Noism0+Noism1+Noism2『春の祭典』 演出振付:金森穣 写真:篠山紀信
1913年、かのバレエ・リュスがニジンスキー振付により初演して以来、世界中の数多の振付家たちが挑み続けてきたストラヴィンスキー作曲「春の祭典」。時代の巨匠たちも次々と名版を生み出してきた本作に、ストラヴィンスキー没後50年である今年、新たなオリジナル版が誕生した。
上演するのは新潟を拠点とする舞踊団〈Noism〉。演出振付はもちろん、同カンパニーの芸術監督である金森穣。
同公演は2021年7月2日に本拠地・新潟で幕を開け、7月23日(金祝)〜25日(日)には彩の国 さいたま芸術劇場で、7月31日(土)には札幌文化芸術劇場 hitaruで上演される。
今回の公演では、この『春の祭典』のほか、〈集団〉で創作することの意義を問い直す『FratresⅢ』、同団副芸術監督の井関佐和子のために振付けられ、芸術選奨文部科学大臣賞および日本ダンスフォーラム賞大賞を受賞した『夏の名残のバラ』を同時上演。加えて、Noism初の“映像のための舞踊作品”である映像舞踊『BOLERO 2020』が上映される。
この公演に先がけて、上記すべての作品の演出振付を手がけているNoism芸術監督の金森穣と、同副芸術監督の井関佐和子に単独インタビュー。各作品が生まれた背景や、舞踊に込められた思いなどについて、それぞれたっぷりお話を伺った。
【Noism「春の祭典」特集②】井関佐和子インタビュー〜『夏の名残のバラ』は、過ぎし日の自分との対話。すべての動きや瞬間が愛おしい。〜はこちら
[Interview #1]
金森 穣 Jo Kanamori(演出振付/Noism芸術監督)
金森 穣(Noism0+Noism1『FratresⅢ』 撮影:村井勇)
- まずは遅ればせながら、紫綬褒章受章、おめでとうございます! 井関佐和子さんの芸術選奨文部科学大臣賞受賞から2ヵ月も経たずしての受章でしたね。
- 金森 ありがとうございます。報せを受けた時は本当に驚いたのですが、佐和子の受賞の時に喜びすぎて、自分に関しては当初あまりピンときませんでした(笑)。時間が経つにつれ、徐々に「これは凄いことなのだ」と実感が湧いてきた感じです。
- 未だ終わりの見えないコロナ禍にあって、金森さんのご受章はファンにとっても嬉しいニュースでした。
- 金森 我々にとっても本当にありがたいタイミングでした。というのもNoismは、コロナ・ショックが起こる前に、活動継続問題という大きな困難に直面しました。私や佐和子を含め、メンバー、スタッフ、全員が悩み苦しんだ時期が続き、それをようやく乗り越えて、さあこれから自分たちの真の第2章が始まるのだ、自分たちに何ができるのか真摯に向き合っていこうと動き出した矢先に、パンデミックが起こってしまった。ですから今回の芸術選奨や紫綬褒章はやはり、とても大きな励みになりました。
- まさにそのコロナ・パンデミックのために昨年いったんは延期・中止を余儀なくされたNoism0+Noism1+Noism2『春の祭典』本公演が、奇しくもストラヴィンスキー没後50年の今年7月、ついに幕を開けました。金森さんはストラヴィンスキーのあの音楽を奏でている各楽器に舞踊家のみなさんを割り当てていき、おのおのが担当する楽器の音色やリズムに合わせて踊るように振付けたそうですね。その斬新な着想はどこからきたのでしょうか?
