高橋竜太 ©︎Toru Hasumi
マイケル・ジャクソンやジャッキー・チェンに憧れて、独学でダンスを踊り始めた少年時代。
体操部でアクロバットを習得し、バンド活動に勤しんだ中高生時代。
映画俳優を目指し、演劇科へ進んだ大学時代。
そして運命を変えた、モーリス・ベジャール作品との出会いーー。
東京バレエ団のソリストとして活躍後、ミュージカル等にも出演するなど活動の場を広げているダンサー・振付家の高橋竜太。
現在は振付家・映像作家・指導者など多彩な顔を持つアーティストとして、じつに多忙な毎日を送っている。
2022年5月4日(水祝)・5日(木祝)には札幌でコンテンポラリーダンスワークショップを開催。同5日には、安室奈美恵やSMAP、AKB48 などの振付やミュージカルの演出・振付で知られるダンサー・振付家のTETSUHARUとのトークイベントも予定されている。
「バレエを始めたのは19歳」という高橋竜太の、ユニークな発想と出会いが詰まったダンス人生のストーリー。どうぞお楽しみください!
- 〈目次〉
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2月半ば、クラスを担当しているバレエスタジオの発表会に向けてオリジナル作品を創作していた高橋竜太。妻の高木綾(元東京バレエ団)と共に経営するROSSI BALLET STUDIOでリハーサルを行っていた ©︎Toru Hasumi
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子どもの頃は、バレエなんて知らなかった
- まずは子ども時代のお話を。ご出身は?
- 練馬生まれの湘南育ちです。いつも海で遊んでいて、真っ黒に日焼けした子どもでした。
- ダンスとの出会いはいつ、どのように?
- バレエダンサーって、みんな4〜5歳でバレエを始めて青春のすべてを稽古に捧げて……というイメージがあるじゃないですか。ところが幼少期の僕は、正直、バレエなんてまったく知りませんでした。当時はちょうどブレイクダンスが流行りだした頃で、地元の湘南あたりではみんなストリートダンスを踊っていたんです。僕もそれに倣って見よう見まねで踊り出したのが、ダンスとの最初の出会い。小学校3年生にしてマイケル・ジャクソンのレコードを買い、独学で振りを覚えたりしていましたね。
- そうすると、当時の夢はマイケル・ジャクソンみたいなアーティストになること?
- 夢というと、その時代の多くの男の子がそうであったように、ジャッキー・チェンやブルース・リーみたいな映画俳優になりたい!と思っていました。父親が映画評論の仕事をしていたので、幼少期から身の回りにはいつも映画があったから。彼らのような役者になるにはダンスやアクロバットができたらいいんじゃないか?と子どもなりに考えて、バク転も独学で習得したんですよ。
- 独学でバク転を?!
- 「バク転ができるようになりたいな」って思うものなんです、男の子って(笑)。何か特別な力を持ちたいから。放課後、友達に「じゃあね!」と手を振ったあとこっそり体育館に行って、ふかふかのマットの上でひとり練習していました。
- バク転、怖くなかったですか?
- 怖かったです。なので、まずは側転から始めて、手をつく方向をだんだん修正して……とやっていくうちに、できるようになりました。僕はその後の人生でも、とにかく自習して誰よりも努力することでここまできた。そういう「自習グセ」はこの時に身についた気がします。
- 中学で体操部に入ったのは、アクロバットをさらに本格的に学ぶため?
- そうです。中学・高校と体操部でした。入部した時すでにバク転ができたので、かなり目立つことができましたね(笑)。同時に音楽も勉強しようと思い、バンド活動も始めて。だから毎日へとへとでした。
- バンドでは何の楽器を?
- ドラムをやっていました。選んだ理由は、周りがみんなギターをやりたがったから。プレイヤーが少ないほうが当然目立つし、ドラムはリズムだけだからいちばん簡単そうに見えたし、全身を使うところも性(しょう)に合ってるかなと。それで始めてみたら、やっぱりドラマーは引っ張りだこで。僕は3バンドくらい掛け持ちして、当時流行っていたハードロックからヘビーメタルまでやってました。
- すごいと思うのは、ジャッキー・チェンみたいになりたい!と夢みた子どもが、まずはスキルを身につけようと、ダンスやアクロバットや音楽といった“周辺ジャンル”を攻めていったこと。アクロバットはまだわかるとして、ダンスや音楽が自分の目指す演技の素地になると、まだ10代にもかかわらず発想できたのはなぜでしょう?
