ハンブルク・バレエのプリンシパルとして長年にわたり活躍し、日本にも多くのファンを持つシルヴィア・アッツォーニとアレクサンドル・リアブコ。
二人が自ら創り上げ、2022年よりヨーロッパ各地で上演しているストーリーバレエ『Echoes of Life』が、日本のクリエイティブ・チームの協力を得て、2025年5月に日本初演されます。
舞台上では無二のパートナー、プライベートでは人生の伴侶。そんな二人を映し出すような、時を超えて呼応し続ける愛の物語。日本公演ではタイトルを『EOL(イー・オー・エル)』とし、追加キャストに二山治雄を迎えて、3人のパ・ド・トロワなど新たなパートも制作されるといいます。
この日本特別版『EOL』のクリエイティヴ・ディレクターを務めるのは、写真家の井上ユミコさんです。
ファッション誌などで活躍する人気フォトグラファーでありながら、2020年にはクラシック・バレエを現代の解釈で表現するプロジェクト「BALLET TheNewClassic」を始動。今回の『EOL』で初めて舞台演出に挑むという井上さんに、作品のことはもちろん、これまで歩んできた道のりや、写真家の視点で感じるバレエダンサーの魅力など、たっぷりお話を聞きました。
井上ユミコさん ©Ballet Channel
冒険の始まり
- 今日はまず、子ども時代のお話から聞かせてください。出身はどちらですか?
- 井上 私は広島県の福山市というところで小、中、高と育ちました。日本鋼管福山製鉄所(現在の西日本製鉄所)という国内最大規模の製鉄所があって、夜は鋼管の明かりがキラキラととても綺麗なんですけど、昼間は私の中のイメージではちょっと“ねずみ色”。進学校に通っていたので教育熱心な環境ではありましたけれど、自分がときめくような文化はなくて……。子どもながらに「いつかこの町を出たいなぁ」と思っていました。
- 子どもの頃から、心のどこかでアートやカルチャー的な何かを欲していた?
- 井上 そうですね。すごく欲していたと思います。私、夢みがちな女子だったんですよ。小学生の頃はいつ冒険が始まってもいいように、自分のお気に入りの道具をつねにバッグの中に忍ばせて遊びに行っていましたから(笑)。一方で両親はアートやカルチャーにあまり関心がなかったので、私には勉強する環境はいくらでもあったけど、満たされない。だからどこかへ行きたかった。
- ちなみに、冒険の始まりに備えてバッグの中に忍ばせていた道具とは?
- 井上 その時どきの興味関心で入れ替わるのですが、たとえば大好きな占いの本とか、方位磁石とか、当時「学研」が出していた学習雑誌「科学」の付録のヨウ素液とか。とにかく「これがあれば、私は家に帰れなくなってもごきげんに生き延びられる」というものを入れていました。
小学2年生(8歳)の頃、家族で出かけた北海道旅行での1枚。お母さんに後ろからギュッと抱きついているのがユミコさん
- 可愛い(笑)。そんなユミコさんがついに故郷を巣立ち、東京に出たきっかけは?
- 井上 大学進学です。広島を出たいという私に、両親は「有名大学に入れるならいいよ」と。それで受験に臨み、慶應義塾大学に入学しました。私が入った総合政策学部は当時新設6年目くらいの新しい学部で、「これからの時代は特定の分野を修めるだけでは太刀打ちできない。もっと総合的な視野に立つマインドを身につけよう」というポリシー。キャンパスにも24時間自由に出入りできるなど斬新な試みを行なっているところが私にはすごくフィットしたし、何よりも、それまで出会ったことのないような人たちがそこにはたくさんいました。生まれも育ちも東京でいろんな遊びを知っている人、膨大な量の映画を観ている人、見たこともない本ばかり読んでいる人……いわば“インテリジェントなオタク”みたいな人たちにたくさん出会い、「なんて楽しいんだ!」と。そこでようやく自分が好きなものは何なのかをはっきり自覚し始めて、大学時代はずっとバックパッカーをしていました。行き先は、ネパール、タイ、インドネシア、マレーシアなど、アジアが中心でしたね。
- 子どもの頃からお気に入りの道具をバッグに詰めてスタンバイしていた冒険が、いよいよ始まったわけですね。
- 井上 そうですね。私はきっと、未だ見ぬ場所を訪れたり、知らない街で道に迷ったり、そういうことがずっと好きだったのかもしれません。
おじいちゃんにもらったカメラを持って
- カメラと出会ったのはいつですか?
