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小林十市 連載エッセイ「南仏の街で、僕はバレエのことを考えた。」【第3回】教える、ということ。

小林 十市

ベジャール・バレエ・ローザンヌ(BBL)のスターダンサーとして世界中の舞台で活躍。
現在はBBL時代の同僚であった奥様のクリスティーヌ・ブランさんと一緒に、
フランスの街でバレエ教室を営んでいる小林十市さん。

バレエを教わりに通ってくる子どもたちや大人たちと日々接しながら感じること。
舞台上での人生と少し距離をおいたいま、その目に映るバレエとダンスの世界のこと。
そしていまも色褪せることのない、モーリス・ベジャールとの思い出とその作品のこと−−。

南仏オランジュの街から、十市さんご本人が言葉と写真で綴るエッセイを月1回お届けします。

***

いま僕は、アンジェ (Angers)というフランス西部、メーヌ川が流れる街に来ています。ここにCNDC(Centre National de Danse Contemporaine)というマース・カニングハム舞踊団で長く踊っていたロバート・スウィンストンさんがディレクターを務めるコンテンポラリー・ダンス・センターがあり、僕はバレエ・クラスとベジャールさんの『現在のためのミサ』という作品の中からの一部分を教えに来ています。

これはベジャールさんへのオマージュということで、既に4年前に「Messe Pour le Temps Present Grand Remix」というタイトルで上演されたものです。「Les Jerks」というピエール・アンリさんの曲を使った『現在のためのミサ』からの抜粋と、Herve Robbeさんという(ベジャールさんのベルギー時代ムードラ卒業生)振付家が、ピエール・アンリさんの「Les Jerks」の曲のリミックスを使って振付けたものを繋げた作品になっています。(確かYouTubeで見られるはず?)

今回はその再演にあたり、新しい生徒達の指導にと呼ばれて来ました。こうしてたまに環境を変えて教えるのは悪くないですね。

僕は現在はプロの活動をしているわけでもなく南仏のスタジオで子どもたちにバレエを教えているだけですが、普段から自主練をしているので、とりあえず自ら動き指導をし要点を注意し稽古を進めています。それがやはりいちばんスムーズに作業が流れていく気がしています。が、動けなくなったら? どういう具合に教えればいいのだろう? と体が痛くなるたびに不安になるのですが、じつはこれも既に経験済みで、僕が腰を痛めベジャール・バレエでの活動ができない時にベジャールさんから頼まれ、パリ・オペラ座へ『火の鳥』を教えに行った時は80%が口頭での稽古でした。

それが可能だったのは、やはり踊る側がプロであり作品への理解力も充分に持っていたからなのですが、いま僕がオランジュでやっているようなスタジオだと難しいのかな? と思うわけです。僕は晩年のスラミフィ・メッセレルさんのレッスンを受けた時に、彼女がずっと椅子に座ったまま両手と口頭だけでエクササイズを出していたのを覚えています。

「バレエ教師」をやっている人はみんな「バレエ教師」がやりたくてやっているのかなあ?と、時々思うのですが、みなさんきっと最初はただ「踊りたい、ダンサーになりたい」でこの世界に入ってきて、舞台経験を経て教師になる……流れが普通なのかなあ? フランスでは舞台経験や踊りの経験がない人が教師の資格を取るケースもあるみたいですが、僕のように一生現役でいたい! なんて人はあまりいないのかもしれないですね(笑)。昔、ある同僚が指導について“C,est drole parce que quand je dis a droit! et bien tout le monde tourne a droit.”(面白いよね、自分が右!って言うとみんな右を向くんだ)というような「支配欲」は自分にはないわけで……。

