現在開幕中の東京バレエ団『ロミオとジュリエット』後半日程の3公演が、2024年6月7日(金)・8日(土)、9日(日)に上演されます。
同団が上演するのはジョン・クランコ版。主人公たちの感情やその変化が生き生きと伝わってくるパ・ド・ドゥや、事前にあらすじを読まなくともストーリーがわかる明快な演出、そして巨匠美術家ユルゲン・ローゼの装置や衣裳。数多の振付家が手がけてきた『ロミオとジュリエット』の中でも「名版」と賞されるにふさわしい演出版です。
今回の上演でロミオ役とジュリエット役を演じる3組のダンサーたちに、対談形式でインタビューする特集。
ラストとなる第3回は、プリンシパルの秋山瑛さんと、今回がロミオ役デビューとなるファーストソリストの大塚卓さんです。
©︎Ballet Channel
🎭
- 今回のクランコ版『ロミオとジュリエット』再演、まずは1回目(5月25日)の舞台を踊り終えての感想を。
- 大塚 ふだんの僕はあまりエモーショナルなタイプではなくて、映画を観ても全然泣かないし、大役を踊らせていただいた舞台でも、踊り終えた時に感じるのは「やった!」という達成感や「ただただ幸せ」という気持ち。でも今回は、いままで感じたことのない感覚のなかでカーテンコールを迎えました。作品のなかに幸福から絶望まで様々な感情が詰まっているからでしょうか。幕が下りてからも、単に嬉しいわけでもないし、悲しいわけでもない、複雑な思いがずっと続いて、いつものように笑顔でお辞儀をするのが難しかった。でもそれはきっと、自分があの舞台を「大塚卓」ではなく「ロミオ」として生きられたということなのだろうと思います。
秋山 私も、第3幕が終わって幕が下りて、気持ちの切り替えが全然間に合っていないまま、再びカーテンが開いてお客様の前に立ったという感じでした。『ロミオとジュリエット』って、音楽を聴いているだけでも心が揺さぶられるのに、それに自分の感情を添わせてバーッと出してしまう作品だから。終わったあとは放心状態みたいな状態で、今回もしばらくは自分の中が空っぽになったままそこにいる、という感覚でした。
- 秋山さんは2回目のジュリエット。前回とはまた違う感覚や発見がありますか?
- 秋山 やはり相手役のロミオが変わったことで違いはすごく感じますし、もうひとつは音楽のこと。今回指揮をしてくださっているヴォルフガング・ハインツさんはシュツットガルト・バレエで振っている方なので、このクランコ版『ロミオとジュリエット』のことも、それを踊るダンサーたちの呼吸も知り尽くしていらっしゃるんですね。だからなのか、踊っていても音楽の緩急や膨らみがすごく感じられるし、その豊かな膨らみが、自分の感情の膨らみと一体になる感じがします。前回振ってくださったベンジャミン・ポープさんの指揮の素晴らしさとはまた別の感覚。私自身が2回目なのでより音楽に親しんだということもあると思いますけれど、「この音楽に身を委ねて踊れば、それでいいんだ」という気持ちになります。
大塚 僕はそこまで音楽に影響されるタイプではないけれど、オーケストラ演奏で踊るのはやっぱりテンションが上がるし、ハインツさんの指揮は本当に踊りやすいです。
秋山 ゲネプロを足立真里亜さんと一緒に観たのですが、ふたりとも感動してしまって。音楽に感情が引っ張られるというのはこういうことか、って。「今回はもう考えすぎなくても、音楽が連れていってくれるかもしれないね」って話したりしていました。
「ロミオとジュリエット」のリハーサルにて 秋山瑛、大塚卓 ©︎Shoko Matsuhashi
- それぞれのロミオ像、ジュリエット像について聞かせてください。まずは今回が初役の大塚さんは、ロミオとはどういう青年だと捉えて役作りをしていきましたか?
- 大塚 ロミオ像ですか……。考えたことがないです。
- なんと……!
- 大塚 というのも、周りのみなさんが口を揃えて「卓はそのままでロミオっぽい」と言ってくださるので、それならむしろあまり考えないほうがいいのかなと。もちろん、演技や所作の参考に、過去にロミオを踊ったダンサーたちの映像を見たりもしたのですが、結局本番では今のところ何も取り入れていません。
- ふだんからあまり「役作り」みたいなことはしないのですか?