- 子どもの頃、父や母が僕にこう教えてくれたんです。「『こんな人になりたい!』と憧れるなら、その人がいまやっていることをそのまま真似するのではなくて、その人の基礎に何があるのかを考えてみるといいよ」と。例えばジャッキー・チェンは、「自分は無声映画時代のチャールズ・チャップリンのアクロバティックな展開に強くインスパイアされている」と語っていました。ならばチャップリンはもちろん、ハロルド・ロイド、バスター・キートンといった当時の喜劇王たちの映画をとにかく見てみようと。彼らは言葉がなくても動きだけで僕らを惹きつける。走って逃げるだけでも動きが鮮やかで、いきなり壁にも登っちゃう。これはチャップリンたちも徹底的に動きの研究をして、相当な量の練習をして、あの域に到達したはずだと確信しました。もちろん当時はまだ子どもでこんなに言語化できていたわけではないけれど、僕もいろんなジャンルに寄り道しながら勉強していかないとダメなんだろうなと、漠然と感じていました。
幼少期から運動神経は抜群。その身体能力は今も健在 ©︎Toru Hasumi
運命の友TETSUHARU、そしてモーリス・ベジャールとの出会い
- 体操と音楽に明け暮れた中高時代を過ごし、大学は桐朋学園大学演劇科へ。いよいよ、子どもの頃からの夢「俳優になりたい!」という目標に具体的に近づくわけですね。
- その通りです。そしてその同じ学科にいたのが、今回のトークショーにゲストとして参加してくれるダンサー・振付家のTETSUHARUです。
- TETSUHARUさんの第一印象は?
- 「なんじゃこの人は?!?!」。まず見た目がカッコよくて、何よりダンスがとてつもなく上手い。身長や体型は僕と変わらないし、ついでに言うと着ていたファッションや長髪を束ねたヘアスタイルもかぶっていたんだけど(笑)、ダンスのレベルがまるで違っていました。とにかく衝撃的でしたね。
- そういう場合、人はバチバチのライバルになるか、あるいは吸い寄せられるように仲良くなるかのどちらかだと思いますが、ふたりの場合は?
- 僕らは出会って数ヵ月ですっかり仲良くなり、そこからはもうべったりでした。お互い付き合っていた彼女に嫉妬されるくらい、本当に毎日一緒にいた気がします。もちろん最大のライバルではありましたけど、いつも隣に彼がいるから切磋琢磨できたし、ふたりで一緒に上に昇っていきたいと心の底から思える存在でした。
僕はTETSUHARUから計り知れないほど大きな影響を受けました。彼は何をしても優秀で、何を踊っても上手かった。ことダンスに関しては、僕に決定的に足りないもの――バレエという「基礎」が身体に染み込んでいた。「この人がやっていることを真似しないとダメだ」。それで僕はバレエやジャズダンスに打ち込むようになりました。
ちなみに彼は音楽一家に育ったこともあって、ドラムの腕前もすごかったんですよ。僕は彼の演奏を聴いて、ドラムをやめてしまいましたから。
- つまり竜太さんがバレエを始めたのは、TETSUHARUさんとの出会いがきっかけだったと。
- 本格的にバレエを学ぶようになったのは、TETSUHARUの存在がきっかけです。だから、19歳くらいの時ですね。本当に、当時の僕は何ひとつ彼に敵わなかった。もちろんアクロバットや運動神経など僕のほうが優れている要素もあったけど、自分が進みたい方向性においては、彼のほうがずっと先を行っていました。それはなぜかを考えた時に、「俺にはバレエが足りないんだ」と気が付いた。それで負けじとバレエに取り組み始めたわけですが、バレエはやればやるほど、「本気でやらないとダメだ」と思いました。俳優になるとかならないとかの問題じゃなくて、「バレエをやろう!」と。
- それは、バレエそのものを極めたくなったということでしょうか?
