©︎Shunki Ogawa
テレビなどでもおなじみの作曲家・青島広志氏のお話と指揮で、バレエを“音楽”の視点からたっぷり楽しめる大人気コンサート「青島広志のバレエ音楽ってステキ!」。
毎回Kバレエカンパニーのダンサーも出演し、舞台上にずらりと並ぶオーケストラと一緒に、“踊りつき”でバレエ音楽の世界を堪能できるこのコンサートに、今回は中村祥子さんの出演が決定!
自身にとっては久しぶりとなる『白鳥の湖』から、第2幕のオデットと王子のグラン・アダージオを踊ることが発表されました。
『白鳥の湖』は、プロになって間もなかった頃の祥子さんが全幕主役デビューを飾った作品でもあります。
そしてキャリアを重ねたいま、祥子さんにとっての“白鳥”とは。
今回の出演を前に、お話を聞きました。
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インタビューはKバレエカンパニー「シンデレラ」本番前の舞台上で行われました ©︎K-BALLET COMPANY
――祥子さんがオデットを踊るのは2015年以来4年ぶりですね。
- そうですね、このところは『クレオパトラ』『カルメン』『アルル』など個性的な役や作品が多かったので、『白鳥の湖』のような純クラシック作品はとても久しぶりに感じます。
――祥子さんにとって『白鳥の湖』は、ウィーン国立歌劇場バレエ団時代に、プロとして初めての主役を踊った作品でもありますね。それから長く輝かしい道のりを歩んできたいま、“白鳥”は祥子さんにとってどのような存在でしょうか?
- 『白鳥の湖』は踊るたびに”いまの自分”を知れる、という感じがします。その時の自分を試し、その時の自分を知る。踊る機会をいただくたびに、白鳥という役に毎回一から向き合い、そうすることで、技術、内面、精神……その時の自分の力量を突き付けられることになります。だから、何度踊っても、いまの自分の持てる全てを捧げなくてはいけない作品です。
――その感覚は『白鳥の湖』を踊る時だけに感じるものなのでしょうか?
- 例えば『ドン・キホーテ』『クレオパトラ』『カルメン』など、他の多くの作品では、そのキャラクターで表現すべき“ニュアンス”が明確です。そのニュアンスは踊る上で大きな助けになるのですが、『白鳥の湖』にはそれがあまりないような気がします。いままで積み上げてきたものがまず問われて、そこに腕の使い、白鳥の視線などすべてを一瞬一瞬に入れ込んだところから、さらにその先で何を表現するか。“雰囲気”だけでは到底踊ることができなくて、自分の力量が役に見合わないとさえ思えてきてしまいます。
――『白鳥の湖』は、なぜそれほどまでに特別なのでしょうか?
- “正解”がないのです。自分がどんなに深くこだわり抜いて踊っても、意外と考えず、こだわりすぎず自然に踊った人のほうが「きれい、白鳥らしい」と思えることもありますし。これまでもう何回も踊ってきましたけれど、“正解”と言えるものは見えてない気がします。そもそも、そういうものはないのだろうと……。でもだからこそ、毎回“いまの自分”で作り上げなくてはいけない作品。ですから白鳥を踊る時は、どうしても神経質になってしまいますね。
――祥子さんはこれまでさまざまなバージョンの『白鳥の湖』を踊ってきていますが、それでもなお、「私の白鳥はこれだ」というものはない、ということですね。
- ないと思います。毎回、第2幕で登場する最初の一歩から悩みます。何度踊っても、こうなのだろうか、こういうふうに動くべきなのだろうか、と。“バレエといえば『白鳥の湖』”というイメージがあるけれど、これほどまでに人によって違う作品、いかようにも変化し得る作品は、なかなかないと思います。アームスの動かし方ひとつでも、ダンサーやバージョンや踊りのスタイルによって違いますし、その人の意思しだいでどんな白鳥にもなれるんです。
「私の白鳥はこれ」というものを見つけるのも素晴らしいことだと思いますが、私はこれからも変化し続けたい。まだまだ、学ぶべきものがたくさんあると思うので。叶うことなら、『白鳥の湖』を原点からすべてを知る先生に、一から“白鳥”というものについてや、動きの一つひとつについて、教えを請うてみたいとも思います。その上で、またあらためてこの作品に挑んでみたいという思いもあります。
――今回のコンサートで踊るのは、第2幕よりオデットと王子のグラン・パ・ド・ドゥですね。
- 踊っている時にいちばん感じるのは、とにかく“しんとしている”ということです。自分自身は動いているのに静謐で、何百、何千もの目が私たちだけに注がれている空間がそこにある、という感じ。その静けさの中で、パートナーとふたりで、お互いの呼吸の音を聴きながら踊ります。そして一瞬たりとも集中力を切らすことなくコントロールすることが必要で、ゆっくりとした動きの一つひとつが生み出すものすべてを、お客様に味わっていただく。これ以上ないくらい繊細なアダージオです。
――私たち観客も、文字通り固唾を呑んで見つめる場面です。
- 本当に集中力を切らすことができず、細かなコントロールをしながら踊っていますし、トゥシューズの先に力が入るので、踊りの最後の方は、トウで立った足先がどんどんトウシューズの中にめり込んでいく感覚です。
――感情表現の面ではどうでしょうか。祥子さんは、あの10分弱のパ・ド・ドゥの間に、オデットの気持ちや王子との関係性にどのような変化があると解釈していますか?
- ふたりの関係性は、オデットが登場した時からまだ何も変わらないと思います。パ・ド・ドゥの間も、王子はオデットをまるでガラス細工のように扱っています。近づきたいけど、近づき過ぎたらきっと逃げてしまう。そっと触れたいけど、触れたらきっと壊れてしまう……王子は最後の最後まで、オデットに対して絶妙な距離感を保っていると思います。そしてオデットは、王子と出会って、初めて“温かみ”みたいなものを感じているとは思います。それでもまだ、彼女が抱えている寂しさや悲しさは変わらない。王子にすべてを委ねてみたいけれど、やはりまだ何が起こるかわからないという不安感がある。彼女はもしかすると、第4幕になって初めて、自分の中に生まれていた王子への想いに気づくのかもしれません。それまでは、彼女の感情にもふたりの関係性にも、そんなに大きな変化はないような気がします。
――おもしろいお話です。
- もしかすると、若い頃の私はまったく違うことを言っていたかもしれません。これもまた、いまの自分だからこその“白鳥”の感じ方なのでしょうね。
白鳥は、本当に限られた期間しか、充分に踊ることのできない役だと思います。テクニックやエネルギーさえあれば見せられる、というわけではもちろんありません。すみずみまでコントロールしきって踊るだけの体力、強さ、集中力。そして長年積み重ねてやっと見えてくる感情の機微。バレリーナ人生のなかで、そういったものをすべて備えていられる時間は、けっして長くありません。そうした儚さや悲しさも含んでいるのが、白鳥という役だと思います。
公演情報
“青島広志のバレエ音楽ってステキ!”夏休みスペシャルコンサート2019