写真提供:井上バレエ団
井上バレエ団が2024年7月20・21日に『ラ・シルフィード』『グラン・パ・マジャル』のダブルビルを上演します。
バレエ団初演から25年目を迎える『ラ・シルフィード』は、スコットランドを舞台に、人間の青年ジェイムスと空気の精シルフィードの結ばれない恋を描いたロマンティック・バレエの名作です。
同団がレパートリーにしているのは、デンマークの振付家オーギュスト・ブルノンヴィル版。1836年に初演されたオリジナルに近い演出を学び、伝統的なメソッドを次世代に継承するため、大切に踊り繋いできました。
ブルノンヴィルの大きな特徴は、上半身のエレガントな動きや軽快な足さばきなどのテクニック、そして高い演劇性。公演を控えたバレエ団のリハーサルを取材し、その魅力を探りました。
- もくじ
- ●主演ダンサーインタビュー(根岸莉那×荒井成也)
- ●ブルノンヴィル版 オリジナルマイム集
- ●諸角佳津美さんにお話を聞きました!
主演ダンサーインタビュー
7月21日にシルフィード役・ジェイムス役を演じる根岸莉那さん、荒井成也さんに、ダンサーからみたブルノンヴィル・スタイルの魅力や苦心している部分、作品の見どころを聞きました。
左から:根岸莉那(7/21 シルフィード役)、荒井成也(7/21 ジェイムス役) ©Ballet Channel
- お稽古のようすはどうですか?
- 6月28日からフランク・アンダーソンさんとエヴァ・クロボーグさんが指導にいらして、本格的な稽古に入りました。フランクさんは音ひとつのズレにとても厳しく、具体的な演技の指示もどんどん入ってきています。それを整理して踊りに生かしていくのは大変な作業ですが、やりがいを感じる部分でもあります。
- ブルノンヴィル・スタイルのここが難しい!と感じる部分は?
- 動きで言えば、ナチュラルな状態で舞台上にいなくてはいけないところですね。バレエの動きが身体に染み付いてしまっているので、舞台の上で役を演じながら、町で普通に暮らしている人のように歩いたり走ったりするのは難しいです。かなり意識していないと、つい脚をタンジュしてしまう。すかさずフランクさんから「NO!」が飛んできます。
- シルフィードは妖精なので立ち方歩き方はきちんと型が決まっています。だからナチュラルに演技をするのは難しいですね。ブルノンヴィル・スタイルは仕草ひとつをとっても自然に見せることが大事なので。
- 演技についてはどれくらいダンサーの自由に任せられているのですか?
- マイムや立ち位置などはかなり細かく決まっています。先生方が一つひとつ丁寧に伝えてくださるので、僕たちはそのメソッドを忠実に身体に落としこんで表現していきます。
- でも演技についてはすべての仕草が型にはまっているわけではないんですよね。お稽古場でエヴァさんに見せていただくお手本を見ていても、振付とは違う仕草が含まれていたりするんです。
7月9日のリハーサルより。阿部碧(7/20 シルフィード役) ©Ballet Channel
- 最初のころは、音に振付をはめることと、内から出る感情の表現を一度にやろうとして、何をやっていいか迷わなかった?
- 迷いました! 私は先にどの音の時にどう動くかをすべてカウントで確認して、自然に動けるところまで身体に覚え込ませました。カウントどおりに動けると演技について考える余裕もできて、ナチュラルに見せるための作業にも落ち着いて取り組めました。
- ブルノンヴィル・スタイルの演技について、具体的なきまりはありますか?
