東京バレエ団「ラ・シルフィード」 ©︎Kiyonori Hasegawa
2020年3月21日(土)・22日(日)に東京文化会館で上演される東京バレエ団『ラ・シルフィード』。
19世紀前半にヨーロッパを席巻したロマンティック・バレエの大ヒット作で、空気の精シルフィードと青年ジェイムズの間にひととき生まれて儚く消える、恋の物語です。
初演は1832年パリ・オペラ座で、振付はフィリッポ・タリオーニ、主役のラ・シルフィードは、彼の娘である伝説のバレリーナ、マリー・タリオーニが踊りました。
その初演時の薫りを見事に残して復元されたバージョンが、東京バレエ団が上演するピエール・ラコット版です。
同バレエ団が誇るこの財産的作品の主役ジェイムズを、4年前の上演時に続き再び任されるのが、プリンシパルの宮川新大。
宮川新大(東京バレエ団プリンシパル)
少年時代から現在に至るまで、「ジェイムズは僕の道をいつも切り拓いてくれた役」と話す宮川さんにお話を聞きました。
Photos:Ballet Channel
問われるものは“クオリティ”
ーーバレエダンサーの人生には、なぜか節目節目で縁のある作品というものが往々にして存在しますが、宮川新大さんにとっては『ラ・シルフィード』がそれに当たるのではないでしょうか。
-
- 宮川 そうですね。良い思い出もそうでない思い出も含めて(笑)、自分の中では最も思い出深い作品かなと思います。
ーーいまから十数年前、まだ“宮川新大少年”だった頃から、美しいつま先や素晴らしいバッチュ、躍動的なグラン・ジュテなど、素晴らしいジェイムズのヴァリエーションを踊っていましたね。
-
- 宮川 コンクールなどで踊っていたのはブルノンヴィル版のほうでしたが、ローザンヌ国際バレエコンクールやユース・アメリカ・グランプリなどでもジェイムズのヴァリエーションを踊りました。その後ロシアのダンチェンコ(モスクワ音楽劇場バレエ)に入団したのですが、カンパニーがラコット版『ラ・シルフィード』を初演することになった時に振付指導でいらしたのが、現在の東京バレエ団芸術監督である斎藤友佳理さんだったんです。その時のご縁がなかったら、おそらく僕はいまここにいないでしょう。さらに、東京バレエ団に入団して初めて主役をいただいたのも『ラ・シルフィード』。本当に、いろいろなきっかけを与えてくれた作品であることは間違いありません。
ーーラコット版にしろブルノンヴィル版にしろ、ジェイムズの踊りはグランド・ピルエットや540度回転といったいわゆる“華麗なる超絶技巧”で魅了するものではなく、怒涛のバッチュやクリアで力強いフットワーク、大きさのある跳躍など、ひたすら“クオリティ”が問われる踊りという気がします。
-
- 宮川 僕はもともとテクニシャンタイプではありませんし、エンターテイナー的にアピールするタイプのダンサーでもないので、その意味では自分に合っている作品だと思います。ダンサーからすると、ジェイムズは誰もが「これはつらい……」と思うくらい、体力的にも技術的にも地味にハード(笑)。お客様にはあまりそうは見えないと思いますが、僕にとってはそこが非常にチャレンジングで、やりがいを感じているところでもあります。
――宮川さんの美しいつま先が小刻みに空気を震わせ、バチバチバチッ!とクリアに打ち合わされ続けるさまは、観客として観ていてもじりじりと迫ってくるような迫力があります。
- 宮川 ありがとうございます。それは子どもの頃から僕を育てて海外に送り出してくれた地元の先生と、留学先のジョン・クランコ・スクールで師事した故ピョートル・ペストフ先生のおかげです。
――宮川さんは名教師ピョートル・ペストフ(*)の最晩年の教え子ですね。
*ピョートル・ペストフ(1929–2011):ボリショイ・バレエ・アカデミーでウラジーミル・マラーホフやニコライ・ツィカリーゼ、アレクセイ・ラトマンスキー等を育てた名教師。1996年からはドイツのジョン・クランコ・スクールに移り、ここでも数々の優れた男性ダンサーを育て上げた。
- 宮川 ペストフ先生の授業を、僕たちは「魔法のクラス」と呼んでいました。僕が教わった頃はもう高齢で、何かをやって見せたり生徒の体に触れながら直したりすることはなかったのですが、先生の指導を受けていると、みんなの身体や動きのクオリティがみるみる変わっていくんです。レッスンは本当に厳しいもので、朝のクラスだけで4時間くらいかかっていたし、タンデュもジュテもフラッペもグラン・バットマンも、まるで軍隊のように全員の足先がビシッ!と止まり、動きがビシッ!と揃っていなくてはいけなかった。またとくにジャンプの着地にはうるさかったし、足指の力も徹底的に鍛えられました。先生は僕らにクラシック・バレエの何たるかを徹底的に叩き込んでくれて、怪我をしない身体を作ってくれた。いまでも仲間のダンサーに「ジャンプの着地が静かだね」とか「新大の踊り方は絶対に怪我をしない踊り方だよね」と言ってもらうことがあるのですが、それらはすべてペストフ先生のクラスで学ぶうちに自然に身についたことです。