- 金森 アイディア自体は「ひらめいた」としか言いようがないのですが、「春の祭典」という楽曲については、ベジャールのもとで学んでいた時から事あるごとに聴いていましたし、「いつかはこの音楽で作品を作りたい」と思っていました。ただ『春の祭典』と言えば、まず恩師ベジャールやピナ・バウシュといった巨匠たちのマスターピースがあり、他にもいろいろな振付家たちが既に挑み尽くしてきた感があります。そのような中で、何か自分ならではのもの、「これが自分のやりたいことだ」と確信できるものが見えなければ、作ってみたところで既存の作品は超えられない。どうせ作るならベジャールにもピナにも作れなかったような『春の祭典』を作りたいーーそう思うとなかなか着手できないまま、時が過ぎていました。
そんな時に東京都交響楽団(都響)とNoismが共演するという企画が持ち上がり、都響の音楽監督の大野和士さんとソロ・コンサートマスターの矢部達哉さんから、「『春の祭典』はどうだろう?」と提案いただきました。感染症の影響で最終的に都響とは別の作品を上演することになったのですが、そのお話をきっかけに、オーケストラのみなさんが「春の祭典」を奏でているさまを想像しながら音楽を聴いてみたのです。そうしたら、ふと、「もしも楽器を演奏している人たちがそのまま踊り出したら?」「演奏家から生まれてくる響きが、そのまま動きとして立ち現れたらどうなる?」とひらめいた。それでさっそく実験的に振付を始めてみたところ、これがとてもうまくいきました。例えば「春の祭典」はまずファゴットのソロから始まりますが、楽譜を紐解きながら分析的に聞き込んでいくと、ストラヴィンスキーはこの楽器の出せる限界の音域まで展開させて不穏な印象を作り出しているなど、ファゴットにとても重要な役割を担わせていることがわかります。ならば当然、ファゴット担当は井関佐和子だなと。あるいは高低それぞれの音域を持つクラリネットが並走して旋律を歌っている曲は、男女のカップルが踊っているように見えるからあの彼女と彼がいいな、トランペットの音が飛び出してくるフレーズは、こっちの彼がバッ!と跳び上がって出てくる感じがするな……等々、次々にイメージができていきました。そうやって楽器ごとに配役を決めてそれぞれの動きを作っていき、いろいろな配置を試しながら組み立てていったのが、我々の『春の祭典』です。
Noism0+Noism1+Noism2『春の祭典』演出振付:金森穣 撮影:村井勇
- おもしろいですね! これまで生まれてきた舞踊作品としての『春の祭典』は何らかの物語性を軸にしたものが多いと思うのですが、金森さんはあくまでも楽曲を構成する楽器の音色からアプローチしていったということですね。
- 金森 大事だったのは、表現したい物語ありきで役を決めるのではなく、あくまでも音楽の構造と楽器の音色から配役していったことです。それこそがベジャールもピナもやっていない、自分ならではの『春の祭典』への取り組み方だと考えました。
- おっしゃるように『春の祭典』にはベジャール版やバウシュ版といった決定的な名版がすでに存在していますが、そのような作品に対して、金森さんは意外なほど自然体で取り組んでいらっしゃるようにも感じました。というのも、金森さんはあくまでも音楽そのものから自然発生的に生まれてくるイメージを動きにして、その動き同士がたまたま出会うことで偶発的に見えてくる物語をピックアップしていったと。それはある意味、とても肩の力の抜けた挑み方であるように感じたのですが。
- 金森 「ベジャールもピナもやっていないオリジナルのアプローチで」というのは、そうした先人たちの舞踊表現を否定したり、壊したり、そこから逃げたりすることでは決してありません。これは常々言っていることですが、過去の芸術を批判し、そこから脱出することで前代を乗り越えようとしたのが20世紀的な在り方です。しかし我々21世紀の振付家に問われているのは、先人たちが膨大なエネルギーと才能を賭けて生み出してくれたものの中から、忘れられているものをもう一度思い起こし、大切なものをあらためて拾い集めて、今の方法論で再構築することだと思うのです。
私は20世紀の薫陶を受けた舞踊家であり、それを否定して21世紀を構築しようとは考えていません。むしろベジャールやピナたちの影響を多大に受けていますから、創作をしていると、ベジャールがある場面で表現したものが自分の目の前にも現れてきたり、ピナの作品で感じたのと同じようなカタルシスが自然に生まれてきたりすることもあります。それらが作品にとって良いシーンになるのであれば、排除するのではなく、大切に使う。それが今を生きる自分にとっては、自然なアプローチです。ですから今回のNoism版『春の祭典』には、ニジンスキー、ベジャール、ピナの三大『春の祭典』へのオマージュも入っています。
Noism0+Noism1+Noism2『春の祭典』演出振付:金森穣 撮影:村井勇
- 『春の祭典』について、もうひとつだけ質問させてください。本公演に向けて金森さんが書かれたメッセージに、「21世紀を生きる私たちにおける生贄とは何か? 誰が、何に対しての生贄なのか?」という旨の言葉がありました。金森さんご自身は、この時代における生贄とは何だと考えていらっしゃいますか?
