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【インタビュー】アレクサンドル・リアブコ〜勅使川原三郎「羅生門」が描くもの。それはこの時代を生きる私たちの人生の一部です。

阿部さや子 Sayako ABE

勅使川原三郎版『羅生門』のリハーサル風景。写真左から:佐東利穂子、アレクサンドル・リアブコ photo by Akihito Abe

ドストエフスキー、ランボー、萩原朔太郎、中原中也、宮沢賢治など、近年さまざまな作家の作品を題材としたダンス作品を創作している勅使川原三郎が、この夏、初めて「芥川龍之介」に挑む。作品は、かの有名な短編『羅生門』。「そういえば高校の国語の教科書で勉強した!」と、懐かしい記憶がよみがえる人も多いのではないだろうか?

【小説『羅生門』あらすじ】
ある日の夕暮れ時、ひとりの下人が荒れ果てた羅生門の下で雨が止むのを待っている。京都は天災や飢饉続きですっかり衰微し、朱雀大路にある羅生門は引き取り手のない死体が次々と運ばれてきては捨てられる場所となっていた。この下人もまた主人に暇を出され、行くあてを失っている。

門の楼上にのぼった下人は、女の死体から髪の毛を抜く老婆の姿を見つける。彼は憎悪を抱き、老婆を捕らえる。しかし老婆の「悪事かもしれないが、そうしなくては餓死するのだから仕方がないではないか」という言葉を聞き、下人もまた「自分もそうしなければ餓死する体なのだ」と言って老婆の衣服を剥ぎ取り、夜の闇の中へと逃げ去っていった。

この小説『羅生門』の中に、「今ですら、あるいは今こそ、生き生きとしたものを感じる」と、勅使川原三郎は語る。

「下人がいて、老婆がいて、死体がある。つまり、生きている人間、死にそうな人間、死んでしまった人間がいて、もっと言えば、生と死の狭間にあるような状況がそこにはある。『羅生門』には、困難、混乱、動揺、恐怖の中で、人を貶めてでも何とか生きながらえようとする人間の本質が描かれています。これはまったく非日常的であると同時に、まさに今私たちが暮らしている時代の難しさそのものではないでしょうか。

こうした困難や危機の中でしか見えてこない大事なこと、その狭い狭い狭間にこそ映し出される現実というものがあります。それを今回はダンスのテーマにしたいと考えました。そこに障壁や危機があるのなら、それを何かの影に隠れて覗き見するのではなく、一歩前に出て、接近して、その本質そのものに向かっていく。そういう態度を取るのが表現者であり、私にとってはダンスすることであります」(2021年7月15日、愛知県芸術劇場での記者会見より)。

『羅生門』記者会見で作品やダンサーについて語る勅使川原三郎 ©️Naoshi Hatori

【勅使川原三郎版『羅生門』あらすじ】
雷鳴がとどろき、激しい雨が降りしきる。捨てられた死体が重なる、禍々しい空気に満ちた羅生門。そこに、一人の下人が駆け込んでくる。下人の目が捉えたのは、横たわる女の死体から、髪の毛を一本、また一本と抜いている老婆の姿だ。抜いた髪の毛でかつらを作り、売るという老婆。その忌まわしい行為に強く嫌悪した下人は、老婆を殺し、着物を奪い逃げる。その悪事のすべてを見ていたのは、鬼だ。鬼は下人を逃さなかった。聞こえてくるのは、断末魔の恐怖の叫びか、恍惚の吐息か。羅生門の闇が、動き出し──、夜明けの冷たい光に溶けてゆく──。

この勅使川原三郎版『羅生門』は、2021年8月6日(金)に東京芸術劇場で幕を開け(〜7日(土)・8日(日)の全3公演)、11日(水)には愛知県芸術劇場で上演される。

出演者は勅使川原自身と、勅使川原のアーティスティック・コラボレーターである佐東利穂子、そしてハンブルク・バレエのプリンシパル、アレクサンドル・リアブコをゲストに迎えることも大きな話題となっている。

