ウィーン国立バレエ専属ピアニストとして、バレエダンサーを音楽の力で支えている滝澤志野さん。
彼女は日々の稽古場で、どんな思いを込め、どんな音楽を奏でているのでしょうか。
“バレエピアニスト”というプロフェッショナルから見たヨーロッパのバレエやダンサーの“いま”について、志野さん自身の言葉で綴っていただく月1連載。
日記の最後には、志野さんがバレエ団で弾いている曲の中から“今月の1曲”を選び、バレエチャンネルをご覧のみなさんのためだけに演奏した動画も掲載します。
美しいピアノの音色とともに、ぜひお楽しみください。
ショパンの人生を旅する
ピアノの詩人、そしてロマン派最高峰の作曲家、フレデリック・ショパン。ピアノを愛する人なら誰もが彼の旋律に心惹かれたことがあるはず……。
新しい年を迎え、私は久しぶりにショパンと向き合うことになりました。
『24 Préludes』。ショパンのプレリュードOp.28 全24曲に、アレクセイ・ラトマンスキーが振付けた作品が2022年2月にウィーンで初演を迎えます。ショパンの作品を担当するのは、2014年の「ヌレエフ・ガラ」でノイマイヤー振付『椿姫』の黒のパ・ド・ドゥを弾いた以来でしょうか。
『24 préludes』は、2015年に英国ロイヤル・バレエに振付けられた作品。配役表が神がかっています!
ラトマンスキーがロイヤル・バレエのスターたちに振付けた作品を、彼の指導のもと稽古場で味わう時間は瞬間ごとに尊く、バレエピアニストとして大きな喜びを感じます。彼の作品は昨シーズンの『展覧会の絵』でも弾きましたが、音楽の個性を踊りのエネルギーに転写する類稀な才能の持ち主で、稽古場で生み出される彼の世界に私はいつも魅了されてしまいます。
ショパンのプレリュードは一曲一曲が彩り豊かな個性を放ち、心象風景が浮かんでは消えていくようで。24曲通して弾くと、まるで人生という名の旅をしたような気持ちになるのです。この曲をそのままバレエ作品にしようと思ったラトマンスキーのセンスはやっぱり最高。4組のカップルが織りなす人間模様と生き様が、音楽の調べと共に迫ってくるようです。
プレリュードの楽譜。
最近、朝から晩までこの曲に向き合うなかで、私はこれまでに旅した街のことを思い出していました。ショパンが暮らした、ワルシャワ、ウィーン、パリ、マヨルカ島のことを。ワルシャワとマヨルカ島は、シーズン中のイースターに旅したのですが、休みが取れるかどうか直前までわからず、ラストミニッツで一人旅できそうな場所を探し、導かれるように訪れたことを覚えています。
今、こんなに移動しづらい世の中になってしまい、自由に国境を越えられた頃のことを懐かしみながら……ショパンの見たであろう風景を、ワルシャワ、マヨルカ島の旅写真と共に振り返ってみたいと思います。彼はどんな気持ちで、どんな場所でその人生を過ごしたのでしょう。
ぜひ、プレリュードを聴きながらどうぞ♪
ワルシャワにて
1810年、ショパンはワルシャワに生まれました。
第二次世界大戦でドイツ軍によって爆破されたワルシャワですが、戦後、元の街並みが忠実に復元・再建されたのです。
これとほぼ同じ風景をショパンも見ていたのでしょうか。
再建されたものなので、古い街並みなのに時を経ていない感じが哀しくはありますが、人々の強い気持ちも感じました。
ワルシャワのショパン博物館にて。
ウィーン、そしてパリへ
ワルシャワ音楽院在学時代から並々ならぬ才能を発揮していたショパンは、20歳になり、ロシア制圧から逃れるためにも音楽の都ウィーンへ移り住みます(1830年)。
ウィーンで彼が住んでいたのはここ。王宮前、コールマルクト通りにあるアパート。写真左端の建物にショパンの名が刻まれています。
ところが、当時のオーストリアでは、反ポーランドの風が吹いていました。さらには音楽的方向性の違いで、彼は1年も経たずにパリへ移住することになります。ウィーンで失意を味わったショパンは、この空を見上げていたのでしょうか……。