――ダンサーにとって、スクール時代にどんな先生と出会い、どんなレッスンを受けて育つかがどれだけ大切かを、あらためて考えさせられるお話です。
- 宮川 いまのジュニア世代は、僕らが13、14歳だった頃に比べるとテクニックや踊りはものすごく上手いですが、その中で基礎をきっちりやっている子とヴァリエーションだけ練習している子では、将来、怪我をする確率も全然違ってくると思います。僕もいま生徒を教える機会があるのですが、その時は自分がペストフ先生から教わり、受け継いだ“質”を絶対に崩さないようにしています。子どもたちにはなかなか根気のいるレッスンになってしまうかもしれませんが、若い時にきっちり基礎をやることが、将来ダンサーとして長生きすることにつながると信じています。
間近で見る宮川さんは身体全体がすらりと真っ直ぐでスタイル抜群。この長い脚がつま先までスッと伸び、空中でパチパチパチ……と鮮やかに打ち合わされるさまをご想像ください……
やるべきことは、ただ、いい仕事をすること
――その愛情深くも厳しいペストフ先生のもと、宮川さんは優秀な成績を修めてジョン・クランコ・スクールを卒業しました。
- 宮川 でも海外では、努力だけではどうにもならない“壁”もたくさん経験しました。例えば学校の成績はいつも僕とダニエル・カマルゴがトップだったけれど、卒業時には日本人である僕だけ就職先が決まっていなかった。それで「僕はアジア人だから、西洋人であるみんなとは違うアプローチをしてみよう」と吹っ切れて、ローザンヌやYAGPやヴァルナに挑戦。その結果、当時ダンチェンコの芸術監督だったセルゲイ・フィーリンの目に留まって同バレエ団に入団できました。しかしそこでも、『ラ・シルフィード』のカンパニー初演で第1パ・ド・ドゥのファーストキャストに抜擢してもらえた!という時に、本番の2週間前にビザが切れてしまって……。本当にがっかりしたし悔しかったけど、先ほどお話ししたようにこの時に斎藤友佳理さんに出会えて、いまにつながりました。結果的には幸運だったと思っています。
――本当に、いろいろなことがあっての“いま”なのですね……。でもそうして2015年の夏に東京バレエ団にソリストとして入団し、早くも翌年4月に『ラ・シルフィード』の主役に抜擢されました。
- 宮川 あの時はまだ入団したばかりで環境になじみきれていない頃だったうえに、僕にとっては人生初の全幕主演だったんです。しかも、会場は東京文化会館大ホール。入団してまだ1年も経たない僕が、バレエ団の財産的レパートリーの主役を担うなんて、ファンのみなさんはどう思うのだろう? 僕の踊りを観た人たちが、あとでどんなふうに批判するのだろう?……等々と、プレッシャーのあまり要らぬ邪念ばかりがよぎってしまって。僕は案外心配性なところがあるんですよ。
――あの時のジェイムズが、初めての全幕主演だったのですか! そうとは信じられないくらい、素晴らしい舞台でした。
- 宮川 もちろん、大きな失敗をしたわけではなかったのですが……。でも、最もハードな作品のひとつである『ラ・シルフィード』で主役デビューさせてもらったおかげで、それを乗り越えたあとはいろいろなことが楽になりました。自分のやるべきことは、ただ、いい仕事をすること。周りの声に流されたり惑わされたりすることなく、ひたむきに踊りを磨いて表現を深めて、みんなを納得させられるだけの実力をつけること。そんなふうにシンプルに考えるようになりました。
――まさにその言葉の通り、宮川さんは舞台を重ねるたびに実力を示し、2018年にはプリンシパルに昇格しました。しかしそれほどまでに、ジェイムズとはハードな役なのですね。
- 宮川 第1幕も第2幕も、ずっと出ずっぱりですからね。第1幕は、シルフィードとエフィという2人の女性を相手に踊る〈オンブル〉のパ・ド・トロワがやはり大変で、そこから暗い舞台がいきなり明るくなってジェイムズのヴァリエーションに入る、というところも難しい。そして少しの休憩をはさんで第2幕でも、本当にずっと踊っているんですよ。アダージオ(パ・ド・ドゥ)も長いし、自分のヴァリエーションも数回あるし、そのあとベールを手にしてシルフィードと踊る場面もありますし……これだけ主役が踊る作品もめずらしいですよね。他の全幕バレエだと、主役が踊る場面は意外と限られているのですが。
――確かに……ジェイムズは最初から最後までずっと踊っているイメージがあります。
- 宮川 そこが、ラコット版とブルノンヴィル版の大きな違いでもありますよね。ブルノンヴィル版だと、男性役ならジェイムズだけでなくガーンも踊りますし、パ・ド・ドゥの場面ではシルフィードとあまり組まずに踊ります。たぶん相手が妖精だからあまり触れないのだと思いますが、ラコット版は少し解釈が違う。妖精だけど、ジェイムズは彼女をがっつりサポートするし、リフトもたくさんあります。
あの時の若さが勝つか、いまの経験が勝つか。
――そのジェイムズ役を再び踊るわけですが、いまのお気持ちは?
