2024年5月24日(金)、東京バレエ団『ロミオとジュリエット』が開幕します。
同団が上演するのはジョン・クランコ版。主人公たちの感情やその変化が生き生きと伝わってくるパ・ド・ドゥや、事前にあらすじを読まなくともストーリーがわかる明快な演出、そして巨匠美術家ユルゲン・ローゼの装置や衣裳。数多の振付家が手がけてきた『ロミオとジュリエット』の中でも「名版」と賞されるにふさわしい演出版です。
今回の上演でロミオ役とジュリエット役を演じる3組のダンサーたちに、対談形式でインタビュー。
まずは初日を飾る同団のプリンシパル、沖香菜子さんと柄本弾さんの登場です。
©︎Ballet Channel
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- 沖さんと柄本さんは2014年に東京バレエ団がカンパニー初演したジョン・ノイマイヤー版『ロミオとジュリエット』で共演。そして2022年に同じくカンパニー初演したジョン・クランコ版でもロミオ役・ジュリエット役としてパートナーを組みました。ロミオとジュリエットとしてお互いに出会ってから10年、いまリハーサルをしていて変化を感じることは?
- 柄本 少なくとも、身体的には「10年経ったな……」と(笑)。でもそのぶん二人ともいろいろな作品を経験してきて、テクニック的なことも物語のこともより深く理解できるようになりました。だから話し合うにもスムーズだし、リハーサルは比較的順調に進んでいると思います。
沖 ちょうど先ほど、キャピュレット夫人役の奈良春夏さんから「ノイマイヤー版とクランコ版はどちらが大変?」って聞かれたんです。パ・ド・ドゥの振付じたいはノイマイヤー版のほうが大変だったかな……と思ったのですが、もしかするとそれは、あの頃の私たちがまだ若くて今ほど経験値がなかったから難しく感じたのかもしれない。
柄本 それはありますよね。あと、ノイマイヤー版のロミオとジュリエットのほうが、より若く設定されていると思う。例えば走り方ひとつとっても、ノイマイヤー版のロミオはバレエ的な所作はいっさい抜いて本当に「やんちゃな男の子」として走るんです。踊りの合間にそういうバレエ以外の動きが入ってくると、しんどさが倍増する。バルコニーのパ・ド・ドゥが始まる頃にはすでに疲れ果てていて、こんなに軽い香菜のことを初めて「重い……」と感じたのを今でもはっきり覚えています(笑)。
2014年に上演されたノイマイヤー版「ロミオとジュリエット」より。沖香菜子(ジュリエット)、柄本弾(ロミオ) ©︎Kiyonori Hasegawa
- 沖 でもやはりクランコ版にはクランコ版の難しさがありますよね。
柄本 クランコ版は逆にクラシック・バレエ的な要素が強いから、語弊を恐れずに言えば「逃げ道」がない。感情がどんなに大きく動いていても、ステップは一つひとつ正確にこなさないと成立しないところが難しいです。
- いっぽうで「10年前のあの頃と何も変わらないな」と感じる面もありますか?
- 沖 私はむしろ、自分が演じている時の感覚という意味では、何も変わっていないと思っていて。原作を読んで、ジュリエットの感情を考えて、自分の中に彼女の人物像を描いていくという作業じたいも変わらないし、それはあくまでも「ジュリエットとして考える」という感覚。私自身の感情や経験とはまったく別の領域のことなんです。自分がかつて経験した出来事やその時の感情に照らして、「きっとジュリエットもそういう気持ちだったのかな」みたいには考えていない気がします。
- おもしろいですね。例えば私たち観客が自分の人生経験や感情体験を重ねながら舞台を観て感動するように、演者もその役の中に共感できるポイントを見つけて、それを手がかりに真実味のある演技を生み出していくのかな……と想像していました。
- 沖 もちろんそういうダンサーもいると思いますけれど、私の場合はジュリエットという女の子に「共感」しているわけではありません。例えばジュリエットがたった5日で人生を終える選択をするのも、「ジュリエットならこう考えて、こういう道を選ぶだろうな」というふうに理解しているというか。
柄本 自分の人生経験が表現に活きることは確かにあるけれど、たとえ実際の自分とはかけ離れた役であっても表現しなくてはいけないのが僕たちダンサーだから。それに自分の経験を役に投影しすぎると、人物像が「ロミオ」ではなく「柄本弾」に寄っていってしまう感じがするんですよ。そうなるとストーリーから外れてしまうことにもなりかねないと、個人的には思っています。
- すると沖さんや柄本さんにとって、いわゆる「役作り」のカギは「想像力」ということでしょうか?
