今年、設立20周年を迎えたKバレエカンパニー。
その記念公演として9月に世界初演されるのが、全幕バレエ『マダム・バタフライ』だ。
アメリカの小説家ジョン・ルーサー・ロングの短編小説を原作に、イタリアの作曲家ジャコモ・プッチーニがオペラ化した『マダム・バタフライ』(蝶々夫人)を、熊川哲也が日本人芸術監督としては初めて全幕バレエ化に挑む。
作品の舞台は開国間もない明治の日本・長崎。アメリカ海軍将校ピンカートンと、見習い遊女バタフライの悲しい愛の物語を、熊川はどう描くのかーー。開幕まで2ヶ月をきった7月29日、制作記者発表がグランドプリンス品川「貴賓館」で開催された。
Photos: Ballet Channel
登壇者登場、代表質問
オペラ『マダム・バタフライ』の最も有名なアリア「ある晴れた日に」が流れるなか、登壇者が登場。
まずは熊川哲也芸術監督。素敵なタキシード姿に、こちらの背筋が思わずシャキッと伸びた。
続いてバタフライ役の矢内千夏、中村祥子、成田紗弥、ピンカートン役の宮尾俊太郎。バレリーナたちの艶美な装いに、記者たちからも思わず嘆息が漏れた。
制作発表は、まず司会のTBS高野貴裕アナウンサーによる代表質問に、登壇者が順次答えていくという形で進められた。
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――まず芸術監督であり本作の構成・演出・振付をされます熊川哲也さんにお話を伺っていきたいと思います。熊川さん、いま制作進捗中ということですけれども、その状況をお聞かせください。
- 熊川 まずはみなさん、この暑いさなかにお集まりくださりありがとうございます。いまは全ての全貌がやっと見え始めたかな、という気持ちです。(振付は)あと1シーンを残すのみとなりました。
――これまでKバレエカンパニーとしては通算公演回数900回。そして20周年を迎え、今回は何と初めて日本を舞台にした作品になるということですね!
- 熊川 平成11年から始まって20年間活動させていただき、令和という新年号になったこの時期に、20周年を迎えることができた。そしてこのタイミングで日本を舞台とした『マダム・バタフライ』という名作を手がけます。この偶然の一致に、非常に運命めいたものを感じずにはいられないというところです。
――制作VTRを見ますと扇子を持った動きが出てくるようですが、あれは能の動きでしょうか?
- 熊川 (タキシードに忍ばせていた自身の扇子を取り出しながら)確かに、扇子の動きは見よう見まねで日本舞踊的なものを取り入れていますけれども、如何せん、今回の『マダム・バタフライ』に取り組むにあたっては、非常に自分の中で悩み苦しんだところです。スタートを切ったはいいけれども、本当に壁にぶち当たりましたね。日本というのは“イン(内向き)”に入るカルチャーです。しかし西洋文化を継承しながらも日本人である僕が、どう(日本文化に対して)忠誠心を持って、忠実に接していくのか。これはもう不可能でした。バレエとして考えるならば、やはりバレエは、体の使い方からしても“外向き”ですから。非常にそこが苦しいところだなと。あとは、お着物ですね。われわれバレエダンサーはいつも西洋のドレスで踊っている世界なので、ここは非常に苦労しました。振付にしても、持ち上げるとか、くるくる回すとか、着物を着たとたんバレエ的要素は不可能になってしまいます。ですから衣裳については諦めて、日本文化を背負うのはスピリットにおいてのみにしようと。精神的な拠り所として、日本人としてのあり方、日本人のスピリットを大切にしています。
――見どころはたくさんあると思いますが、ひと言で言うとするならば?
