこんなことを味わいたい……とも思っている。十市さんがやってくれればくれるほど、求める領域がどんどん広がるんです。だから「十市さん、もうこれでOKです」とは言えない。
それだけ、まだまだ可能性を感じるということですね。
金森 感じます。これから十市さんがもっと踊り続けたら、もっといろんなことができる。だからこの『A JOURNEY〜記憶の中の記憶へ』を、「始まり」の作品にしたいと思っています。今回はそれが重要なことで、十市さんとNoismが出会って、舞台の幕が降りたら「終わり」になるのではなく、「始まり」になる作品にしたい。十市さんの舞台活動がここ日本から再び始まる、その出発点になれば本望です。

©️Ryu Endo

先ほどのリハーサルで二部のラストシーンも見せていただきましたが、十市さんと穣さんのやりとりに、思わずこみ上げてくるものがありました。あの場面には、そのような意味が込められているのですね。十市さんは、この作品を踊っていて、どんなことを感じますか?
小林 僕自身はまだ動きを身体に入れることに追われているし、全体の流れについても不確かなところが残っている段階。でもこの作品の稽古をしていると、「生きるってこういうことだな」と感じる。毎回、今できることを全力でやる。僕はそれが好きなんだなとつくづく思います。

金森 この作品は十市さんの「旅(Journey)」です。つまり十市さんの視点ですべてのことが起こるので、十市さんがこの旅を丸ごと体験した時に何を感じるか。それを観るのが俺も楽しみです。

最後の質問です。今あらためて感じている、お互いのダンサー/振付家としての魅力とは?
金森 十市さんは、やっぱり“ベジャールダンサー”だなと思う。間(ま)、リズム、眼差し、舞台での居方……すべてがやはり“ベジャール”なんです。とくにいいなと思うのが「目」。そこに居て、人の目を見る、空間を見る。空(くう)に何かを見つける、目で語る。それは意外と誰にでもできることじゃない。

小林 「エリア50代」で踊っていて、思ったんですよ。舞台に立って、暗い客席のどこか奥のほうを見て何かを探すのが、自分は好きなのだと。具体的な何かが見えているわけじゃないけれど、暗闇の奥をずっと探しているあの感覚がすごく好き。

金森 十市さんはもしかすると、これから次のステップに行くためには「元ベジャール・バレエの小林十市」を脱ぎ捨てて、「ダンサー・小林十市」にならなくてはいけないと思っているかもしれない。でも、十市さんにとって「ベジャールダンサーである」ということは、大きな魅力であり、能力ですよ。

小林 穣くんはこの4〜5年はベジャールさんを意識していると言っていて、確かに今回の振付でも、僕には「ああ、それはよくわかる」と思えるところがたくさんある。だから踊りにスコーン!と集中できるんですよね。そして何といっても穣くんは身体がキレるので、見て学んでいるところも大いにあります。

金森 俺は、身体はキリアン、精神はベジャールだから(笑)。

小林 そして穣くんの振付には、ダンサーに「これ踊りたい!」と思わせる力がある。とくにユニゾンとかものすごくかっこよくて、「そりゃあ若い子たちはみんなNoismに入りたいと思うよな」と。穣くんが今、僕のために作品を創ってくれていて、若い世代と一緒に踊ることができ、ダンサーとしての再出発の背中を押してもらっている。それは本当にすごいことだと思うし、感謝しています。

©️Ryu Endo

【Column】Noismのメンバーに聞きました!
“ダンサー・小林十市”と一緒に踊って感じること

●井本星那 Sena IMOTO(Noism 1)