記者会見に臨むアレクサンドル・リアブコ(左) ©️Naoshi Hatori

開幕を間近に控えた7月末、リハーサルも佳境を迎えたリアブコに単独インタビューを行った。

【Special Interview】
アレクサンドル・リアブコ(ハンブルク・バレエ プリンシパル)

アレクサンドル・リアブコ(『羅生門』リハーサルより)photo by Akihito Abe

ハンブルク・バレエ芸術監督のジョン・ノイマイヤーはじめ、世界中の巨匠振付家たちの作品を踊っているリアブコさんですが、勅使川原三郎作品に挑むのは今回が初めてだそうですね?
リアブコ ええ、まったくの初めてです。勅使川原さんのパリ・オペラ座でのご活躍などについてはもちろん耳にしていましたが、お仕事をご一緒したことはもちろん、生で舞台を拝見したこともなかったので、今回オファーをいただいた時には本当に驚きましたし、興奮しました。
実際にリハーサルが始まってみていかがですか?
リアブコ いつも一緒に仕事をしているジョン・ノイマイヤーとは作品を作っていくプロセスがまったく異なっていて、僕にとっては初めての経験の連続です。通常のクリエイションでは、まず振付の手本を見せてもらい、動きを覚え、身体のラインがどう見えるか等といったように「形」を作るところから始まります。ところが勅使川原さんは、すぐに振付を作ろうとはしなかった。動きの始まりは何か? 動きとはどこから来るのか? 筋肉の収縮から来るのか? 感情や思考から来るのか? 心の中の動きから来るのか? 音楽の影響から来るのか? あるいはその動きが始まる時、それはどのような動きになるのか? 柔らかい動きになるのか、それとも素早い動きになるのか?……そういったことをつねに問われ続けました。つまり、身体の外側をまず意識するのではなく、あくまでも身体の内側から外側へと意識を向けていく、ということ。そして皮膚を感じて、皮膚の内側から外側へとコミュニケーションを取るという、これまでのどの作品とも違う新鮮な体験をしています。僕はこのようなクリエイションのプロセスに、大きな魅力を感じています。
新たな作品や役を踊るダンサーに取材すると、みなさんよく「まずは振付を覚えて、それが完全に身体に入ってはじめて、感情など内面的な表現ができるようになる」とおっしゃいますが、それとはベクトルがまるで逆ということですね。
リアブコ とにかく動き続けながら、心のスイッチを切り、「一歩足を出してみよう」などと意図的に動くことは決してしないようにする。ただ音楽に耳を傾け、その音に影響を受けて、心臓の鼓動のような内なる感覚を生み出すのです。

また、勅使川原さんの動きをよく観察することからも、大きな学びを得ています。彼は長く踊り続けることで、あれだけの信じられないような身体性、身体言語、ボディコントロールを身につけたのでしょう。とても独特ではありますが、その様子を観察していると、彼の言う「動きは身体の内側から生まれ、皮膚を通り、外の世界へと向かう」ということの意味が、真に理解できる気がします。

左から:勅使川原、リアブコ、佐東 photo by Akihito Abe

先日行われた記者会見のなかで、勅使川原さんが「サーシャ(アレクサンドルの愛称)は私の言葉を正確に理解している」とおっしゃったのが印象に残っています。正直に言いますと、私は日本人であり日本語が母国語であるにも関わらず、勅使川原さんの語る言葉の真の意味を、正確につかめているのかどうか自信がありません。
リアブコ 勅使川原さんは優しいので、会見ではそのように言ってくださったのではないでしょうか(笑)。もちろん僕自身は、勅使川原さんの言葉をとても注意深く聞くようにしています。彼が言葉にして伝えてくれるイメージはとてもシンプルで、耳を傾けていると、そのイメージが自分の中に鮮明に浮かび上がるんですよ。ただ、そのようにして浮かんだイメージを、頭の中だけでなく全身にまで満たしていくのは、とても難しいのですが。

