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【第23回】ウィーンのバレエピアニスト 〜滝澤志野の音楽日記〜「白鳥の湖」を弾くこと。

滝澤 志野

ウィーン国立バレエ専属ピアニストとして、バレエダンサーを音楽の力で支えている滝澤志野さん。
彼女は日々の稽古場で、どんな思いを込め、どんな音楽を奏でているのでしょうか。

“バレエピアニスト”というプロフェッショナルから見たヨーロッパのバレエやダンサーの“いま”について、志野さん自身の言葉で綴っていただく月1連載。
日記の最後には、志野さんがバレエ団で弾いている曲の中から“今月の1曲”を選び、バレエチャンネルをご覧のみなさんのためだけに演奏した動画も掲載します。

美しいピアノの音色とともに、ぜひお楽しみください。

「白鳥の湖」を弾く

2021年3月。日本から美しい桜便りが届いているのに、ウィーンでは毎日雪がちらついていて、いつになく長く暗く感じるこの冬、少なくとも5月まで6ヵ月間の公演中止が決定してしまいました……。が、かすかな希望の芽を確かめあうように、稽古場では新たな3作品のリハーサルが始まりました。そのうちのひとつが5月に上演予定の『白鳥の湖』。

『白鳥』という作品は稽古場での思い出も多く、いろんな想いが胸によぎります。なので、今回は『白鳥の湖』にまつわる思い出や、自分の想いを書いてみたいと思います。

幾度となく『白鳥』の稽古に参加してきましたが、これまで私はずっと主役組やその他ソリストの稽古を担当していて、群舞の稽古を弾いたことがありませんでした。ですが、今シーズン初めて群舞のシーンも弾く機会に恵まれたのです。バレエピアニストとして約20年稽古場で弾いてきて、ここへきてやっと辿り着いた白鳥コール・ド!

「白鳥の湖」の稽古

バレエ・ブランの真骨頂とも言える情景。そこに身を置いて覚える、静かな感動……。

ああ、私は稽古場で味わう清らかで静謐な時間を愛しているのだな、とあらためて思います。この、あまりにも有名なシーンを稽古場で弾いていると、チャイコフスキーには作曲する前からその振付が見えていたような気すらしてきます。

「白鳥の湖」が作られた時代の奇跡

1877年にボリショイ劇場で初演された当時、大成功を収めたとは言えず、たった2年でお蔵入りとなってしまった『白鳥の湖』。その後1895年、マリインスキー劇場にて、プティパとイワーノフがあらためて振付し、作品に息吹を吹き込みました。その版が今日に残る不朽の名作として、クラシック・バレエ芸術の頂点として、観る者を魅了し続けています。

プティパ・イワーノフ版では、1幕3幕をプティパが、2幕4幕をイワーノフが振付しています。そのため様式や魅せ方がそれぞれに異なっていて、同じ作品の中なのに随分違う個性を放っているように感じられます(だからこそ、幕ごとの個性が際立っていて素敵)。プティパは演劇的要素をマイムで表現し、踊りの部分は様式美に徹しているところがあります。いっぽうイワーノフの振付には、踊りと感情が直結した物語性があるように感じます。私は断然イワーノフ派! 彼の情緒あふれる振付は、踊る者、観る者をその世界に連れていってくれる気がします。踊りの情感が伝わってくるので、ピアニストとしても弾きやすいのです。

フランス人のプティパとロシア人のチャイコフスキーという二人の天才のタッグがあったからこそ、『白鳥の湖』『眠れる森の美女』『くるみ割り人形』という三大バレエがこの世に残されることになったのであり、そこにイワーノフもいたという、ロシアのこの時代の奇跡を思うと感慨深いです。