©️Noriki Matsuzaki

小林十市さんと言えば、私にとっては雑誌やビデオで見ていた大スター。初めてNoismのスタジオにいらした時は、「本当に実在していたんだ……!」と思いました(笑)。私はNoismに入って今6年目のシーズンに入ったところですが、今回は十市さんという一人の舞踊家のために創られている作品だからこそ、これまで踊ったことのないスペシャルな経験ができているとも感じます。
私は今回残念ながら十市さんと大きく絡むパートはないのですが、佐和子さんのアンダースタディをさせていただいているので、一度だけリハーサルで十市さんと組むことができたんです。十市さんの手を取った時、体の芯が強く通っているのを感じ、驚きました。私の身体がシャキン!となるような感覚で、長いブランクがあるなんて信じられませんでした。
他にも作品に対する向き合い方や稽古に向かう姿勢など、私たちが十市さんから学ぶべきことはたくさんあるなと思います。人生の先輩としても舞踊の先輩としても、勉強させていただいています。

●三好綾音 Rio MIYOSHI(Noism 1)

©️Noriki Matsuzaki

私の母がベジャールのファンで、まだ小さい子どもだった私にベジャール版『くるみ割り人形』のDVDを買ってくれたんです。いろいろなキャラクターが登場するなかで、幼いながらにすごく惹きつけられたのが猫のフェリックス。十市さんはそれを踊っている人として鮮明に記憶していたので、今リハーサルしていても、ふと我に返ると「あの十市さんと私が一緒に踊れているなんて、おかしくない?!」と思ってしまいます(笑)。
舞踊家としての十市さんを目の当たりにして感じるのは、集中力が違うということ。とくに目の強さが圧倒的で、振付の中で目を合わせるたびにハッとします。私たち舞踊家はいろいろなことを考えながら踊るので、相手を見ているけど見ていない、ということがよくあるんです。でも、そこが十市さんはすごく違う。やはり集中力なのだと思います。
いまは十市さんも調整しながら稽古していらっしゃいますが、これが本番の舞台ではどうなるのか……もちろん自分も負けないように頑張りますが、十市さんや穣さんや佐和子さんの強い集中力に思いきり引っ張られるのが楽しみです。

●中尾洸太 Kota NAKAO(Noism 1)

©️Noriki Matsuzaki

僕がNoismを志したのは、踊ること以上に振付に興味があったから。金森穣という振付家がどう作品を創っているのか、そのプロセスを間近で見たいと思ったからです。これまで見てきたどの振付家よりも、穣さんの作品はカラフルで、作品ごとにまるで違う作家の違う本を読んでいるみたいな印象を受ける。今回の作品もまた、本当にガラリと違うんですよ。
十市さんは、舞台にいるのがとても自然。何かを作り込んで舞台に立つというよりも、自然にそこに立つことができる人というふうに僕は感じます。そして、自分が今やっていることを心から愛して、踊ることを心から楽しんでいるように見える。それは舞踊家としての芯なのか、それとも経験からくる自信なのか……明らかに、今の僕には出せない存在感というものがあります。僕自身の舞踊家としての目標は、自分で自分の踊りを愛せるようになること。その意味でも、今回目の当たりにしていることを、しっかり心に留めておきたいと思います。

公演情報

Noism × 小林十市 『A JOURNEY〜記憶の中の記憶へ』

【日時】
2021年10月16日(土)17:00開演
2021年10月17日(日)16:00開演
上演時間:約70分(休憩あり)

【会場】KAAT神奈川芸術劇場〈ホール〉

【詳細】https://dance-yokohama.jp/ddd2021/noism/

Dance Dance Dance @ YOKOHAMA 2021

【会期】2021年8月28日(土)~10月17日(日)

【会場】横浜市内全域〈横浜のそのものが舞台〉

【ジャンル】バレエ、コンテンポラリー 、ストリート、ソシアル、チア、日本舞踊、フラ・ポリネシアン、盆踊りなどオールジャンル

【プログラム数】約200

【ディレクター】小林十市

【主催】横浜アーツフェスティバル実行委員会

【共催】横浜市、公益財団法人横浜市芸術文化振興財団

【詳細】https://dance-yokohama.jp/

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