- そうです。TETSUHARUに影響を受けて習い始めたのがスタートだったけど、バレエやダンスの舞台もたくさん観るようになったんです。感動したのはアルビン・エイリーなどアメリカのモダンダンス。そして何よりも一番おもしろかったのが、モーリス・ベジャール作品でした。バレエという基礎の上に築かれたダンスって、こんなにも美しいのか。自分が苦手なタイツも何もかも、すべてはこの美のためなのかと。「これはバレエをやらないとダメだ。スタートは遅いけど、僕は芸術に行こう。エンターテインメントじゃなくて、アートを極めよう」と思いました。自分の一生をかけても到達できないかもしれないけど、あの世界に行けるなら、悔いはないと。
- 竜太さんの未来を一気に変えてしまったそのベジャール作品とは具体的に何でしょう?
- ビデオではすでに『ボレロ』とか『アダージェット』などを観ていたのですが、その後、東京バレエ団が3週間くらいかけてベジャール作品を次々と上演したんですね。そこで初めて生でギエムの『ボレロ』を観て号泣し、『春の祭典』で衝撃を受け、『ザ・カブキ』全幕で「僕はあの伴内という役を目指す!」と決意し、極め付けは『M』の世界初演――あの時の突き刺さるような感動は、いまでも忘れられません。仮に日本人振付家が三島由紀夫をテーマにした作品を作ったとしたら、たぶん「三島由紀夫」という役が出てくると思うんですよ。でも、ベジャールはそうじゃなかった。出てくるのは少年であり、三島由紀夫の精神性を4人の男たちの身体で表現する。それは例えば神社仏閣や石庭を訪れた時に感じる静寂の美にも似た感動でした。
公演を観た帰り道、一緒に鑑賞していた友達が、「竜太くん、東京バレエ団に入りなよ!」と言いました。その時は「彼らはバレエダンサーだよ? 無理無理!」と答えたけど、一人になってから、「『無理無理』って、トライもせずに諦めるなんて自分らしくない……そうだ、僕はバレエダンサーになろう!」と決意した。本当にその日を境に、バレエの道へと舵を切ったんです。さっそくTETSUHARUにその決意を話したところ、彼は大きなショックを受けていました。だって僕たちはいつも「二人で一緒に道を極めていこう。一緒にエンターテインメントの世界で上を目指そう」と話していたから。それが、僕らの間では忘れられない「渋谷ダンキンドーナツでの別れ」。でもこの話は5月のトークイベントで話すかもしれないから、いまはここまでにしておきます(笑)。
©︎Toru Hasumi
東京バレエ団に入団して
- 東京バレエ団には何歳で入団を?
- 22歳です。
- それはオーディションを受けて?
- そうです。じつは入団オーディションを受ける前に、当時の芸術監督だった溝下司朗先生のスタジオにレッスンを受けに行きました。そしてレッスンが始まる前に先生のところへ行き、「僕の実力はオーディションを受けるに値するのか。もし合格の可能性が50%もないと思ったら、この場で『やめたほうがいい』とはっきりと言ってください」とお願いしたんです。レッスン終了後、先生はこうおっしゃいました。「お前はバレエをやる価値がある。運動神経もいいし、手にも癖がないから、努力をすればものになるだろう。ただ、身長が高くない。そのためにとてつもない苦労が待っていることは覚悟しておきなさい」。それでオーディションを受ける決意を固めました。
- 結果は見事合格。本気でバレエを学び始めてわずか3年で、プロのダンサーとしてスタートを切りました。
- ただ、入団してからが大変でした……。夕方にリハーサルが終わると、みんな大体1時間くらいは残って練習するのですが、僕はさらに居残って、毎日22時くらいまで自習していました。そうしないと、できないことが多すぎたから。その日できなかったことをとにかくやる。何度も踊って体力をつける。どんどん回る。やはり僕は人よりもスタートが遅かったから、いつまで経っても劣等感はありました。その劣等感を埋めるには、練習しかなかった。とにかく最初の数年間は、自習ばかりしていましたね。
- プロのバレエ団に飛び込んでみて、いちばん難しかったことは?