そして1831年、21歳で彼はパリへと赴きます。
パリ時代に使っていたショパンのピアノ。今はワルシャワのショパン博物館にあります。
マヨルカ島にて
パリで才能を開花させ、作曲、サロンでの演奏と大活躍したショパン。そのキャリアのほとんどをパリで過ごしますが、パリ時代のショパンのことはいずれあらためて書きたいと思います。そして、彼は26歳の時に恋人となるジョルジュ・サンドと出逢います(1836年)。
2年後、ショパンとサンドはスペイン、マヨルカ島を訪れ、秋から冬を過ごします。
欧州のハワイといった趣のある美しいマヨルカ島。
余談ですが、私がマヨルカを訪れたのは2016年。その頃、バレエの稽古でうまく弾けず、悶々と思い詰めていたのですが、美しい地中海から昇る朝陽を眺めていたら、たかがピアノがうまく弾けないくらいで死にたいと考えるなんて馬鹿げてると気づき、涙が溢れました……。それだけでもマヨルカに来た意味がありました。
ショパンとサンドが過ごした村、ヴァルデモッサの修道院。
2人が使った部屋がそのまま残されています。
プレリュードのなかでもとくに有名な「雨だれ」も、この部屋で作曲されました。
この美しい島で名曲の数々を生みだした彼。どんな気持ちでここにいたのだろうと、ピントを合わせるような気持ちで、何時間もこの場所でひとりで過ごしました。一人旅の醍醐味。
部屋の窓から臨む風景。
パリ、そして祖国ワルシャワにて永遠に…
10年の歳月を共にしたサンドと別れた37歳のショパンは、うつ病を患い、39歳という若さでこの世を去ってしまいました。
ショパンは「もし自分が死んだら、自分の心臓を祖国ポーランドに持ち帰ってほしい」と姉に託しました。そして遺言どおり、その心臓はいまもワルシャワの聖十字架教会に安置されています。
ワルシャワの聖十字架教会
ショパンの心臓が安置されている柱
パリのペール・ラシェーズ墓地にあるショパンのお墓。
2015年、『椿姫』でバラード1番を弾くにあたり、その前月にパリにお墓参りに行った際の写真です。お墓の佇まいが彼の音楽によく似ていますよね。どこかメランコリックで繊細で。
彼はきっと生きづらかったのだろうと思います。天国のようなマヨルカ島でも彼の胸像は陰鬱な雰囲気を醸し出していて。でも、そんな彼の音楽とその繊細な心に救われ、時空を超えて共鳴している人がどれだけいるでしょう。人生の輝きも痛みも心いっぱいに受けとめてきた人の音楽…。
ショパンの軌跡を巡る旅は、まるで24曲のプレリュードのように、心象風景を見つめるものでした。ショパンの心を見つめ、自分自身の心も内観する、そんな旅だったように思います。
幼い頃から心のいちばん近いところにあるような音楽家ショパン。
これからもずっと、そっと貴方の心のそばにいさせてくださいね。
今月の1曲
ショパンのプレリュードOp.28から1曲。24曲すべて素晴らしく選びがたいのですが、ショパンらしいこの曲を。ジェローム・ロビンスが『コンサート』で振付けたものも有名ですが、ラトマンスキーはアリーナ・コジョカルとスティーヴン・マクレイのパ・ド・ドゥとして振付けました。心にそっと触れるような清冽で美しい調べにのせて踊られるパ・ド・ドゥをぜひ想像してみてくださいね。
2022年1月20日 滝澤志野
★次回更新は2022年2月20日(日)の予定です
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ウィーン国立バレエ専属ピアニスト 滝澤志野
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●ピアノ演奏:滝澤志野
●監修:永橋あゆみ(谷桃子バレエ団 プリンシパル)
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- ●ピアノ演奏:滝澤志野
●Vol.2、Vol.3監修:永橋あゆみ(谷桃子バレエ団 プリンシパル)
●発売元:新書館
●価格:各3,960円(税込)