- 物語の中で起こること一つひとつにちゃんとリアクションがあって、何も感じないまま舞台にいることはありませんし、演技のシーンでは「見る、感じる、動く」という3つのポイントを明確にすることが求められます。例えばジェイムスがシルフィードに会う場面だったら、シルフィードを「見て」、なんて美しいんだと「感じ」、彼女へ「近づいていく」、のように。
あと表情について。「もっと目を使うように」とよく指導されるよね。
- そう。私も「シルフィードはジェイムスの気を引きたくて、いつも自分のほうを見てもらおうと意識しているのだから、踊るときもジェイムスから視線を外さないように」と言われ続けています。『ラ・シルフィード』はほかのブルノンヴィル作品と比較しても、本当に細かいところまで指定があって、どんなに気を付けていても忘れてしまうくらいです。つねに視線を意識しながら振付を踊るのは難しい。でもそこまで徹底しているから、シルフィードの感情の変化がお客様に伝わるんですよね。目の演技や視線の投げ方の大事さを教えていただいています。
- それぞれ好きなシーンを教えてください。
- 第1幕のウィンドウのシーンです。ここは、ジェイムスが夢で見たシルフィードが、彼の部屋の窓から突然現れる場面。シルフィードは彼の結婚を悲しんだり、一緒に森へ行こうと誘います。ジェイムスを自分のほうに向かせるために、シルフィードの感情がころころ変わるところが面白いなと思っていて。でもその面白さをどうやって表現しようと考えると、好きなだけでなく、シルフィード役としてとても大切なシーンなのだと感じます。
7月9日のリハーサルより ©Ballet Channel
- 踊りのシーンなら、第1幕のリールダンス(スコットランドのフォークダンス)です。ジェイムスのソロのあとに全員で踊るところは、最後にバシッ!と決まった瞬間がすごく気持ちいい。あと演じていて面白いなと思うのは、何度か繰り返されるジェイムスとシルフィードの場面で二人の関係性がちょっとずつ変化していく過程。初めて見た時の驚きと、また会えた時の嬉しさと、彼女を抱けると感じた時と……お客様にも注目していただけたら嬉しいです。
7月9日のリハーサルより。左:浅田良和(7/20 ジェイムス役) ©Ballet Channel
- 最後にブルノンヴィル版『ラ・シルフィード』の見どころをお願いします。
- ブルノンヴィル版『ラ・シルフィード』は、独特のステップや脚さばきも見どころのひとつ。でも僕はジェイムスのヴァリエーションをダンサーの見せ場としてでなく、ジェイムスとして嬉しい気持ちで踊りたいと思います。どの登場人物にもちゃんと性格があって、全員でひとつの物語を作っているのがこの作品のいいところ。それぞれのキャラクターも注目していただけたら嬉しいです。
- ブルノンヴィルならではのナチュラルなお芝居は、一般的な古典バレエよりも演劇性があります。私はやっぱりジェイムスとシルフィードの場面やストーリー展開に注目して欲しいですね。二人の関係が変化していくようすや、最後の場面に至るまでの展開を、マイムや表情を大切に演じて、みなさまにお届けしたいと思います。
ブルノンヴィル版 オリジナルマイム集
『ラ・シルフィード』第1幕を中心に、ブルノンヴィル版特有のマイムをセレクト。バレエ団統括でブルノンヴィル・スタイルに造詣が深い諸角佳津美さんの解説と、根岸さん&荒井さんの実演写真でお届けします!
見る
ウィンドウシーンでシルフィードが「私はあなたのことをずっと見ていました」と伝える時のマイムです。
一般的に良く見られるマイムは両手の人差し指で自分の目を示しますが、ブルノンヴィル版ではその指を見ている相手の方向へ動かします。
©Ballet Channel
愛している
バレエによく出てくるマイムのひとつ。心臓のあたりを両腕で包むようなマイムを見ることが多いと思います。ブルノンヴィル版の場合は、まず左手を心臓の上にのせるように置き(手は浮かせず、しっかりとタッチ)、右手でその手を包み込みます。左手については、女性は手を開き、男性は拳を握るという決まりがあります。
©Ballet Channel
誓う
これもよく見るマイムではないでしょうか? 左手を胸に置き、天に向かって誓いを立てるように右手を前方に高く上げます。
右手の指に注目してください。『白鳥の湖』などでよく観るマイムは人差し指と中指の2本を閉じて出しますが、ブルノンヴィル版では親指・人差し指・中指の3本。指同士を離します。これはキリスト教の三位一体の教えに基づいたもので、3本の指は神、キリスト、聖霊を表していると言われています。左手の形は「愛している」と同様です。
©Ballet Channel
もの思いにふける(妄想する)
作中でぼんやりと何かを考えているジェイムスが行なうマイムです。額に添えた右手の指先を、柔らかくふわふわっと動かしながら遠くに伸ばしていきます。
これは漫画によく出てくるフキダシのようなものをイメージ。「ジェイムスのあたまの中の妄想がモヤモヤと膨らむ」というマイムですから、出発点の指先が、モヤモヤが出てくる右の額の部分を触った状態で始めるのが決まりです。
©Ballet Channel
©Ballet Channel
©Ballet Channel
占い
第1幕でマッジがエフィーたちの占いをしに来る場面や、あとでその場面について思い出す際に使われているマイムです。
左手の指を揃えて前に出し、右手の指先を左の手のひら(手首のほう)へ。ちょうど運命線(手首のから中指の付け根に向かって縦に伸びている線)の位置を指します。
©Ballet Channel
諸角佳津美さんにお話を聞きました!
中央:諸角佳津美 ©Ballet Channel
- 今日の取材では、細かく決められたルールがブルノンヴィル作品の演劇性を高めていることがわかりました。
- 諸角 ダンサーが話していた以外にも、いくつか代表的なものがあります。
例えば、お客様には舞台上の二人が向かい合って話しているように見え、且つどちらの表情も見えないといけない、そこで客席から見て横並びになるように同じラインに立つ「セイムライン(Same Line)」というルールがあります。
マイムの原則となるのは「セパレート(Separate)」。一連のマイムを繋げて表現せずに、一つひとつを分けて見せる、というものです。それぞれのマイムを止めるタイミングは音に合わせて決められています。マイムはひとつずつきちんと止め、お客様がそれぞれの意味を理解することができるように考えられています。
- なぜ、バレエにここまで演劇的な技術を組み込んだメソッドが誕生したのでしょうか?