- 大塚 王子役の時はしっかり役作りします。なぜなら僕はもともとが「王子キャラ」ではないので。自分とはかけ離れたものを演じるぶん、王子を踊る時のほうが疲労感も強いですね。ロミオに関しては、自分自身何も作ってはいないという感覚です。
- だとすると、例えばロザリンドとの関係はどのように解釈して演じていますか? ロミオはジュリエットと出会うまではロザリンドを追いかけていますが、それはどういう気持ちなのか。
- 大塚 僕は、ロミオのロザリンドに対する思いは「恋」ではないと思っています。ただの遊びという感覚。
秋山 ロミオはジプシーとも親しく接しているよね?
大塚 そう。僕が思うに、ロミオとマキューシオとベンヴォーリオの3人のうち、ロミオは言ってみれば弟分的な立ち位置。何かをする時に引っ張ってくれるのはマキューシオやベンヴォーリオで、女性に対する振る舞い方も兄貴分の彼らに倣っている。それだけのことであって、初めて恋をしたのは、やっぱりジュリエットなのだと思います。だからこそ、舞踏会の日にロザリンドに会いに行く時はマキューシオやベンヴォーリオと連れ立っているのに対して、ジュリエットに会いに行く時は、彼らに黙ってひとりで行く。僕自身、学生時代を思い出すと、好きな人のことは友達に隠しておきたかったから。
- おもしろいですね。そういう目線で見ると、第1幕の見どころのひとつ「ロミオとマキューシオとベンヴォーリオのパ・ド・トロワ」(舞踏会に忍び込む3人の踊り)のあたりも、また違う感覚で楽しめそうです。ちなみにあのパ・ド・トロワは、トゥール・アン・レールを15回も跳ぶなどとても大変そうですが、踊ってみてどうですか?
- 大塚 例えばそのトゥール・アン・レールを毎回完璧に決めるとなれば、もちろんすごく大変です。毎回きれいな5番で踏み切って、きれいな5番で着地する、って。もちろんそれができるに越したことはないけれど、たとえ跳び上がった時に軸が斜めになろうが、着地で吹っ飛ぼうが、あの場面で大事なのは3人が楽しく踊ることだと僕は考えていて。そのほうが絶対に伝わると思うし、むしろちょっと吹っ飛ぶくらいのほうが、あの中学生みたいなノリにはちょうどいい……っていうと、先生方に叱られるかもしれませんが(笑)。
- (笑)。秋山さんは、どんなジュリエット像を思い描いて演じていますか?
- 秋山 2年前に演じた時は、恥じらいや恐れをすごく持っている女の子という感じがしていたんです。自分の思いに真っ直ぐではあるけれど、好きになってはいけない人を好きになってしまったことや、初恋というものに対する恐れみたいなものを抱えている。お客様にどう見えたかはわからないのですが、自分が演じてみて感じたのは、そういうジュリエット像でした。
でも今回は、もっと素直でストレート。それはやはり、相手が卓くんだからだと思います。彼は……ちょっと大型犬みたいな感じで(笑)、「大好き、大好き、大好き!」って全力で向かってきてくれるロミオなので、こちらも心のドアが開くのが早いというか、照れたり恐れたりしている場合ではないというか(笑)。あらかじめそういうジュリエット像で演じたいと決めていたわけではないのですが、先日1回目の舞台で演じてみて、そんな女の子になった気がしています。
「ロミオとジュリエット」第1幕より 中央右から:秋山瑛(ジュリエット)、大塚卓(ロミオ)、パリス(生方隆之介) ©︎Shoko Matsuhashi
- まずは第1幕、ふたりの気持ちが重なっていく、2つの素敵なパ・ド・ドゥがありますね。舞踏会で出会って踊る「マドリガル」と、そのあとの「バルコニーのパ・ド・ドゥ」と。
- 秋山 舞踏会に忍び込んだロミオは仮面をつけていて、最初に目と目が合った時はまだ、顔は見えていないんです。彼はマドリガルで初めて素顔を見せてくれて、そこでふたりが本当に出会うことになる。そこからパ・ド・ドゥを踊りながら、お互いのことを少しずつ知り合っていく。
大塚 そう。でも舞台リハーサルの時、僕はもうマドリガルの段階でジュリエットのことを好きになりすぎていて。それで満面の笑顔で踊っていたら、振付指導のジェーン・ボーン先生に「最初から幸せそうに踊りすぎ。その感情はバルコニーまでとっておいて」と言われました(笑)。確かによく考えてみれば、一目惚れって瞬間的にバチン!とくるけれど、そのあとは少し冷静になって、「彼女はどんな人なのだろう」と相手を知ろうとしますよね。その過程がマドリガルで、あそこで少しずつ会話をして「やっぱりこの人だ!」と思い、バルコニーに向かう。