あなたと同じように、僕も勅使川原さんのおっしゃる言葉や振付について、完全に理解できてはいないと感じることがあります。しかし僕は、「理解しよう」とするよりも、「そのアイディアやイメージが何を生み出すのか」にしっかりと耳を傾け、目でも観察するようにしています。そして舞台に立った時には、僕たちが表現しようとしていることの本質に、観客のみなさんが近づけるよう演じられたらと思っています。

勅使川原さんと一緒にスタジオで稽古できるようになって(7月末現在で)2週間。その前の隔離期間はZoomでリハーサルを始めていたと聞きました。限られた時間のなかでのクリエイションかとは思いますが、現時点での手ごたえは?
リアブコ 何しろ未知の世界ですから、「恐さ」のようなものは感じています。今日どれほど充実した気持ちでリハーサルを終えても、明日はまったく違うかもしれない。いまの僕は新たに生まれた細胞の集合体、あるいは生まれたばかりの子どものようなものであり、これからどのように育つのか、そして最終的にどのように花開き実を結ぶのか、誰にも予測ができないのです。しかし、この恐怖こそが新たな創造の一部です。新しい扉を開く時にはつねに直面しなくてはいけないものであり、最もエキサイティングな部分でもあります。
今回のご出演にあたり、リアブコさんは事前に芥川龍之介の短編『羅生門』を読んだそうですね。
リアブコ このプロジェクトのオファーを受けた時、僕は『羅生門』という小説についても芥川龍之介という作家についても、あまり知識がありませんでした。そこでさっそく本を手に入れ、『羅生門』はもちろん他の作品もいろいろと読んでみましたし、芥川自身について書かれた本にも目を通しました。『羅生門』のストーリーはとても面白くて僕は力強さを感じたのですが、さらに興味を引かれたのは、この作品が芥川の創作活動のごく初期に書かれたものであるということ、彼はドストエフスキーやトルストイといったロシア文学にも心酔していたということです。じつは僕も最近トルストイをよく読んでいるので、芥川が少し身近に感じられたというか、彼のことをもっと知りたいと思うようになりました。
勅使川原版『羅生門』は、芥川の『羅生門』の物語や世界観をかなり忠実に描いていると感じますか? それともかなり違う印象ですか?
リアブコ 勅使川原さんは「物語をストレートに語る必要はない」とおっしゃっていて、それも彼のアプローチの仕方の非常に興味深い点のひとつだと思います。登場人物としては下人・老婆・鬼の3人がいることはわかっているのですが、実際にその3人が舞台に現れるかどうかはまだわかりません。あるいは一人のキャラクターが途中で別のキャラクターに変身することがあるかもしれませんが、その変身とは、老婆がどのようにして老婆になったのか、下人の人生に何が起こったのか等を物語るのかもしれません。勅使川原版『羅生門』は、たとえば全幕バレエのように、最初から最後まで自分がひとつのキャラクターを演じるわけではないし、単に羅生門にやってきた下人と老婆の物語をストレートに描くわけでもありません。これは平安時代という古き日本のお話でありながら、今日(こんにち)でも起こり得る日常のストーリーでもある。絶望、喪失、未来への不安……それは2021年の現在であろうと、100年前であろうと、500年前であろうと変わらない、私たちの人生の一部です。勅使川原さんはとても立体的かつ多層的に、この物語を描き出そうとしているように思います。
ちなみに、リアブコさんは芥川以外にも日本の小説や文学作品を読みますか?
リアブコ 村上春樹を読みます。初めて読んだのはもう20年も前、キエフから出てきたばかりの頃でした。すでに当時、彼の初期の作品がロシア語に翻訳されていたんです。その数年後に村上はとても有名になり、どんどん人気が高まっていきました。僕も何作品も読みました。彼の言語表現はとてもユニークです。あと、つい最近は宮沢賢治の『風の又三郎』を読みました。というのも、この7月に勅使川原さんが東海地方の若いダンサーたちと新作『風の又三郎』を上演しましたよね。それを観る前に、原作を読んでおこうと思いまして。とても美しい作品でした。
共演の佐東利穂子さんについても、印象を聞かせてください。
リアブコ 素晴らしいダンサーであり、アーティストです。もう長い間ずっと勅使川原さんの傍で踊り、クリエイションを共にしてきた人ですから、リハーサルではたくさんの刺激をいただいています。彼女の動きの質、動きから動きへと移行する瞬間、身体のフォームが変化していくさまはとても女性的で、僕はとても魅力を感じています。おもしろいのは、同じ衝動から動きを起こそうとしても、あるいは同じように動こうとしても、彼女と僕とでは絶対に違う動きになるんです。それでいて、初めて一緒にリハーサルをした時から、利穂子さんとは何とも言えず心地よいハーモニーを感じました。リハーサル初日を見た人から、「ふたりはまるで何週間も、何ヵ月も、いや何年も前から一緒に踊っていたみたいだね!」と言われたくらいです。本当に最初から、お互いがどうしようとしているかについて理解できましたし、調和することができました。

