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英国バレエ通信〈第38回〉スコティッシュ・バレエ「コッペリア」

實川 絢子

鑑賞ファンにも、バレエ留学を志す若いダンサーたちにも、圧倒的に人気のある国ーー英国。
現地で話題の公演や、街の人々の”バレエ事情”などについて、ロンドン在住の舞踊ライター・實川絢子さんに月1回レポートしていただきます。

スコティッシュ・バレエ「コッペリア」

英国5大バレエ団の中で最も小規模ながら、強烈な個性を持ったカンパニーが、スコティッシュ・バレエだ。『クルーシブル(るつぼ)』(アーサー・ミラー原作、ヘレン・ピケット振付、2019年初演)や欲望という名の電車』(テネシー・ウィリアムズ原作、アナベル・ロペス・オチョア振付、2015年初演)をはじめとする演劇性の高いフルレングス作品の創作、そして女性振付家を積極的に登用することで知られている。ジーン・ケリーの振付を復元して話題をさらったダンス映画『スターストラック ~ジーン・ケリー バレエへのラブレター~』(2021年)も記憶に新しい。今回2023年3月2日〜5日にロンドンのサドラーズ・ウェルズ劇場で上演された『コッペリア』もまた、そんなスコティッシュ・バレエらしいエッジの効いた新作だ。

スコティッシュ・バレエ『コッペリア』コンスタンス・デヴェルネイ=ローレンス Photograph by Andy Ross

昨年夏のエディンバラ・フェスティバルで初演され大ヒットとなったこの作品は、ロンドン公演も連日完売の大盛況。1870年初演のアルチュール・サン=レオン原振付による『コッペリア』の物語の舞台は現代のシリコンバレーに、そしてコッペリウス博士はNuLifeというテクノロジー企業のCEO、そして人形コッペリアはAIという設定に移し替えられ、さらにライブカメラを使用したデジタル技術を駆使した演出が、これ以上ないほど〈今〉なバレエを生み出した。

振付を手がけたのは、ジェシカ・ライトモーガン・ルナカー=テンプル。通称ジェス&モーグスとして活動するセントラル・スクール・オブ・バレエの同級生同士のふたりは、昨年バーミンガム・ロイヤル・バレエに振付けた『ホテル』をはじめ、ダンスと最新映像技術をクロスオーバーさせる作品で知られている。

スワニルダはジャーナリストという設定で、最先端のAI〈コッペリア〉に肉体を与えようと試みるコッペリウス博士を取材するため、恋人フランツを連れてNuLifeの研究所を訪れる。音楽の代わりに、劇作家ジェフ・ジェームズが書いた台詞が淡々と読まれる中、言葉をエッジィな身体の動きで大袈裟に表現してみせるインタビューの場面は、クリスタル・パイト振付『リヴァイザー/検察官』を彷彿とさせるもの。さらに、カメラを持ったダンサーがコッペリウス博士を追いかけてライブ撮影を行い、それが舞台上のモニターに映し出されるという演出によって、観客は常に、それがすでに録画済みの映像なのか、今起こっているリアルな映像なのかという問いを突きつけられる。「観客には、必ずしもそれがどちらかわかりません。何かがおかしいという違和感と、どこか不気味な感じを表現するため、言葉にしがたい表現を追求しました」とライトは語る。

スコティッシュ・バレエ『コッペリア』ブルーノ・ミッキアルディ Photograph by Andy Ross

スコティッシュ・バレエ『コッペリア』コンスタンス・デヴェルネイ=ローレンス Photograph by Andy Ross

そんな〈不気味な感じ〉を全身で体現するのが、昨年プリンシパルに昇進したブルーノ・ミッキアルディ演じるコッペリウス博士。タイトな黒のタートルネックセーターを着て、ダンスの合間に髪を撫でつけて自信たっぷりの笑みを浮かべ、社員を従えて「江南スタイル」風のパーティーダンスに興じたり、ワイヤレスイヤホンをつけてボクササイズに励んだりする姿は、イーロン・マスク氏をはじめとする実在の起業家のカリカチュアのよう。

スコティッシュ・バレエ『コッペリア』ブルーノ・ミッキアルディ Photograph by Andy Ross

スコティッシュ・バレエ『コッペリア』Photograph by Andy Ross

好奇心いっぱいのジャーナリスト、スワニルダ役を踊ったのは、大きな瞳が表情豊かなプリンシパルのコンスタンス・デヴェルネイ=ローレンス。インタビュー初日のコッペリアのデモンストレーションが失敗に終わり、研究所に泊まることになった彼女は、夜に部屋を抜け出してAI〈コッペリア〉の秘密を探る。スクリーンに映し出されていたAI〈コッペリア〉の肉体となったスワニルダは、傲慢で暴走をやめないコッペリウス博士を騙し、制裁を与える。ピンクのボブヘアにアンドロイド風の露出の多い衣裳というアニメキャラクターのような〈コッペリア〉は、男性の欲望の象徴であるだけでなく、スワニルダの奥底に眠っていた彼女自身の別の顔なのかもしれない。

スコティッシュ・バレエ『コッペリア』コンスタンス・デヴェルネイ=ローレンス Photograph by Andy Ross

スコティッシュ・バレエ『コッペリア』Photograph by Andy Ross

スコティッシュ・バレエ『コッペリア』Photograph by Andy Ross

振付の基盤にあるのはクラシックのステップだが、クラシック・バレエ作品としての『コッペリア』の振付はどこにも使用されていない。その代わりに、ミカエル・カールソンとマイケル・P・アトキンソンによる音楽のなかに、レオ・ドリーブによるお馴染みのメロディーが断片的に用いられる。コッペリウス博士が、ドリーブの音楽を大音量で聴きながらエクササイズし、ワイヤレスイヤホンを取ると音楽が聞こえなくなるという演出も遊び心が効いている。10年もすれば、こうした演出もすべて時代遅れになってしまうのかもしれないが、バレエを通じて私たちが生きるこの時代の問題に真正面から向き合い、徹底的に〈今〉にこだわって可視化するこの作品のアプローチは、清々しささえ感じさせるものだ。

何がリアルで、本物なのか。『コッペリア』という作品が私たちに投げかける問いは、それこそ映画『ブレードランナー』などさまざまな作品で取り扱われてきたテーマだが、ヴァーチャルで人と繋がることが日常化し、一般の人々がSNSなどで作られた〈リアル〉を演出することが当たり前となった21世紀の今だからこそ、多くの人の心に響く部分もあるだろう。ノンストップ80分間の刺激的なステージの後、初日のカーテンコールでは客席総立ちとなり、観客の熱狂的な拍手と歓声がいつまでも鳴り止まなかった。

★次回更新は2023年4月30日(日)の予定です

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東京生まれ。東京大学大学院およびロンドン・シティ大学大学院修了。幼少より14年間バレエを学ぶ。大学院で表象文化論を専攻の後、2007年に英国ロンドンに移住。2009年より舞踊ライターとしての活動を始め、シルヴィ・ギエム、タマラ・ロホ、ジョン・ノイマイヤーをはじめとするダンサーや振付家のインタビューを数多く手がけるほか、公演プログラムやウェブ媒体、本、雑誌などにバレエ関連の記事を執筆、大学シンポジウムにて研究発表も行う。長年会社員としてマーケティング職に従事したのち、現在は一児の母として育児にも奮闘している。

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