ヌレエフ初演50周年記念公演「白鳥の湖」のカーテンコール

ウィーンのヌレエフ版

ウィーンの『白鳥』は、1964年にヌレエフがウィーンで作った“ヌレエフ初演版”(ヌレエフみずからマーゴ・フォンテーンと初演を踊った)を上演しています。スーパースターだったヌレエフが王子役の見せ場をこれでもかと盛り込んでおり、数年後に改訂されてパリ・オペラ座で初演されたものが有名ですが、ウィーンは原典版を上演しています。なので、ウィーンの『白鳥』の稽古では、オデット/オディール役よりも、王子役のダンサーが苦境を乗り越え、限界に挑戦しているという印象があるのです。(他の劇場で上演されているヌレエフ版との違いは、例えば、1幕のパ・ド・トロワが王子を含むパ・ド・サンクだったり、3幕の黒鳥のグラン・パ・ド・ドゥは全曲違う曲で踊られていたりします)

ウィーンヌレエフ版「黒鳥のパ・ド・ドゥ」アダージオの楽譜。「チャイコフスキー・パ・ド・ドゥ」の曲として有名ですが、原曲は「白鳥の湖」です

ウィーンでヌレエフが活躍した数十年後、彼に育てられたマニュエル・ルグリが芸術監督に就任し、ヌレエフ作品の真髄を10年に渡って伝えて文化の継承をしたということは、最高に幸福な巡り合わせでした。『ドン・キホーテ』『くるみ割り人形』『白鳥』『ライモンダ』のヌレエフ全幕4作品をレパートリーとし、年に一度の「ヌレエフ・ガラ」を上演した、あの輝いた日々! ヌレエフ作品を上演する時は、パリ・オペラ座の関係者が指導しに来てくださっていたし、ルグリ監督も毎日ほぼ朝から晩まで惜しみない愛情で指導にあたってくれました。

稽古場にて

かつて、英国ロイヤル・バレエのワディム・ムンタギロフ、ボリショイバレエ団のセミョーン・チュージンがゲストとして『白鳥』を踊りに来てくださった時。ゲストダンサーを招く時は、ある程度それぞれのスタイルで踊ってもらうのが常のように思うのですが、それがヌレエフ版だった場合、ルグリ監督はゲストにも徹底的にヌレエフの真髄を叩き込みます。その熱血指導に、まるでバレエ学校の生徒のように耳を傾け、全身全霊で応えようとしていた彼らを思いだします。

ウィーンで「白鳥」の稽古に励むオルガ・スミルノワとセミョーン・チュージン

セミョーンもマリアネラもワディムもオルガもそう。謙虚で真摯で素直で勤勉でハートが強い。ひたすら深くひたすら上を目指す。アーティストとしての器がどれだけ大きいのかと感嘆させられたことを覚えています。その頃の私は自分の仕事ぶりに自信が持てなくて、ダンサーのひと言や自分のピアノにいちいち落ち込んでは引きずっていた時期でした。そんな自分に、世界の頂点にいる彼らが、芸術家としての生き様を稽古場で見せてくれた……。「落ちこんでいる暇はない。一歩でも前へ進む」

ルグリに「白鳥」の指導を受ける、マリアネラ・ヌニェスとステファン・ビュリヨン

マリアネラ・ヌニェス、ワディム・ムンタギロフ

今や世界のトップダンサーであるワディムに、まるで小さな生徒に教えるように丁寧にアン・オーの形を指導する監督。こんな光景がとても眩しくて、胸がいっぱいになるのです。

「白鳥の湖」の稽古後に

Dear チャイコフスキー

『白鳥の湖』という作品は、ダンサーにとって格別に大切なものだと思いますが、それはバレエピアニストにとっても同じです。この作品に多くのことを教わり、糧を頂き続けるバイブルのようなものかもしれません(『眠りの森の美女』や『ジゼル』もそうですが)。チャイコフスキーが書いた手書きの楽譜に全幕すべて目を通してみたら、そこにはたくさんの気づきがあり、作り手の意図が見えてくる気がします。バレエの奥義が隠されているとも思いました。いま、『白鳥の湖』の稽古場で、ダンサーと過ごす時間のなかでも日々学びをもらっています。