- 金森 例えばニジンスキーの『春の祭典』では、春の神に捧げる生贄として選ばれたひとりの少女が死に至るまで踊り続けるという、古代ロシアの伝統儀式が描かれています。ベジャールの描いた生贄性はまた全く異なっていて、生贄に選ばれた一組の男女の動物的な本能や性的エネルギーがせめぎ合い、昇華して生命が花開く。かたやピナの『春の祭典』は、ある女性を生贄として定め、周りがそれをじっと見つめているという、平たく言えば「いじめ」のような集団心理を描いています。これら3つに共通して言えるのは「選ばれた人がいて、周りがいる」という構図です。これはバレエの様式自体にも当てはめることができます。つまり「スターやプリンシパルがいて、群舞がいる」。このヒエラルキーが従来的な基本構造だったと言えるでしょう。
しかし、今はもうそのような時代ではありません。もっと個別で、ライフスタイルも様々で、共同体は崩壊しているのが当たり前になったのが21世紀。地位も役職も、被害者も加害者も、あらゆるものが流動的で入れ替え可能になったのが今この時代だと思うのです。となれば、特定の誰かを「生贄」として祭り上げて、その人を攻撃していればその他大勢の集団は安泰というわけでは全くない。ですから我々Noismの『春の祭典』は、全員が生贄になって終わります。「特定の誰か」ということが破綻していくのです。
Noism0+Noism1+Noism2『春の祭典』演出振付:金森穣 撮影:村井勇
- お話を伺えば伺うほど観たくなる『春の祭典』ですが、同時上演される作品も非常に楽しみです。とくに『夏の名残のバラ』は、個人的な感想で恐縮ですが、近年観た舞踊作品の中で最も好きな作品のひとつです!
- 金森 ありがとうございます(笑)。
- 同じく同時上演される『FratresⅢ』は集団で踊るということのエネルギーに息を飲むような作品で、舞踊家が入れ替わったとしても(金森さんご自身が踊るパートは難しそうですが……)永続的に上演ができるレパートリーという印象を受けます。いっぽうで『夏の名残のバラ』は、井関佐和子さんというひとりの舞踊家と一緒に生きて、消えていくような作品であるように思えます。そういった意味でも対照的な2作品が一緒に観られるというのも、今回の公演のおもしろいところですね。
- 金森 作者としては、どの作品も長く残っていってほしいと常に思っていますが、『夏の名残のバラ』は、確かに難しいと思います。例えば音楽を聞いていて「これを佐和子に踊ってほしい」と思って作ったわけではなく、佐和子自身の中から見えて生まれた作品ですから。もしも数十年後に誰か別の舞踊家が踊ることになったとしても、今の佐和子が、あるいは今までの佐和子が舞踊家として感じてきた苦悩や葛藤、願い……いろいろなものを真に理解し、共感できる人でなくては、表現できないでしょう。振付を表面的になぞっても、まったく伝わらないと思います。
Noism0+Noism1『FratresⅢ』演出振付:金森穣 撮影:村井勇
Noism0『夏の名残のバラ』演出振付:金森穣 撮影:篠山紀信
- それにしてもあんなにも素敵な作品が、一体いつ、どのような瞬間に生まれたのでしょうか……?