- 諸角 ブルノンヴィルのバレエには、ボードヴィル・バレエと言われる踊りを見せるためではない作品、それこそ1幕まるまる踊らないバレエもあります。ブルノンヴィルはオペラ座でマリー・タリオーニの相手役をするほどテクニックの優れたダンサーだったのに、なぜなんでしょうね。当時の男性ダンサーは女性を支える役割ばかりを求められたので、それが彼には不満だったようです。彼の作品には男性ダンサーが女性のサポートに徹するパ・ド・ドゥはないし、対等に踊っている場面が多く見られます。
演劇性が強いのは、彼が扱ったテーマが、おもに日常の人間同士のやりとりを描いたものだった点。『ラ・シルフィード』も妖精は出てきますが、物語の設定はあくまで人間界。エフィーやグエン、町の人たちの人間模様を描いた場面も丁寧に作られていますよね。踊りを見せるためのヴァリエーションとかディヴェルティスマンはなくて、あくまでも物語の一部です。例えば2幕でシルフィードとジェイムスが次々にソロを踊る場面も、そこにかならず会話があります。コール・ド・バレエにもセリフがあります。
写真提供:井上バレエ団
- ブルノンヴィル・スタイルをダンサーが取り組む上でいちばん大切なことは?
- 諸角 まず、バレエのポーズを自分の中から一回消さないといけないのではないでしょうか。長年のレッスンで身に付いたものを捨て、別人になったつもりで取りかからないと、ちょっとした動きに普段のバレエのポーズが癖のように出てしまうんです。テクニック的にどんなに難しくても、簡単なことをしているように見せる、というのもいつも先生方に言われることです。
- ブルノンヴィル版『ラ・シルフィード』は衣裳も素敵ですね。先ほど衣裳付き通し稽古で見た、町の人々のカラフルな衣裳がとくに印象的でした。
- 諸角 ジェイムスたちが着ているのはスコットランドの民族衣裳です。服装に合わせて女性もトウシューズでなくキャラクターシューズを履くのもブルノンヴィル版の特徴です。スカート状のキルトが色や模様もさまざまなタータン・チェックになっています。じつはキルトの柄は家によって決められているので、服装をみれば誰と誰が親族かもわかるようになっています。ジェイムスの婚約者エフィーは、婚礼前のシーン、ジェイムスとの婚礼の場、そして最後のグエンとの婚礼の列と3回、違う柄のキルトで登場しているんですよ。ぜひチェックしてみてください。
- 今回の公演に向けての思いを聞かせてください。
- 諸角 今回の『ラ・シルフィード』は井上バレエ団の全幕初演から25年目の上演になります。個人的には、ジェイムス役を海外からのゲストでなく日本人キャストで上演できるのが嬉しいですね。最初の頃は日常生活から感情を抑えがちで、オープンな表現が得意ではありませんでしたし、「もっと表現を大きく!」と指導されても尻込みすることがあったように思います。その点、現在の若い団員たちはみんな思い切って表現できる。とてもいいことだと思っています。
7月9日のリハーサルより。左:マシモ・アクリ(マッジ役) ©Ballet Channel
- リハーサルでは、どのダンサーもそれぞれの役を個性的に演じていました。
- 諸角 フランクさんがダンサーたちによく「同じリアクションをとってはいけない。みんな一人ひとり違う人間でしょう?」と声を掛けるんです。彼らが人間的なキャラクター作りを意識して演じられるようになってきたのは、その指導があったからかもしれません。町の人たちだけでなく、コール・ド・バレエを踊る妖精たちの表情にも微笑みが浮かんでいたりして、出演者一人ひとりの個性が見える踊りが完成してきているのを感じますね。
公演情報
井上バレエ団 『ラ・シルフィード』『グラン・パ・マジャル』
【日時】
2024年7月20日(土)18:00開演(17:15開場)
2024年7月21日(日)15:00開演(14:15開場)
【会場】文京シビックホール 大ホール(東京メトロ「後楽園」駅直結)
【演目】
◆『ラ・シルフィード』全2幕
振付:オーギュスト・ブルノンヴィル
再振付・指導:フランク・アンダーソン/エヴァ・クロボーグ
【キャスト】
シルフィード:阿部碧(7/20)、根岸莉那(7/21)
ジェイムス:浅田良和(7/20)、荒井成也(7/21)
マッジ:マシモ・アクリ
グエン:檜山和久(7/20)、川合十夢(7/21)
エフィ―:野澤夏奈(7/20)、西沢真衣(7/21)
ファーストシルフ:松井菫(7/20)、樽屋萌(7/21)
◆『グラン・パ・マジャル』
振付:石井竜一
【キャスト】
プリンシパル:根岸莉那/田辺淳(7/20)、阿部碧/檜山和久(7/21)
ソリスト:中堀菜穂子/藤井ゆりえ/川合十夢(7/20)、松井菫/樽屋萌/加藤大和(7/21)
【上演時間】約2時間15分
【お問い合わせ】(公財)井上バレエ団 03-3416-3656
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