- 沖 想像……でもない気がします。
柄本 これが答えになるのかはわかりませんが、僕はリハーサルが始まる前に「役作り」みたいなことはあまりしないんです。実際に稽古をしていく過程で役が見えてきたり、「こう演じてみたい」というアイディアが湧いてきたりするので。頭で想像するよりも、とにかく身体でやってみて、その中で感じたものを積み上げていく。そういう感覚ですね。
沖 私もそうかもしれません。弾さんのアクションが変化すれば、こちらのリアクションも変わりますし。だから予め「想像」もしていないし、「役作り」もしていない。ただ「ここにジュリエットという女の子がいる」という感じです。……って、うまく伝わるでしょうか……。
柄本 伝わるよ!とは言いきれないかもしれない(笑)。
沖 うまく言えないけれど、「自然」ということ。その時に感じたことを、そのまま表現しているような。もちろん「この音で足を1歩出す」というように、細かく決められたカウントを守らなくてはいけない部分もたくさんあるんです。そういうところが一昨年の初演を経て自分の中に溶け込んできたから、今はより自然に演じられている感覚があるのかもしれません。
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- 沖さんの中で「ただそこにいる」というジュリエットは、どんな女の子ですか? 柄本さんは、自身が演じるロミオとはどういう青年だと捉えていますか?
- 沖 たった5日間の物語ですけれど、その始まりと終わりとでは、ジュリエットはもう別人というくらい変わっていると思うんですね。最初はあどけない女の子として出てきて、最後には女性の表情を見せる。そういう変化をしていくのが、私の中のジュリエット像なのかなと思います。
柄本 僕の中のロミオ像は、とにかくピュアで一途。ひとつのことに夢中になったらもう他は何も目に入らなくなって、まっしぐらに突き進んでいく。実際に作品の中でも、ジュリエットしか見えなくなって、周りに人が寄ってきても気づかない、みたいな場面が出てきます。ただ、そういうロミオだからこそ、今の自分が演じるには工夫が必要だと思っていて。というのは、自分自身がまだ若くて未熟だった頃と違って、今は良くも悪くも周りに目を配りながら演じられるようになってきたから。自分の経験値に邪魔されるのではなく、ちゃんと強みとして活かせるようにしなくては。
沖 でも私、ずっと不思議に思っていることがあって。ジュリエットはロミオと初めての恋に落ちて、どんどん大人になっていくでしょう? でもロミオにとっては、ジュリエットって初恋の相手ではないですよね。幕が上がって、最初はずっとロザリンドを夢中で追いかけているから。
柄本 ロザリンドに対する気持ちか……どうなんだろう。
沖 恋に恋していただけ、みたいな感じなのかな?
柄本 わからない。でも、少なくとも本気の恋ではない気がする。
沖 ロザリンドに対する気持ちとジュリエットへの思いには、やっぱり違いがあったと。
柄本 舞踏会で出会った瞬間、ジュリエットに対して感じたものは、単に「好き」という以上のものだったんじゃないかという気がします。
- そんなロミオとジュリエットの感情や関係性を豊かに物語るのが、作品の要のシーンで踊られる「パ・ド・ドゥ」ですね。
- 柄本 そうですね。まず第1幕には、舞踏会で出会った時のピュアなパ・ド・ドゥ(マドリガル)と、そこからお互いへの愛がはちきれそうなほど高まっていくバルコニーがある。そしてマキューシオを失い、ティボルトを殺してしまって迎える第3幕には、ロミオが罪悪感を抱えながらジュリエットに別れを告げる寝室のパ・ド・ドゥがあり、最後に墓所の中でぐったりしたジュリエットを腕に抱えて踊る、短いけれども大切な場面があります。先ほど香菜が言っていたこととも重なるけれど、この4つのパ・ド・ドゥはすべて感情が違う。その心情の変化をどう表現できるかで、作品の見え方が大きく変わると思っています。
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- いまのお話にあった第3幕の寝室のパ・ド・ドゥについて。ロミオのほうは親友マキューシオの死、ティボルトとの決闘と、ドラマの進行とともに感情を積み重ねた上で寝室のパ・ド・ドゥを迎えますが、ジュリエットは第2幕の前半でロミオとの結婚式のシーンを演じた後、次に登場するのは第3幕の寝室の場面。つまり、幸せの絶頂からいきなり別れの悲しみを演じなくてはいけないわけですが、感情のコントロールが難しかったりはしないのでしょうか?