- 宮川 前回と今回では、心の余裕が違います。もちろん4年経っているので、体力的な面では以前のほうが元気だったのかもしれませんが(笑)。あの時の若さが勝つか、いまの経験が勝つか。そこは本番で踊ってみないとわかりません。でも少なくともリハーサルの段階では、以前よりずっと良い精神状態で作品に向き合えていると感じます。
またラコット版は、一つひとつの動作やステップに対して、とても細かく音やカウントが決まっているんですね。4年ぶりだしもう忘れてしまったかな……と思っていたのですが、いざ踊ってみると、身体はかなり正確に覚えていました。ですから今回は少し余裕を持てるぶん、例えばシルフィードやエフィとの関係性をはっきりと見せるなどドラマを伝えることにより集中して、物語を丁寧に描き出したいと思っています。
――その“ドラマ”という面に関して、宮川さんはジェイムズという役の人物像をどのようにとらえていますか?
- 宮川 ひと言で言えば、ひどい男ですよね(笑)。婚約者がいるのに妖精に浮気をしているわけですから。
――ばっさり(笑)。
- 宮川 でも、そこまでひどくてダメな男になってしまうくらい魅力的なものに、彼は囚われているのだということ。それをきちんと見せなくてはいけないというのが、この役に求められていることであり、難しいところだと思っています。
――ああ、なるほど。
- 宮川 そしてそのことが端的に表現される場面のひとつが、第1幕のパ・ド・トロワ(オンブル)です。エフィのことは大好きだけど、それ以上にシルフィードに目を奪われてしまう。つまり現実と妄想のはざまに迷い込んでしまって、最終的には妄想のほうに強く惹きつけられてしまうんです。ですから2人に注ぐ視線はおのずと違っていなくてはいけないと思うし、ある意味、『白鳥の湖』のジークフリード王子にも通じるものも感じます。単純なようでいて、複雑な役ですよね。ジェイムズというのは。
――おもしろいお話です。『ラ・シルフィード』という物語やジェイムズという男性の見え方が少し変わるような気がします。
- 宮川 さらに、第1幕の彼はまだ自分の家という“現実”の中にいますが、第2幕になるとその場所を離れ、シルフィードの領域である森の中へと入っていきます。そのことによって彼がどう変化するかも表現できたら。もっとも、後半はもう体力的にはギリギリですので、どこまでやれるかはチャレンジなのですが(笑)。
――最後に、今回の公演にかける思いを聞かせてください!
- 宮川 『ラ・シルフィード』は、僕の道を切り拓いてくれた作品です。でも4年前に初めて踊らせていただいた時には、充分に満足のいく出来とは言えませんでした。自分にとってもバレエ団にとっても大切な作品だからこそ、今回はあの時の自分にリベンジするつもりで、そしてあの時よりも楽しみながら、心を込めて踊りたいと思います。
「僕は純粋に、踊りの実力で認められるダンサーでありたい」ーーそれが宮川さんの、ぶれることなき信念であることが強く伝わってくるインタビューでした。宮川さん、素敵なお話をありがとうございました。「ラ・シルフィード」、観に行きます!
公演情報
東京バレエ団『ラ・シルフィード』