- 井上 カメラにはもともと憧れていたんです。私のおじいちゃんがカメラ好きで、その姿を小さい頃から見ていたのと、高校生くらいの時にテレビで流れていたキャノンEOSのCMがすごく素敵だったので。女性カメラマンがギリシャみたいな異国の街をカメラ片手に歩いていて、角を曲がると花売りの美少年がそこにいて、カシャッ!みたいなCM、覚えてます?(笑)それで写真を撮りたがっていた私に、おじいちゃんがプレゼントしてくれたミノルタが、初めて持った自分のカメラです。バックパッカーの旅に出る時は、いつもそれを持ち歩いていました。
- その頃からすでに「将来は写真の道に進みたい」という気持ちがあったのですか?
- 井上 いいえ、当時はまだ趣味でしかありませんでした。私が写真の道に入っていく大きなきっかけになったのは、ある写真家との出会いです。
大学2年生くらいの頃に、タイのノーンカーイという街に1ヵ月ほど滞在していた時のこと。私が泊まっていた安宿に、ひとりの写真家がふらりと泊まりに来たんです。それが藤代冥砂(ふじしろ・めいさ)さんという方で、とても有名な写真家なのですが、そうとも知らず「このカメラ、オートフォーカスが壊れちゃったみたいなんですけど、どうしたらいいですか?」「そしたらマニュアルフォーカスで撮るといいよ」なんて会話をするうちに、仲良くなりました。
バックパッカー時代
- 井上 そして日本に帰ってから、その藤代さんのご縁で、雑誌『SWITCH』の編集部でアルバイトをするようになったんですね。そこは佐内正史さんや繰上和美さん、荒木経惟(アラーキー)さん、 沢木耕太郎さん、藤原新也さん等々、錚々たる写真家や作家が出入りしているような環境。大好きな写真やカルチャーの刺激をたくさん浴びられる最高の場所だったいっぽうで、バイトなのに毎日16時間くらい、校了前には泊まり込みで仕事をするほどハードな職場でもありました。するとある時、編集長が「お疲れさま。1ヵ月休みをあげるから旅をしておいで」と言ってくれて。それでインドとネパールの旅に出かけて、いっぱい撮ってきた写真をブックにまとめて編集長に報告していたら、今度は「お前がやりたいことは写真だろう? このカメラをあげるから、ここのバイトはやめなさい」と。Mamiya 7(マミヤセブン)という中判カメラを渡されて、編集部を追い出されてしまいました。
- “事実は小説よりも奇なり”を地で行くような展開……。でも愛のある編集長ですね。
- 井上 そうですね。その時は「え、どうしよう?」ってなりましたけど(笑)。写真をやりたいけど、どうしたらいいかわからない。そんな私に、またしても藤代さんのご縁で知り合った編集者の方が「ユミコちゃん、写真をやりたいならまずスタジオマンとして経験を積むといいんじゃない?」とアドバイスしてくださって。
スタジオマンというのは、撮影スタジオに勤務して、カメラマンの要望に従って機材を準備したり撮影を手伝ったりする仕事のこと。私はもちろん未経験でしたけれど、とにかく体当たりでスタジオの門を叩いてまわり、ようやく雇ってもらえたところがたまたまファッション・シューティングで有名なスタジオだったんです。当時のファッション界のスター・フォトグラファーたちが集まるような場所だったから、その流れで、自分もファッション・フォトを撮るようになった……というのが、私がプロのフォトグラファーになった経緯です。おじいちゃんからもらったカメラとバックパッカーから始まって、流れに流れて辿り着いた先で生き延びてきたら、いつの間にかファッション・フォトグラファーになっていた。それが素直な実感ですね。
- プロのフォトグラファーとして仕事ができるようになったのは何歳の時ですか?