- 女性と組むことですね。何しろパ・ド・ドゥなんてやったことがなかったから。あとは、バレエ独特の所作や形式、美しさを完全に理解するのが難しかったです。例えばアラベスクのラインひとつでも、「バレエの様式とはこういうもの、バレエの正しさとはこういうもの」を知っているからその価値やクオリティや美しさがわかる、という部分がありますよね。もちろん何も知らなくても「きれい! 何かが違う」とは感じられると思うけど、何が真の美なのかを見極めることは、かなり深い知識がないと難しい。例えば僕がバレエ初心者だった頃、『白鳥の湖』の四羽の白鳥や『パキータ』のコーダに出てくる「アン・ボワテ」というステップ(編集部注:左右の脚を交互にアティテュード・ドゥヴァンに上げる動き)を観て「おもしろい」とは思ったけど、何が美しいのかはわからなかった。自分が踊る上でも、つま先を伸ばす理由とか、アティテュードの角度の理由とか、首筋を見せることの理由とか、求められる通りにやれば綺麗なのだろうとわかってはいても、自分の納得度や理解度がなかなか追いつきませんでした。
- なるほど……すごくおもしろいお話です。
- 上手く踊れないとか、役柄をどう演じたらいいかとか、そういう困難はぶち当たって当然だし、トライしてクリアすればいい。人間関係の苦労も人生だから当たり前で、むしろ「これはドラマだな」とか思いながら楽しめるんです。だけど、自分が人生を賭けて飛び込んだ世界の本質が、腹の底から理解できないのはつらかった。「子どもの頃からやっていればこんなことにはならなかったのに……」と思うことは多々ありました。
- しかし竜太さんの努力は着実に実力となり、竜太さんはなんと入団3年目にして、『ザ・カブキ』の主要役のひとつである「伴内」に抜擢されます。
- 本当に嬉しかったですね。嬉しいという言葉のレベルを超えた嬉しさでした。異例のスピードでもらえた大役だったし、学生時代に「これを踊るまではバレエを絶対に諦めない」と目標に定めた役だったから。あの時、僕は何かに勝った気がしました。抱え続けてきた劣等感を、自分の努力で覆したと。僕を助けてくれた人たちへの感謝の気持ちでいっぱいにもなりました。
- 伴内は身体能力と芝居心に優れた人が演じる役。例えば体操や演劇の知識など、竜太さんがそれまで学んだことが役立ちましたか?
- すごく役立ちました。実際、誰よりも動けて誰よりも芝居ができたことが、評価につながったと思います。
- 伴内を皮切りに次々と主要な役を任され、気が付けばバレエ団の中核を担うソリストに。そのいっぽうで竜太さんは早くから振付家としての活動も開始します。
- 振付を始めたのは30歳くらいから。ダンサーはそれぞれ、自分が踊り手としてどうありたいか? 30歳や40歳になった時にどうなっていたいか? 等のイメージを思い描いているものですが、僕は30歳=ダンサーとしてはもう若くない、と考えていました。若さや体力や身体能力だけで無邪気に踊っていられるのは20代まで。決してネガティヴな意味ではなく、30歳になったら次の段階へ進もうと考えていました。
僕はそもそも東京バレエ団に入ることを目指した時から、「将来は振付や演出をする人間になる」と決めていました。身長も高くない自分は、パフォーマーとしてはきっと限界がある。だから最終的に狙うべきは振付家や演出家であり、そのためにはまず一流のバレエ団でダンサーとしてキャリアを積むことが必要だと。
- しかし「よし、俺は振付家になる!」と思っても、「ところで振付ってどうやって作るの?」とはならなかったのでしょうか?