- 熊川 僕は、『マダム・バタフライ』とは実際はノンフィクションだと思っています。もちろん原作者のロングはフィクションとして描いていて、登場人物たちも実在の人物ではないものとされている。しかし実は先日長崎に行きまして、初めて観光というものをして(笑)、(専門家の)プロフェッサー(大学教授)にお会いし、出島やオランダ坂などいろいろなところに行きました。これは本当に、自分にとってはいいトリップでしたね。開国されていなかった当時は、日本女性が外国人と結婚するなど許されない時代だった。しかし例えばグラバー夫人のおツルさんのように、外国人と愛を育み、貫き通したという例もあり、やはりボーダー(国境)を超えた愛がそこにあった、という事実がある。その一方で、長崎に着港する海兵たちの相手をするという、その時代背景における女性の“役割”……それはもちろん貧困などの事情によることだったかもしれませんが、そういったセイラー(海兵)との関係があったことも事実だと。そのことは(フランス人小説家ロティの)「お菊さん」という小説に描かれていて、その“お菊さん”が、実際はバタフライのモデルだったんじゃないか、というのがプロフェッサーの意見。僕はそれに非常に感銘を受けました。
お菊さんとアメリカ兵のエピソードは、言ってみれば1ヵ月間だけのアヴァンチュールだったのでしょう。しかしたまたまジョン・ルーサー・ロングのお姉さんがお菊さんの近所に住んでいて、その様子を見聞していたと。それを伝え聞いた弟のロングが「それでは日本人女性が可哀想すぎるじゃないか」と言ってロマンティックに描いたのがバタフライだと。僕はこの話を聞いて、感動して涙が出そうになった。一瞬、その時代の彼らと交流ができた気がしました。バタフライ役の彼女たちには、こういうことを踏まえ、そういう気持ちでやってもらいたいと思う。
――その長崎取材のもようは8月25日(日)のお昼1時から、BS−TBSで放映ということになっています。
- 熊川 台風直撃の日でしたから、大変でしたけども。髪の毛がくりくりになりながら頑張りましたよ(笑)。
――それはあいにくでしたね。それではここから、主人公バタフライ、そしてピンカートンの役のみなさんにたっぷりと話を伺っていきたいと思います。まずは今回タイトルロールに抜擢されました矢内さん、作品への思い、そしてバタフライを演じるのに気を付けていることなどありましたらお聞かせください。
- 矢内 日本人だからこそ感じ取れること、その心情や繊細な動きなどを自分の中で大切に表現していけたらと思っています。
- 熊川 今回は矢内千夏がファースト・キャストとしてバタフライを演じます。彼女は天才的なセンスと、“バレエの申し子”のようにバレエの世界に入れるダンサーなので、非常に満足しています。
――続きまして、主人公バタフライと花魁の二役を演じられます中村さん、お願いします。
- 中村 今日は本当にたくさんの方にお集まりいただいてありがとうございます。今回私は、蝶々夫人と花魁という役をいただいています。最初に決まった役は初日に踊らせていただく花魁の方で、蝶々夫人については私自身、同じ日本人ではありますけれど、どこか、自分と一致する部分というのが見つからないような気がしています。熊川ディレクターも、私を配役するにあたってその点を悩まれたとお聞きして。振付が進んでいくなかで、日本人である蝶々夫人が持っているものが、果たして自分のなかにもあるのか。むしろ、自分とは程遠い気がしています。日本人だからといって、日本人である蝶々夫人をより深く表現できるかといったら、そうでもない。“和”というものは、簡単には表現できないものなのだということを、いますごく感じています。
――中村さんは二役ということで、花魁を演じるんですよね。
- 中村 はい。花魁の方が、蝶々夫人よりも自分には似合うというか、表現という部分では出しやすいのかなという風には思っています。
- 熊川 花魁といえば、その世界のスターであり憧れの存在です。美しさの象徴、高嶺の花。そうした役に対して中村祥子が必要だということです。
――そして成田さん。役柄の難しさ、作品のここを見て欲しいというところがありましたらお願いします。
- 成田 国籍や身分の違いなどを越える愛を、どうステップや音楽に乗せて私が表現できるかというところが難しいと思っています。
――今回バタフライを演じるのが3人ということで、お互いにライバル心というのはありますか?
- 成田 いえ、ライバル心、というよりは……
- 熊川 すごくあるんですよ。
- 熊川 バレエの世界はね、そういうのがなければ成長しません。トゥシューズの裏に針を入れたりということも、いまだにありますからね。
――ホントですか?!
- 熊川 いや、ないですね。
――切磋琢磨していいものを作り上げるということですね。熊川さん、そのあたりの稽古の様子を見て、何か感じるところはありますか?
- 熊川 やはり中村祥子が、キャリアも全盛期を迎え、本当に心身ともに成熟した素晴らしいアーティストとして、そして素晴らしい人間としてピークを迎えていますから。そういったものを見習いながら、若い(矢内)千夏だったり成田(紗弥)だったりが、自分なりの肥やしにして出していこうとしていると思いますね。
――そして今回、アメリカ海軍将校ピンカートン役を演じながら、本作で振付助手としてもデビューされました宮尾さん、いまの心境をお聞かせください。
- 宮尾 演出・振付補佐として新しい役割をいただき、制作にまつわるほとんどのことに携わらせていただきまして、あらためて音楽や舞台セット、そしてスタジオで生まれていく振付等々、奇跡の連続を毎日見ているような感覚です。そういった瞬間に携わらせていただけているのが非常に嬉しく、幸せに思っています。
――振付助手のお仕事っていうのは、主に何をなさるのでしょうか?