- 井上 いつからプロになったのかは曖昧ですけれど、スタジオには2年ほど勤めて、25歳で独立しました。
- 早いですね! それだけ聞くと、順風満帆に思えますが……。
- 井上 人との出会いや縁に恵まれたのは確かですが、20代は順風満帆どころか、苦しかったです。独立してすぐに人気フォトグラファーになんてなれるわけもなく、最初は仕事のオファーがあれば何でも引き受けていました。でもそうしているうちに、気づけば “食べていくための仕事”ばかりに埋め尽くされて、撮りたかったはずのものは何も撮れない状態になっていた。「私がやりたかったのはこういう仕事だったっけ?」と悩むようになり、20代の終わりが近づく頃には写真から離れ、2年間くらい派遣社員の仕事をしました。振り返ると20代の私は暗中模索、人生のジタバタ期だったと思います。
- そんな雌伏の時代を経て、ユミコさんは再び写真の表舞台に戻ってきます。
- 井上 不思議なことに、しばらくジタバタし続けて、気が済んだ頃に声がかかるんです。もう2年近くその世界にはいなかったのに、「MIU MIUの特集を撮り下ろしてほしい」とか、「海外ロケの仕事をお願いしたい」とか。まるで誰かが“そろそろ次のステージにいらっしゃい”と手を引いてくれるかのように、自分にとって新鮮でときめく仕事が来る。だから戻れたのだと思います。それがちょうど30歳くらいの時。そこまでさんざん悩んだり引きこもったりジタバタしてきたから、写真の現場に戻ってきた時にはもうすべてに対して感謝でした。「一生懸命やらせていただきます!」という気持ちで臨むから、仕事もますます上手くいって、やっとファッション・フォトグラファーとしてメインストリームに乗れた気がしました。
「凄い被写体に出会ってしまった」
- ファッション界の人気フォトグラファーとして大活躍していたユミコさんが、バレエと関わるようになったきっかけは?
- 井上 2016年、ファッション誌「VOGUE JAPAN」の取材で「エトワール・ガラ」(*)のクラスレッスンを撮影したのが始まりです。私にとって、それはバレエダンサーとの衝撃的な出会いでした。クラスって、最初のバー・レッスンの時はみんなウォームアップウェアをもこもこ着ているけれど、センター・レッスンに移る頃になるとみんな暑くなって、着ていたものを脱いでいく。すると鍛え上げられた脚のラインや背中の筋肉が露わになって――それは物凄く力強くて、人間それ自体が芸術で、いろんなものを剥ぎ取っても残る美しさがある。凄い被写体に出会ってしまった、と思いました。
*パリ・オペラ座バレエのエトワールたちを中心とした、世界のトップダンサーによるガラ公演。2016年の公演にはマチュー・ガニオやドロテ・ジルベール、ジェルマン・ルーヴェ、ユーゴ・マルシャンらパリ・オペラ座エトワールのほか、ハンブルク・バレエ プリンシパル(当時)のシルヴィア・アッツォーニとアレクサンドル・リアブコも出演した。
- バレエはプロのフォトグラファーなら誰でも撮れるものではなく、バレエ特有の動きを知らないと、踊っているダンサーたちの美しい瞬間を捉えることはできないように思います。でもユミコさんは、いきなり最初から撮れたのでしょうか?
- 井上 撮れませんでした。あの時の撮影は惨敗でしたし、今でも私、基本的にはクラスもリハーサルも舞台も撮らないんですよ。もちろん今は、技術的には撮れるようになってきたと思うけれど、そこに興味が湧かないというのが正直な気持ちです。目の前で繰り広げられていることの、“これが正解です”という瞬間を切り取ることには喜びや興奮を感じない。それは別の才能だなと思います。
- 「惨敗だった」。だとすると、普通は「これは私が撮るべき世界じゃない」と思いそうなのに、ユミコさんはむしろそこからバレエに深く関わるようになっていきます。それはなぜだったのでしょう?
- 井上 まず、惨敗をあまり気にしていなかったというのはあります。初めてだったんだから仕方がない、って(笑)。
でもそれ以上に、20代で悩み、30代でたくさんの仕事を経験させてもらったおかげで、その時の自分にはもう「成果を上げるには何が必要か」が見えていたからだと思います。それは「自分のフィールドで勝負する」ということ。誰かの顔色を見て「これで合ってますか?」なんてやっていたら、いい写真は絶対に撮れません。 自分の中に答えを持っていなければ撮影現場の空気を作れないし、最高の1枚を撮ることはできないんです。
初めての撮影は惨敗だったとしても、私はバレエダンサーの衝撃的なまでの美に気づいてしまった。だから私は私らしく、バレエダンサーたちと仕事がしたいと思いました。自分に見えているダンサーの美しさを、自分らしく撮りたい。そしてその美をもっとみんなに知ってもらうために撮りたいと思うようになりました。
- 実際にたくさんのバレエダンサーを撮るようになり、新たに気づいたことや感じるようになったことはありますか?