- 振付を作ることの難しさは最初から覚悟していたので、困難だとか壁にぶつかったとか感じることはありませんでした。また自分自身の生来の性質が、そもそも振付に向いていたのかもしれません。例えば幼い頃は積み木でよく遊んでいたのですが、僕は誰に言われたわけでもなく、なぜか「この積み木で毎日絶対に違うものを作る!」というルールを自分に課していました(笑)。でも、手元にある積み木のピースは毎日同じなので、どうしたって限界が来る。それで僕はどうしたかというと、「今日は台所からしゃもじを借りてきて足してみるとどうなるかな?」「ここにジュースの蓋を置いてみるだけで、別のものに見えるぞ」って、どんどん発想を変えて新しいかたちを作っていったんです。いま、そこにあるものの外側へ発想を飛び出させることや、ただの思いつきから偶然出来上がったものに意味や面白みを見出すこと。それは振付を作ることや即興で踊ることにもつながるなと思います。
©︎Toru Hasumi
- 竜太さんは東京バレエ団に何歳まで在籍を?
- 40歳までです。だから、18年。ダンサーとしての在籍年数は、歴代でもかなり長いほうだと思います。
- 退団を決めた理由は?
- まず、単純に納得した。やりきったと。これがいちばん大きかったです。僕は東京バレエ団という環境が好きだったし、そこでクリエイションに関わる人間――例えば振付家などのかたちで昇っていける道があるなら、そこを目指したいという気持ちも、正直ありました。でも、やはり伝統ある大きな組織で自分の望む通りのキャリアを築き、創作活動を行うのは容易なことではありません。だから悩みましたけど、「僕は伝統を動かす10年よりも、自由な1年を選ぼう」と考えました。そしてこの先は、自分が既に持っているものをいちど全部捨てて、自分が信じてきたものと正反対のことをしてみようと。その考えは、いまでも大事にしています。
ワークショップ&トークイベントを開催!
- 東京バレエ団を退団して10年。現在は妻の高木綾さん(元東京バレエ団)と一緒にスタジオを経営しながら、振付家として外部団体に作品を提供したり、自主公演などを行ったりしています。
- この10年間を大きく分けると、前半5年間は全力で振付作品を作っていました。Iwaki Ballet Company(IBC)等で演出・振付をしたり、上野水香さんのプロデュース公演に作品を提供したり、総合演出を担当したり。自主公演も積極的にやってましたし、コンクールに出るジュニアたちのために小品を作ったりと、あまり世には知られていなくても相当な数の作品を作った気がします。
しかしそんな僕のダンス活動をガラリと変えたのは、子どもの誕生です。より正確に言うと、自分のマインドが一新されたんです。こんな素晴らしい経験は他にはあり得ないと。たとえ自分の仕事のスタイルが変わり、作品作りに注げる時間が少なくなったとしても、いまはこの子に全力を注がなければ絶対に後悔する。そう肌で感じました。それが、ここ5年間の大きな出来事。いまは2人目も生まれて子育てにもずいぶん慣れたので、再び創作活動を増やしているところです。主なところでは、アーティストのコンサートやミュージカルの振付をしたり、IBCに新作バレエ『トスカ』を振付けたり。自主公演にもまた力を入れていきたいと考えています。
- そして2022年5月4日(水祝)・5日(木祝)の両日には、札幌市教育文化会館で「高橋竜太コンテンポラリーダンスワークショップ&トークイベント」が開催されるそうですね!
- ワークショップは、2021年12月に行ったワークショップの第2弾になります。おかげさまでとても好評だったようで、再び開催できることになりました。
- 具体的にはどんなことが学べるワークショップですか?