- 宮尾 アイディアを出せるシーンがあれば出し、あとは流れを把握する。演出家に付いて、動きを見て勉強させていただくような形です。
――なるほど。熊川さんと意見の対立なんてことは……
- 宮尾 ないですね。
――食い気味で「ない」と。熊川さん、そうおっしゃっておりますけども。
- 熊川 まあ、僕が12歳上なので。
――(笑)。宮尾さんの仕事ぶりはいかがですか?
- 熊川 本当に申し分ないアシスタントをしてもらっています。宮尾のことはもう20歳の頃から知っていますが、独立したマインドを持ち、なおかつ成長した形でカンパニーに貢献してくれています。後輩にアドバイスしたり、彼らに自分の背中を見せる立場・年齢になったというところも含めて、立派になったなと思っています。
――そして宮尾さんはピンカートン役も演じますね?
- 宮尾 この作品は“蝶々夫人がどう見えるか”というのが一番大切だと思いますので、ピンカートンは、客席からブーイングが起こるような人物であればあるほど、彼女の一途なところや悲劇がより引き立つと考えています。
――3人の“マダム・バタフライ”、宮尾さんから見てのそれぞれ特徴や印象を聞かせてください。
- 宮尾 矢内さんは今回のファーストキャストですので、彼女がまず一番前でリハーサルをしながら振付や役が作られていくという立ち位置にあります。彼女は非常に“動ける”ダンサーで、身体的にもメンタル的にも演出の意図をくみ取るのがとても早い。彼女の中から出てきたアイディアもあると思います。
祥子さんは、僕も長く一緒に組んで踊ってきましたが、この美しい身体から広がる、美しく成熟した感性。蝶々夫人としては、この3人の中ではいちばん“新しい形”になるんじゃないかなと思いますね。
成田さんは非常に透明感があり、“妖精のようなバレリーナ”と言われています。去年入団して、先月初めて『シンデレラ』で主演デビューをしたばかり。しかし非常に肝が据わっています。透明感があるけれども非常に肝の据わった、いままでKバレエにいなかったタイプのバレリーナです。『マダム・バタフライ』の最初のポスター(でモデルを務めたの)は成田さんだったのですが、まさにあのような軽やかな透明度のある感じが特徴だと思っています。
――それでは熊川さん、20年目という節目を迎えたKバレエカンパニー、これからどんなカンパニーを目指していくのか、そのビジョンを、いま言える範囲でいいのでお聞かせいただければと思います。
- 熊川 クラシック・バレエに関わらず古典芸術というのは、心を豊かにする要素がたくさんあります。昨今いろいろなニュースが世間を賑わしていますけれども、そういったなかでみなさんの癒しになるような活動を、これからもしていきたいと思います。それとともに、やはり“三世代続く古典バレエ観劇”、そういったものを心掛けて、幅広いレパートリーをやっていきたいと思っています。
――20周年という節目を迎えまして、又さらに20年後も楽しみになりますね。来年は日本で大イベント、オリンピック控えています。オリンピックイヤーは、Kバレエカンパニーとして何か考えていらっしゃいますか?
- 熊川 オリンピックという記念の年ではありますけども、古典芸術というのはいろいろな要素に流されずに何百年も続いている芸術です。ですからそこは変わらず平常心で、日頃から鍛錬をし、それを発揮していくこと。そこはあまり変わらないと思います。ただ、来年のラインナップとして、既存の全幕バレエに加えて、来年9月にはさらなる新制作をしたいと思っておりますが、私は一切関わるつもりはありません。
――関わらないんですか?!
- 熊川 初めての宮尾俊太郎演出作品を、第1作目として、世の中の人に送り届けたいなと思います。
――宮尾さん、その話は聞いてましたか?