- 井上 一緒に仕事する仲間として、素晴らしい人たちに出会えたな、と。ダンサーを撮影していると、 私が勝手に切り取っているのではなくて、1枚の写真を一緒に作っていると感じます。協働する相手としてリスペクトできるし、彼らと仕事をするのは本当に楽しい。真剣さ、ピュアさ、自分の身体を使って生まれる何かに対する好奇心、追求する姿勢。その空気が私自身とすごく合う。一緒に作品を作る最高の相手です。
ユミコさんが撮影した、アレクサンドル・リアブコの写真 ©Yumiko Inoue
ダンサーたちの、儚くも圧倒的な執念を
- ほどなくして、ユミコさんはバレエダンサーたちの写真を撮るだけでなく、舞台を制作し始めます。
- 井上 はい、K-BALLET TOKYOプリンシパルの堀内將平さんと共に「BALLET TheNewClassic」というプロジェクトを2020年から始めました。私にとっては、写真も舞台制作も、取り組む感覚やモチベーションはまったく一緒です。自分に見えている、バレエダンサーたちのかっこよさ。それは既存のバレエ公演では感じられないものだから、ならば自分で作って届けよう、と。
- その、「既存のバレエ公演では感じられない」、ユミコさんに見えている「バレエダンサーのかっこよさ」とは?
- 井上 ダンサー自身の個性と造形美。日々鍛錬して自ら高め、磨き上げてきた身体、表現、テクニック、すべてが美しい。でも一般的なバレエの全幕公演だと、どうしても照明は舞台全体を平たく照らし、ダンサーたちは豪華な衣裳を着込みますよね。そうすると、私が「エトワール・ガラ」のクラスレッスンで目の当たりにしたような、ダンサーたちのあの力強さや衝撃は見えてこない。だから自分が舞台を作る時にこだわるのは、どうすれば彼ら自身の持ち味や、身体そのものの美しさを露わにできるか、ということなんです。
「BALLET TheNewClassic 2024」カーテンコール ©Shiori Sasaki
- そして2025年、ユミコさんは新たなバレエ公演を手がけます。5月に彩の国さいたま芸術劇場小ホールで上演される『EOL』。これはどんな公演ですか?
- 井上 オリジナルは『Echoes of Life(エコーズ・オブ・ライフ)』という作品で、ハンブルク・バレエのシルヴィア・アッツォーニとアレクサンドル・リアブコが、ピアニストのミハウ・ヤウクと一緒に2022年にイタリアで初演したものです。その後ドイツなどでも上演して成功を収め、日本でも上演したいということで、私が日本版のクリエイティヴ・ディレクションを手がけることになりました。
私、もともとリアブコさんが大好きなんですよ。ノイマイヤー振付『ニジンスキー』のタイトルロールを踊る彼を観て、バレエには底なし沼のように、いろんな表現の可能性があることを知ったから。だから自分の会社の名前は「株式会社ALEXANDRE(アレクサンドル)」、創刊したWEBマガジンの名前も「Alexandre」にしました。そう、リアブコさんの名前です(笑)。
シルヴィア・アッツォーニとアレクサンドル・リアブコ ©Yumiko Inoue
- 井上 そのくらい私がリアブコさんの大ファンであることを知っていたプロデューサーが声をかけてくれたのが、『EOL』の演出を引き受けたきっかけです。でもオリジナルの『Echoes of Life』は1時間くらいの短い作品で、チケット料金もあまり高く設定できないけれど、クオリティは絶対に妥協できない。どうすれば公演を成立させられるかが大きな課題で、シルヴィアさんに「もう少し作品を長くして、90分くらいにできる?」と聞いたら、「『Echoes of Life』は愛の物語。夫婦の愛や親子の愛、兄弟の愛……いろいろな愛を表現している。だから新しいパートを作ればいいわよ」と提案してくれて。じゃあ思いきって日本エディションを作ることにして、日本人ダンサーに出てもらおう。それなら二山治雄さんがいいね……って、どんどんアイディアが膨らみ、形が見えてきた。シルヴィアさんはとてもオープンな人で、つねに「ユミコ、何をやってもいいわよ」というノリなので、ポジティブに話が進んでいくんです。
- 邦題を『EOL』にしたのはなぜですか?