秋山 夜だし、敵対する家なのに、会いに来てくれる。
大塚 そういう意味では、逆にバルコニーで僕の感情が爆発していないと、「なぜ来た?」となる。ジュリエットは格式ある家のお嬢様だから控えめで、「本当は寝ないといけないけれど、今夜は夜風に当たりたい」とバルコニーに出てくる。でもロミオはもう何もかも気にならないほどの情熱で会いに行く。それに、バルコニー・パ・ド・ドゥの最初の、ロミオのソロの曲。あの音楽が流れ出したら、テンションの上がらない男性ダンサーはいない。
秋山 あの場面の、卓くんの真っ直ぐさがすごく胸に響くんです。もしかしたらそれは、今の卓くんだからこそのものかもしれない。ジュリエットはそんなロミオを見ていて、たまらない気持ちになって、彼の腕に飛び込んでパ・ド・ドゥを踊り出すのだと思います。
「ロミオとジュリエット」第1幕よりバルコニーのパ・ド・ドゥ 秋山瑛(ジュリエット)、大塚卓(ロミオ) ©︎Shoko Matsuhashi
- クランコは「パ・ド・ドゥは感情を語るもの。その踊りを経て、ふたりの関係性が変わる」と語ったと。大塚さんと秋山さんのロミオとジュリエットは、バルコニーのパ・ド・ドゥを踊り終わった時、どんな感情になりますか?
- 大塚 シンプルに、ただ幸せ。
秋山 私もそう。人生でいちばん幸せだったと思う。そして、お互いを知らなかった頃にはもう戻れない、という感じがします。この人のことを知らなかった自分には戻れないし、一緒にいなかったことにはもうできない、って。
- 泣きそうです……。
- 秋山 素晴らしいなと思うのは、バルコニーの場の音楽や振付が、第3幕の寝室のパ・ド・ドゥでも繰り返されるところ。いちばん幸せだった時にロミオの肩に乗ったり、お互いを抱きしめたりした、それと同じ振付を、別れの朝に踊るんです。そこで感じるものがあまりにも違いすぎて、本当につらくなります。身体ではなくて、気持ちのほうが。
大塚 だから『ロミジュリ』に関しては、第1幕から通して踊らないと気持ちがついてこないんです。リハーサルが始まった当初、各場面のパ・ド・ドゥだけの抜き稽古をしていた時には感じられなかった感情を、舞台の上で経験することになる。
秋山 私は初演の時にいちど踊っていたぶん、抜き稽古でもある程度想像で補える部分はあったけれど、確かに通さないと出てこないものはあると思います。
- 先ほど大塚さんが素のままでロミオそのものという話があり、本当にその通りだと思うのですが、秋山さんもまたジュリエットそのものという印象です。先日の1回目の舞台を観ても、何かを作っている感じがまったくありませんでした。
- 秋山 今回一緒にジュリエット役を踊る沖香菜子さんと足立真里亜さんと3人で、「自分が役に寄るか? それとも役を自分に寄せるか?」という話をしたことがあって。つまり、「ジュリエットだったらこうするだろう」というふうに考えるか、「自分がジュリエットだったらどうする?」と考えるか。
- 今回の特集で沖さんと足立さんにもお話を聞きましたが、ふたりは基本的に前者、つまり役を自分に寄せるのではなく、「ジュリエットだったらこうするだろう」と考えると。
- 大塚 僕は後者です。「ロミオだったらこうだろう」とは考えないし、あまり原作や映像を参考にしようとも思わない。大切にしているのは、ただ瑛さんに会った時に、ちゃんと好きになれるかどうか。僕はそのほうが演じやすい。
秋山 私は、原作を読んだり、映画を観たり、ウラーノワが踊るラヴロフスキー版『ロミオとジュリエット』の映像を観たりもしました。それらを観て、自分に染みさせるというか……何か「像」を作ってジュリエットになろうとするよりも、ジュリエットの成分を染み込ませて、自分がジュリエットになる、という感覚です。
- だとすると、「大塚卓」と「秋山瑛」が「ロミオ」と「ジュリエット」に切り替わるのは、どのタイミングですか? 舞台に出た瞬間ですか? それとも袖にスタンバイした時や音楽が流れてきた時? あるいはヘアメイクをして衣裳を身にまとった時などでしょうか?