さて、本当は現役でいたいと思う僕にとっての「教えること」って……ぶっちゃけ「食べていくため生きるため」なんですけど……いや、こんなこと言うと仕事なくなりそうだな(汗)。生活していくためだからと言って、決していい加減な気持ちで教えているわけではありませんよ、もちろん。アメリカ留学中に、志望のバレエ団に就職できなかった子たちが、スパッと踊りをやめ大学に行って職業の資格を取得するために勉強することにすごく驚きましたが、それは生きていくために必要であったわけで、すばやい判断決断力に感心したものでした。現役中って先のことは分からないし心配してもその時点では無意味というかそんなことを考える時間はないし、僕は事実そんな時間がなかったですし、なかなか想像もつかないことなんですよね。もちろん、現役中から引退後の未来のビジョンを持ってお金を貯めたりするダンサーもいますけど。

クリスティーヌがオランジュでスタジオを始める前に、1年と2ヶ月の間、アヴィニョンにあるレペットのお店で働いた事がありました。

レペットではお客様にちゃんとポワントとかのアドヴァイスができるように元ダンサーを雇うようです。が、基本的には「販売員」なわけで、その仕事はかなり大変だったようです。もちろん、踊りとはまったく別の分野で成功している人たちもいますが、結局のところ僕やクリスティーヌに無理なくできることは、学んできたことを次の世代に伝えるということでした。

クリスティーヌの働きぶりを覗きにお店まで行った時の写真

オランジュバレエスクールの生徒たちは基本「学校優先」です。みんな、踊りは好きだけれどプロになろうと思っている子はいないようです(いまのところ)。人生は先の心配よりもその瞬間が大切なように思います。生徒たちが「いま」を楽しく踊れているならとりあえずは良いかなあと思い、発表会の準備をしたりしているわけですが、「学校行事」「1ヵ月半ごとのヴァカンス」「家族行事優先」とフランスでは結構難関があるわけです。(稽古に来られないという意味で)

なので、ほぼ趣味に近い感覚で来ている子が多いなか、発表会では「学芸会」にならないようにと、準備、稽古をしたい僕らとの温度差がたまに生じますが(笑)なんとか上手くやっています。

インスタグラムとかを見ていると、近年では海外で活躍する日本人ダンサーも増えて頼もしく思います。国によって違うでしょうがプロダンサーとしての実感、充実、踊って給料が貰えるということは誇りにして良いと思いますし、きっといまの若者たちは未来も見据えているんだろうなあと投稿を見ては思うわけです。僕も過去に戻れたらもう少しいろいろ気をつけたかった。(遅い!)

僕はいま50歳ですが、まだ、きっと、機会があれば踊ります。

まあ、そんな思いを抱いているものの自主練だけで果たして踊れるのかわからないですけど……。

いまの僕にとっての「教える」ということは、一緒にその踊り、作品を、生徒たちダンサーたちと「共有する」ということなのかもしれません。

もちろん舞台では一緒に踊らないけれど、稽古のスタジオ内では「こうしなさい」、ではなく、「僕はこう踊るけど君らはどう踊る?」的なスタンスでやっている時が実際あるので、気がつくと結構動いているという。

ちょっとセッションじゃないんだから!

もっともです!

いやあ、まだまだわからないなあ「教え」って何だろう?

僕らの世代よりも「踊り、表現」のヴァリエーションが増えて1+1=2ではなくなってきていて、それこそ1+1=田んぼの田!で良いんじゃないか、と。

ざっくり言うと。

よくわかりません……(笑)。

2019年11月15日 小林十市

★次回更新は2019年12月15日(日)の予定です

この記事を書いた人 このライターの記事一覧

元ベジャール・バレエ・ローザンヌ、Orange Ballet School 主宰、振付家、俳優。 10歳より小林紀子バレエシアターにてバレエを始める。17歳で渡米し、スクール・オブ・アメリカン・バレエに3年間留学。20歳でスイス・ローザンヌのベジャール・バレエ・ローザンヌに入団。以後、数々の作品で主役をはじめ主要な役を踊る。2003年に腰椎椎間板変性症のため退団。以後、世界各国のバレエ団でベジャール作品の指導を行うほか、日本バレエ協会、宝塚雪組などにも振付を行う。また舞台やテレビ、映画への出演も多数。 現在はフランスのオランジュにて Orange Ballet Schoolを主宰。

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