- 宮尾 はい。数日前に。
――数日前! 大役です。
- 宮尾 そのような大役を頂きまして、非常に、喜んで、胸いっぱいな話ではございますが、今回を含めていままで熊川ディレクターから見せて頂いてきたものがたくさんございますので、自分のなかに消化してきたものをどうお客様そしてカンパニーに還元できるかな、というのを考えています。
記者との質疑応答
――記者1 開国して間もない頃の日本が舞台ということですが、熊川さんはイギリスにおいて日本と世界の関わりを経験されてきたかと思います。その辺のお話を伺いたいです。
- 熊川 当然のことながら文明の利器の発達によって、スピードや情報の伝達という面では、その当時の人からすればタイムマシンに乗って未来に来たような世界だと思います。しかしメンタルにおいては、その時代の人もいまの人も何も変わらないと僕は思っています。人の気持ちは時代を超えて変わらない。実際に、日本人女性とアメリカ人男性の恋愛というのは開国前にもあったし現代にもあります。
――記者2 2つ質問があります。ひとつ目は熊川さんに。オペラの『マダム・バタフライ』は全3幕で、今回のバレエも全3幕のようですが、第1幕はピンカートンのアメリカ時代ということで、オペラとは構成が違うのかなと想像しています。今回の全3幕がどういう構想かを教えてください。
もうひとつは各ダンサーの方に。熊川振付の特徴をそれぞれ教えてください。
- 熊川 オペラをベースにしている部分はもしかしたら半分もないくらいかもしれません。僕がオペラをベースに制作したバレエとしては『カルメン』がありますが、『カルメン』には全幕バレエとして成立するだけのビゼーの音楽がありました。また登場人物も多岐にわたり、舞台もスペインで、非常に制作しやすかった。しかし今回の『マダム・バタフライ』は、オペラをベースにしてしまうと、登場人物の数が非常に少ないため、カンパニーの金字塔的作品となるには少し規模が小さくなってしまう。下手をしたら、一幕物のバレエで終わってしまう懸念すらありました。
今回はまず、ピンカートンの生い立ちと、母国に置いている婚約者ケイトとの関係を少し色濃く映したいと考え、第1幕の冒頭をアメリカのシーンにしました。その後に花魁の町が登場し、ここではダニエル・オストリングの素晴らしいセットをご覧いただけますが、そこで何を表現したいかというと、長崎港に着いたピンカートンとバタフライの出会いです。オペラにはその出会いのシーンが描かれていなくて、ピンカートンの家に彼女が嫁いでくるシーンから始まるんですね。ですからその出会いというのはどうしても見せたかったし、そこで愛が育まれる模様をもう少し深くしたいなと考えました。あとはラストも少し変えようかなとは思っています。
――ダンサーのみなさん、熊川哲也さんの振付の特徴をお聞かせいただければとのことですが。
- 矢内 技術だけを見ると、正直とても難しいのですが、常に音楽と共にあって、その音楽に乗せられた感情と一緒に振付が流れていく感じなので、すごく難しいと同時に、踊っていて自分の感情を引き出してくれるようなことが多く、私は逆に踊りやすい振付なのではないかなといつも思っています。
- 中村 私は長い間、海外でたくさんの振付家と一緒に仕事をしてきたのですが、熊川ディレクターの振付を最初に踊らせていただいた時、すごくスピーディーであり、技術面ですごく難しいなという印象を強く持ちました。でも技術という面だけではなく、私が深く感銘を受けたのは“表現”という部分です。ディレクターが伝えようとしていること、表現しようとしていることを考えていくうちに、「ああ、こういうアイデアもあるんだ」と、さまざまなアイデアやヒントを見つけることができる。それがKバレエカンパニーのダンサーにとっては強い宝になる部分ではないかなと思っています。やはり表現というのは、自分からは見つけられない部分がたくさんあります。そこをディレクターは、ダンサー一人ひとり、それぞれに合った表現というものを見出してくださる。そこがすごくいい経験になっていると思います。
- 成田 私は入団してまだ間もないのですが、熊川ディレクターの振付を見ると、いつもおしゃれだなって思うんです。それを自分が踊れることもすごく嬉しいです。私が苦戦しているのは、カウント内にステップがすごく多いことです。私はまだそれをこなすのにいっぱいいっぱいなので、それをしっかりしていけたらなと思っています。
- 宮尾 僕も、ただ踊るだけの立場だった時は、そのカウントに対して入っているステップの多さとスピードの速さについていくのが必死だった記憶があります。しかしいま制作側に立たせていただくと、それが非常に音楽的であるということ、心情をストレートに出すところとオブラートに包んで柔らかく出すところといった緩急があることがよくわかる。そして物語の本筋を見失うと振付もストップしてしまうけれども、熊川ディレクターの振付はなぜその踊りになるのかという“動機”が非常にクリアで、踊りの“繋ぎ”という部分が非常に素晴らしい。僕も勉強させていただいています。
――ありがとうございます。まとめますと、技術が難しいというのと、表現力が熊川さんならではのオリジナル感にあふれている、更にはステップ数が多い、そしてオシャレであると。熊川さん、異論はありますか? 狙い通りですか?
- 熊川 プラン通りです。すべては音楽です。僕らは音楽の神様に委ねるしかなく、音楽を解読できるかできないかによって振付も変わる。すなわち僕がミュージカリティ(音楽性)に溢れているということです(笑)。
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最後は真夏の太陽と緑が輝く庭でのフォトセッション。熊川と4名のダンサーたちの撮影が行われ、会見は終了した。
Kバレエカンパニー『マダム・バタフライ』は2019年9月27日(金)、東京・Bunkamuraオーチャードホールで開幕。
その後劇場を上野の東京文化会館に移し、10月14日(月祝)まで上演される。
★詳細: http://www.k-ballet.co.jp/performances/2019madame-butterfly.html