- バレエとの大きな違いであるアイソレーション(体の各部分をばらばらに動かすこと)や、音に対して動きを明確に合わせられるよう身体をコントロールする技術の練習など。そして最後に小さな振付作品を踊ってもらおうと考えています。これは、インプロヴィゼーション(即興)の基礎技術にもつながる要素で、前回のワークショップでも反響がありました。
- 最近はジュニア世代の間でもインプロヴィゼーションに対する意識が高まっていて、「難しい。どうやればいいのかわからない」と言った声が多く聞かれます。
- クラシック・バレエって型もステップもエクササイズ内容も決まっていて、基本的に振付を与えられて踊るものですよね。その訓練をずっと続けてきたのに、いきなり「はい、自由に踊って。自由に演技して」と要求されるのがインプロヴィゼーション。難しくて当たり前です。だから僕のワークショップでは、みんながきっとやったことのない動きばかりを散りばめた、オリジナルの振付を与えます。そして「これを覚えて帰ってください。そしてもしもフリーで踊るように言われたら、この振付の中から“部品”を取り出して、自分なりに組み立てて踊るといいよ」と教えるんです。僕自身もフリーで踊る時には、これまで様々なジャンルのダンスを経験するなかで手に入れてきた動きの蓄積からいくつかを取り出し、組み合わせながら踊っているので。
- トークイベントのほうでは、先ほどのお話にあった竜太さんの“運命の友”、TETSUHARUさんをゲストに迎えると。
- あらためて、TETSUHARUほど表現活動に対する考え方や目指している方向性が自分と同じで、しかも人間的にも気の合う人間はいないなと思います。20歳そこそこの若者だったある日、僕がいきなり「バレエをやる!」と言い出したことで、二人の歩む道は分かれてしまいました。僕はアート、TETSUHARUはショービジネス。軸足を置く世界こそ違うけれど、お互いパフォーマーとして舞台に立ち、現在は演出家、振付家として活動しているという意味では、やはり同じ道を歩んできたとも言えます。だから今回一緒にトークをするなら彼だと考えました。
- トークのテーマは「振付や演出ってどんな仕事?」「涙を誘う舞台演出のからくり」「『演じる』トレーニング術」等、舞台に立ちたい人にも、舞台を観たい人にも、そして舞台を作りたい人にも、非常におもしろそうな内容ですね!
- バレエやダンスの世界では、振付家が演出家を兼ねることがほとんどだし、振付家を名乗るなら演出もやれて然るべきと僕は思っています。ところが例えばミュージカルなどでは、演出と振付は別の人が受け持つのが当たり前。TETSUHARUは振付で入るとなると、まだ演出プランも舞台装置も決まっていない段階で振りを作ったりしてるんですよ。それが可能なのは彼が演出家の仕事もできる才能の持ち主だからですが、そういう違いも話すとおもしろいかなと思っています。とにかく、振付や演出の秘密を知って舞台を観ると、絶対に見え方が変わる。おもしろさが何倍にも膨らむはずです。ただし心配なのは、90分で話を終えられるのかなということ(笑)。僕もTETSUHARUも話し出すと止まらないので、トピックスをきちんと整理して臨みたいと思います(笑)。
©︎Toru Hasumi
- 高橋竜太 Ryuta TAKAHASHI
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©︎Toru Hasumi
中学、高校で体操部に所属。桐朋学園大学演劇科にて演劇、ダンス等を学ぶ。
1994年チャイコフスキー記念東京バレエ団に入団。ベジャール振付『ザ・カブキ』伴内、『くるみ割り人形』ビム、『チェロのための5つのプレリュード』、キリアン振付『パーフェクト・コンセプション』等、主要なソリスト役を踊る。在団中にArt Climbers Worksを設立、振付や映像制作をはじめる。退団後はミュージカル『Rock Opera Mozart』出演など活動の場を広げ、演出や振付でも才能を発揮。これまでに手がけた主な作品は、Iwaki Ballet Company『トスカ』、Art Climbers Works『BABYLON』『再炎』、フジテレビ主催『The Sixth Sense ~Music in Wonderland~』、土屋アンナLive『be empty! Final』など。現在はダンサー、振付家、映像作家のほか、講師として後進の育成にも取り組む。
【Information】
高橋竜太ダンスワークショップDAYs in Sapporo
◎日時
2022年5月4日(水・祝) 基礎・初級クラス 14:00~16:00
2022年5月5日(木・祝) 中級・レパートリークラス 11:00~13:00
◎会場
札幌市教育文化会館 小ホール
◎対象、定員、受講料、申込方法など詳細はこちら
高橋竜太スペシャルトークイベント
◎日時
2022年5月5日(木・祝)15:00開演(予定上演時間 約1時間30分)
◎会場
札幌市教育文化会館 小ホール
◎出演
高橋竜太
TETSUHARU(スペシャルゲスト)
◎チケット料金、申込方法など詳細はこちら
問い合わせ先
札幌市教育文化会館 事業課
TEL 011-271-5822(9時~17時、休館日除く)