- 沖 第2幕の結婚から第3幕の寝室まで、ジュリエットはむしろ何も変わっていないと思うんです。出会って、ロミオのことが大好きになって、二人だけの結婚式を挙げる。その幸せな気持ちのまま、ジュリエットは何ひとつ変わっていないのに、ロミオだけが変わってしまった。その戸惑いがそのまま寝室のパ・ド・ドゥに表れているのだと、私自身は思っています。
- なるほど……。寝室のパ・ド・ドゥに関連して、もうひとつ聞きたいことが。踊りが始まる直前、ベッドにふたりで横たわっている時に、ロミオが隣で眠っているジュリエットの髪に触れる仕草が出てきます。それと同じことが最後の墓所の場面でも繰り返されますが、柄本さんはあの仕草の意味をどのように解釈していますか?
- 柄本 好きな人の髪に触れるって、すごく日常的で何気ない仕草ですよね。でも、「もうこの髪に触れることもできなくなる」となった瞬間に、それがどれほどかけがえなくて、幸せなことだったのかを思い知る。髪に触れる場面はどちらもほんの一瞬ですが、ロミオにとっては、ジュリエットと過ごした幸せな時間を噛みしめている、そんなひとときなのではないでしょうか。
クランコ版「ロミオとジュリエット」第3幕より寝室のパ・ド・ドゥ 沖香菜子(ジュリエット)、柄本弾(ロミオ) ©︎Shoko Matsuhashi
- ロミオがジュリエットの髪に触れるように、ジュリエットにもロミオへの思いが象徴的に表れる仕草などがあるのでしょうか?
- 沖 少し性質が違いますけれど、ロミオとのパ・ド・ドゥの中に、全く同じ振りが3回出てくるところがあります。ジュリエットが呼びかけるようにロミオの肩に触れる。すると彼が抱きしめてくれて、自分もそれに応える、という振付。それがバルコニーのパ・ド・ドゥに2回、寝室のパ・ド・ドゥに1回出てくるのですが、ジュリエットがロミオの肩に触れる時の気持ちは、3回とも明確に違うと思っています。
- どのように違うのでしょうか?
- 沖 1回目は、私が肩に触れたとしても彼が振り向いてくれるかわからない。だからそこには少し不安な気持ちがあるけれど、2回目の時はもうきっと振り向いてくれるとわかっているから、明るい気持ちで戯れるように触れ合うと思うんです。そして寝室のパ・ド・ドゥの中で出てくる3回目は、「ねえ、どうしてなの? 行かないで!」という、悲しみや怒りの気持ち。もちろん、本番の舞台に立った時にどんな感情になるかはわからないけれど、今のところはそんなふうに考えています。
- 最後に、沖さんと柄本さんがとくに大事に演じたいと思っている場面をそれぞれ教えてください。
- 沖 どの場面も大事ですけれど……強いて挙げるなら、第3幕のラストシーンでしょうか。もはや踊りではなく、歩くとか振り向くとか、ごく限られた動きの中で感情を最大限に見せていく。本当に難しいことだからこそ、きちんとお客様に伝わるように演じたいと思っています。
柄本 バルコニー、寝室、いま香菜が言った墓所のラストシーン……挙げていったらキリがないけれど、あえてジュリエットとの場面以外で挙げるとすると、やはり第2幕の最後はストーリーとして重要なところだと思います。マキューシオが死んで、自分の怒りを叩きつけるようにティボルトと決闘を始め、ついには殺してしまう。そこはリハーサルでもリアルに泣きそうになるくらい感情が不安定になって、いつも心身のエネルギーを使い果たします。でも、ロミオはそうやって生きたんだと思うんですよ。ジュリエットへの愛情も、マキューシオやベンヴォーリオとの友情も、めいっぱいの感情で人生を駆け抜けた。だから僕も、身体だけでなく心もフルに動かして演じたいと思っています。
クランコ版「ロミオとジュリエット」第1幕よりバルコニーのパ・ド・ドゥ 沖香菜子(ジュリエット)、柄本弾(ロミオ) ©︎Shoko Matsuhashi
公演情報
東京バレエ団『ロミオとジュリエット』