- 井上 シルヴィアさんが「邦題も付けてほしい」と。でも日本語にするのはイマイチだし……と考えながら彼女の話を聞いていたら、これは普遍的な愛のメッセージだと思い至ったんです。宇宙から絶え間なく届き続ける愛の信号。意味のある言葉というよりも、「EOL、EOL、EOL……」って、信号が宇宙から届き続けている感じ。そのイメージを、タイトルロゴなどにも落とし込んでデザインしてもらっています。
「EOL」のロゴがあしらわれたキービジュアル
- 面白いですね! しかし興行とは様々なリスクや困難を伴うもの。今回の公演を制作しているなかで「これは高い壁だ」と感じていることはありますか?
- 井上 「BALLET TheNewClassic」の第2回公演を開催した2024年8月までは『EOL』のことをまったく考えられなかったので、何もかもがぼんやりしていて、壁しか感じていませんでした。でも9月になって頭を切り替えてからは、壁が一枚一枚溶けて消えていくのを実感しています。もちろん資金のことは一番大変だし、その他にも物理的な問題はたくさんあります。けれど一つひとつのことを個別に考えず総合的に俯瞰してみると、「ここは足りないけど、こちらでカバーできそうだ」等と解決の道筋が見えてくる。私たちのモットーは「あの手この手を自由に試す」。壁は山ほどあるけれど、それを溶かす方法も何通りもあるはずです。それを考えること自体が、バレエ公演を作ることの楽しさでもあります。
- 今回の出演者は3人とも“バレエダンサー”。「BALLET TheNewClassic」も含めて、ユミコさんはいつもバレエダンサーと仕事をしています。世の中にはいろいろなジャンルのダンサーがいますが、ユミコさんが一緒に仕事をしたいと思う相手には“バレエ”の成分がマストですか?
- 井上 バレエの成分は、やはりマストですね。バレエダンサーの美しさが、私は最高峰だと思うので。鍛え上げられた身体と、その身体のすみずみまで意識が行き渡っているあの感じ。自分自身を追い込んでいく究極の力。被写体としてこんなに魅力を感じる対象はいません。本当に、バレエダンサーには可能性しかない。彼らの潜在能力をどれだけ開花させて、ムーヴメントを作っていくか。そういう活動を、これからもやっていきたいと思っています。
- 『EOL』の見どころを、ぜひユミコさんの言葉で聞かせてください。
- 井上 私にとっての神ダンサー、アレクサンドル・リアブコとシルヴィア・アッツォーニが出てくれる。私のミューズである、二山治雄さんも参加してくれる。この3人のダンサーが、何と言っても一番の推しポイントです。
そして劇場がまた最高です。客席数たった288席の、彩の国さいたま芸術劇場小ホール。私、下見に行った時に深く感動したんです。設計した人の、舞台芸術に対する愛、クリエイションすることへの愛が伝わってきて。興行として成立させることを考えればもっと大きなスペースを借りるのが正解なのでしょうけれど、やっぱり私は、凄い体験を生み出したいから。
ダンサーが舞台から袖にはけてきた時の、死にそうなほど息を切らしている姿が、私は大好きです。踊りに対して、壮絶なまでにすべてを捧げている――そういうダンサーの、儚くも圧倒的な集中力と執念みたいなものも、あの劇場ならきっと届くと思う。
シルヴィアさんやリアブコさんが委ねてくれたこの機会に、私は伝説の舞台を作りたいと思っています。観客のみなさんが、「すごいものを観た」と感じてくださるような。そして何年か後には、「あの時、私たちはあの場にいたんだ」と思ってもらえるような。これは「始まり」の舞台です。新たな挑戦が始まる瞬間を、ぜひ目撃しに来てください。
「EOL」チームの仲間たちと
公演情報
EOL(イー・オー・エル)
【日時】
2025年
5月23日 (金) 15:00 開演
5月24日 (土) 13:00 開演
5月25日 (日) 13:00 開演
【会場】
彩の国さいたま芸術劇場 小ホール
【出演】
シルヴィア・アッツォーニ(ハンブルク・バレエ団プリンシパル)
アレクサンドル・リアブコ(ハンブルク・バレエ団プリンシパル)
二山治雄
ミハウ・ヤウク(ピアノ)
【振付】
クリスティーナ・パウリン
ティアゴ・ボルディン
マーク・ジュベテ
クリエイティヴディレクション:井上ユミコ(ALEXANDRE)
衣裳:CFCL
舞台美術:常盤あゆみ
宣伝美術:石井勇一(OTUA)
映像:奥田祥智
宣伝映像:シルヴァノ・バローネ
主催:株式会社 ALEXANDRE
【詳細・問合せ】
公演公式WEBサイト