昨夏に録音したオール・チャイコフスキーのレッスンCDが、来月いよいよ発売になります。私はやっぱりチャイコフスキーを敬愛しているとあらためて思うのです。一生彼の背中を追い続け、教えを乞い続けたいと……まるであの世にいってしまわれた恩師のような感覚で、その音楽に接しています。新譜には「Dear Tchaikovsky」という素敵なタイトルをつけていただきました。どうしてこんなに私の気持ちを汲み取っていただけるのでしょうか! このCDはまさに、敬愛するチャイコフスキーへ宛てた私からの手紙のようなもの。会ったことも話したこともなくても、寄り添うことができる。誰かのそばにいるということは、もしかすると、そばにいても遠くにいても、生きていても死んでいても、変わらないのかもしれない。チャイコフスキーが、プティパが、イワーノフが、ヌレエフが……偉大な先人たちが到達した頂を見上げながら、今日も稽古場で『白鳥』を弾いています。

今月の1曲

『白鳥の湖』から何を弾こうと考えた時、ヌレエフ版4幕の静かで耽美的な美も捨てがたかったのですが、やはり2幕を外すことはできないでしょう! オデットと王子のアダージオを弾くことにします。ヌレエフもイワーノフの振付をほぼそのまま踏襲していて、世界じゅうのバレエファンに愛され続けている名シーン。繊細なヴァイオリン・ソロがオデットの心情を表していますが、やがてそこにチェロが加わり二重奏となります。二人の心が重なる瞬間が見事に音楽で表現されているので、どうぞ味わってみてくださいね。

2021年3月27日 滝澤志野

★次回更新は2021年4月20日(火)の予定です

2021年4月発売予定!

Dear Tchaikovsky(ディア・チャイコフスキー)〜Music for Ballet Class
ウィーン国立バレエ専属ピアニスト 滝澤志野

ベストセラーCD「ドラマティック・ミュージック・フォー・バレエ・クラス」でおなじみ、ウィーン国立バレエ専属ピアニスト・滝澤志野の新シリーズ・レッスンCDが誕生!
バレエで最も重要な作曲家、チャイコフスキーの美しき名曲ばかりを集めてクラス用にアレンジ。
バレエ音楽はもちろん、オペラ、管弦楽、ピアノ小品etc….
心揺さぶられるメロディで踊る、幸福な時間(ひととき)を。

●ピアノ演奏:滝澤志野
●監修:永橋あゆみ(谷桃子バレエ団 プリンシパル)
●発売元:新書館
●価格:3,960円(税込)

★収録曲など詳細はこちらをご覧ください

 

ドラマティック・ミュージック・フォー・バレエ・クラス1&2&3 滝澤志野  Dramatic Music for Ballet Class Shino Takizawa (CD)
バレエショップを中心にベストセラーとなっている、滝澤志野さんのレッスンCD。Vol.1では「椿姫」「オネーギン」「ロミオとジュリエット」「マノン」「マイヤリング」など、ドラマティック・バレエ作品の曲を中心にアレンジ。Vol.2には「白鳥の湖」「眠れる森の美女」「オネーギン」「シルヴィア」「アザー・ダンス」などを収録。Vol.3ではおなじみのバレエ曲のほか「ミー&マイガール」や「シカゴ」といったミュージカルナンバーや「リベルタンゴ」など、ウィーンのダンサーたちのお気に入りの曲をセレクト。ピアノの生演奏でレッスンしているかのような臨場感あふれるサウンドにこだわった、初・中級からプロフェッショナル・レベルまで使用可能なレッスン曲集です。
●ピアノ演奏:滝澤志野
●Vol.2、Vol.3監修:永橋あゆみ(谷桃子バレエ団 プリンシパル)
●発売元:新書館
●価格:各3,960円(税込)

この記事を書いた人 このライターの記事一覧

大阪府出身。桐朋学園大学短期大学部ピアノ専攻卒業、同学部専攻科修了。2004年より新国立劇場バレエ団のピアニスト。2011年よりウィーン国立バレエ専属ピアニストに就任。 レッスンCD「Dramatic Music for Ballet Class」Vol.1、2、3、「Dear Tchaikovsky~Music for Ballet Class」、「Dear Chopin〜Music for Ballet Class」をリリース(共に新書館)。国内のバレエショップを中心にベストセラーとなっている。2023年7月大阪・東京で初のピアノソロリサイタルを開催。初のピアノソロアルバム「Brilliance of Ballet Music~バレエ音楽の輝き」も同時発売。

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