- 大塚 僕は、日によります。舞台に出ていく瞬間にエンジンがガッ!とかかる日もあるし、演じ始めて徐々に自分が役の人物に変わっていくという日もあると思います。
秋山 私はいつだろう……。でもやはり、舞台に出ていく瞬間なのかもしれません。舞台袖にいる時はいつもの自分だけれど、舞台に一歩出た瞬間にジュリエットになって、また袖にハケてきたら一度オフになる気がします。
「ロミオとジュリエット」第3幕より寝室のパ・ド・ドゥ 秋山瑛(ジュリエット)、大塚卓(ロミオ) ©︎Shoko Matsuhashi
- それともうひとつ聞きたいことが。「自分だったら」で考えるとすると、ロミオとジュリエットはなぜ最後に死を選ぶのだと思いますか? しかも、自分の胸を自分で刺すという、かなり勇気の要る死に方で。
- 大塚 ロミオはもともと、死と隣り合わせの生き方をしていますよね。彼は第1幕の争いで男を1人殺し、ティボルトも殺し、パリスも殺す。それは逆に言えば、何かひとつ違ったら、自分のほうが殺される側にもなり得たということです。それに少なくとも日常的に剣を持って、いつでも戦うスタンスで生きているのだから、死に対して今の僕らが感じるような恐怖は持っていないと思うんです。
そのうえで、自分が犯してきた罪の重さや、モンタギューとキャピュレットの対立という自分の力ではどうにもならないものへの虚しさなど、いろんな思いが彼の中でごちゃ混ぜになっている。そして結局は自分のせいで、ジュリエットが死んでしまった。僕がティボルトを殺して、あの日ジュリエットを残して行ってしまったから、彼女は亡くなってしまったんだ、と。だから彼は躊躇うことなく自分の胸を刺した。愛のためにというよりは、自分の罪の重さのために死を選んだのだと、僕は解釈しています。
秋山 そうか……確かに。ロミオはジュリエットの死を知って墓所に来るけれど、ジュリエットはロミオの死を知りません。仮死状態から目覚めて、隣にいるロミオを見つけた瞬間「ロミオがいる!」と思って抱きしめるけれど、いつものように抱きしめ返してはもらえない。そこから彼が死んでいることに気づくので、喜びからの絶望で、二倍の強さで打ちのめされるような感覚。だから、もう生きていても仕方がないと思ってしまう。
- 最期の瞬間、秋山さんのジュリエットはどんなことを感じながら、命の火が消えていくのでしょうか。
- 秋山 その瞬間を迎えるたびに、感じることは変わるだろうと思います。でも先日の1回目の舞台の時は、「一緒に生きていきたかったな」と。あの日、1幕からずっと生きてきて、最期にロミオの手に頬を寄せた時、そんなふうに感じました。
- 『ロミオとジュリエット』は、それを踊ったダンサー自身をひとつ大きく変化させてしまうような作品ではないかと感じます。実際に演じている身として、このロミオとジュリエットという役が何か自分を変えてくれたと思うことがあれば、聞かせてください。
- 大塚 まずは物理的なことから言うと、身体が変わりました。これまでの人生で、いまがいちばん筋肉がついて、強くなっていると思います。あとは、ちょっと涙もろくなりました。まだ人前で涙を流したことはないけれど。
秋山 わかる。普通に生きていて、こんなにも人々の前で自分の心をさらけ出すことはないから。
ヒロインが死んでしまうバレエ作品はいろいろあるけれど、ジュリエットは「自分で死ぬ」役であることが、私にとっては大きくて。これまでにもニキヤやジゼルといった舞台上で死んでしまう役は演じさせていただいたのですが、ジュリエットのように、自分で死を選ぶほどの強い感情を自分の中から出すという経験は、それまでにないものでした。『ロミオとジュリエット』は、ダンサーに「心を裸にする」という挑戦をさせてくれる作品だと思います。心を開くこと、ありのままをさらけ出すこと、そして時には醜くなること。そうしたことへの恐れを少し乗り越えられたのは、私にとって大切な一歩だったという気がします。
「ロミオとジュリエット」カーテンコールより 秋山瑛(ジュリエット)、大塚卓(ロミオ) ©︎Shoko Matsuhashi
公演情報
東京バレエ団『ロミオとジュリエット』