- 金森 以前、ある小さな劇場で公演をした時に私と佐和子の楽屋がなくて、舞台裏の小さなスペースにふたり用の楽屋をこしらえてもらい、一緒に準備をしたことがありました。その時は佐和子のほうが出番が先で、私は彼女がメイクしたりバー・レッスンしたりして支度するのを何となく眺めていたのですが、それが本当に美しかった。その美しさの中には、何とも言えない哀切がありました。緊張もしているだろうし、ロングラン公演だったので疲れてもいる。身体にも痛みを抱えている。それでも一回性の舞台に挑んでいくという覚悟。それらのことを目の前の光景が無言で語っていて、「ああ、この彼女の痛みや喜び、願い、愛、すべてを表現したい」と思いました。しかしその時の私にはまだ、それを表現する術が何なのかがわかりませんでした。
ところがその後、たまたま映画を見ていた時に、あの「夏の名残のバラ」の曲が流れてきました。その瞬間、自分の心の中に起こった哀切や美しさや儚さーーそれらの感動の質が、あの日の佐和子から感じたものとよく似ていると気がついた。その同質の感動を合わせるようにして作ったのが、『夏の名残のバラ』という作品です。
- あの作品からは、金森さんが井関さんをどのような眼差しで見つめているのかがそのまま伝わってくるようで……女性として少しうらやましく感じるほどの思いで見入っていると、最後には「自分の見てきたものは幻だったのか?」と思うような転換が起こりますね。
- 金森 これは稀なことですが、作品を作っていると、何もかもが無理なく自然に、自分の中で決まっていくことがあります。あらかじめ考えたり決めたりするのではなく、偶然的にやってみたことが、そのままぴたりとはまっていく、というように。そんな時は自分でもどうして作れたのかわからないような感覚になるのですが、『夏の名残のバラ』はそのような作品のひとつです。
Noism0『夏の名残のバラ』演出振付:金森穣 撮影:篠山紀信
- 最後に映像舞踊『BOLERO 2020』についてもひとつだけ質問させてください。このコロナ・パンデミックが起こって以来、世界中で本当にたくさんの映像・動画作品が生まれましたが、金森さんはこの『BOLERO 2020』をどのような思いで作ったのでしょうか?
- 金森 このコロナ禍では本当に多くのアーティストが映像作品を発信していて、私もそれらを見ていたのですが、多くのものは「作品」として作られているというよりも、アーティスト自身の現状を訴えているような印象を強く受けました。そのような中で自分が作るのなら、このコロナという未曾有の状況にあろうとも、もっと普遍性をもった作品にしたいと考えたのが始まりです。じつは我々の『BOLERO』は、構成的には『春の祭典』と同じなんですよ。つまり、舞踊家たちは一人ひとり違う楽器を担当しています。というのも、まさに『春の祭典』を作るための実験をしていて、手応えを感じていた時に、この『BOLERO』を作ることになったので。
- そうなのですね! 『ボレロ』もまた、舞踊史上にはベジャールの傑作が今なお揺るぎなくそびえ立っている作品ですね。
- 金森 ですから私も当然ながらいつかは『ボレロ』にも挑みたいと思ってはいたのですが、なかなか着手できずにいました。そんな時に『春の祭典』で自分なりのアプローチが見つかり、しかも楽器別に振付けてそれぞれの映像を合わせていくというかたちなら、いまの「リモート」という社会状況下でもおもしろいものができる。これならいけると思い、創作することにしました。
- Noism版『BOLERO』のラストシーンは、まさにベジャールへのオマージュという印象ですね。
- 金森 最後のユニゾンは、そうですね。ただ、センターには誰もいない。そこが金森穣なりの、21世紀的な表現です。絶対的なもの、みんなで共通して信じられるものを失ってなお、我々はどこに向かい、何を願うのか。これが、常に自分の中にあるテーマです。
映像舞踊『BOLERO 2020』 演出振付:金森穣 写真:篠山紀信
公演情報
ストラヴィンスキー没後50年
Noism0+Noism1+Noism2『春の祭典』
上演演目
『春の祭典』
演出振付:金森穣
音楽:I.ストラヴィンスキー《春の祭典》
衣裳:RATTA RATTARR
出演:Noism0、Noism1、Noism2
『FratresⅢ』
演出振付:金森穣
音楽:A.ペルト《Fratres》
衣裳:堂本教子
出演:Noism0、Noism1
『夏の名残のバラ』
演出振付:金森穣
音楽:F.V.フロトー《Martha》より《Last Rose of Summer》
衣裳:堂本教子
出演:Noism0
映像舞踊『BOLERO 2020』
演出振付:金森穣
編集:遠藤龍
★映像舞踊『BOLERO 2020』はオンラインにて公開中(200円/7日間レンタル)
詳細:https://noism.jp/npe/bolero2020/
購入・視聴はこちら:https://filmuy.com/noism
埼玉公演
◎日時
2021年
7月23日(金祝)19:00
7月24日(土)17:00
7月25日(日)15:00 ※全3回
◎会場
彩の国 さいたま芸術劇場〈大ホール〉
◎詳細
https://noism.jp/npe/ros2021/
札幌公演
◎日時
2021年7月31日(土)18:00 ※全1回
◎会場
札幌文化芸術劇場 hitaru
◎詳細
https://noism.jp/npe/ros2021_sapporo/