佐東利穂子と photo by Akihito Abe

もう一人、今回の作品には笙奏者の宮田まゆみさんが音楽として参加されると聞いています(編集部注:東京公演ではライブ出演、愛知公演では宮田さんの演奏の録音を使用)。笙は雅楽などで用いられる日本の伝統的な楽器ですが、リアブコさんはあの響きをどのように感じますか?
リアブコ 「今回の公演では『笙』という楽器が使われます」と聞いた時は、まず「ショウって何だろう?」と思いました。何しろ、それまで見たことも聞いたこともありませんでしたからね。どうやらパイプのような楽器らしいと知り、音色を想像してみたりしていたのですが、ある日のリハーサルに宮田さんが参加してくださったんです。初めて聴いたその音色は……とても澄んでいて、流れるようで、どこから聞こえてくるのかわからないような感じがしました。楽器の中から聞こえてくるのか? それとも演奏している人の身体の中から? あるいはこのスタジオ以外のところから……? とにかく、その音色はどこからともなく突然聞こえてきて、あっという間にスタジオじゅうを満たしてしまった。それが僕の第一印象でした。
最後にもうひとつ質問させてください。先の記者会見で、リアブコさんは「このコロナ禍という難しい状況にあるからこそ、挑戦をしなくてはいけないと思った。新たな一歩を踏み出し、難しい課題を乗り越えていくことが人生だと思っています」という旨のことをおっしゃっていました。その言葉の意味を、もう少し聞かせていただけますか?
リアブコ 2つの意味があります。まずは一ダンサーとして、それが必要だからです。人間というのは、ともすればすぐに現状に満足してしまいます。「いまの自分で充分」、そう思いがちだと思うんです。しかし「いま」に満足した瞬間から、僕たちダンサーは多くのものを失い始めます。身体的にも、精神的にも。バレエダンサーになって学んだのは、毎日バーを握り、クラスをして、トレーニングし続けなければ、あっという間に身体を壊してしまうということです。そして昨日よりも今日、今日よりも明日……と、毎日少しでも多く練習しよう、もっと学ぼうとし続けなければ、あっという間に身体は動きを忘れ、頭は知性を忘れていくのです。

もうひとつは、いまは数えきれないほどの人々が病に冒され、世界中で悲劇が起こっている時代ですが、それでも私たちは前進しなくてはいけない、ということです。前進するとはつまり、自分たちが抱えている問題や、目の前に与えられた課題に向き合うということ。問題や課題を一つずつ乗り越えていくことで、私たちは発展し続け、成長し続けることができると信じています。今回の『羅生門』は、この試練の時代に新たな作品を生み出すという意味でも、舞台芸術にとって大きな挑戦になると思います。この舞台が成功して、新たな観客が少しでも増え、また次のプロジェクトにつながることを、僕も心から願っています。

photo by Akihito Abe

公演情報

【東京公演】
◎日程:2021年08月06日 (金) ~08月08日 (日)
◎会場:東京芸術劇場プレイハウス
◎詳細・問合せ:有限会社カラス
TEL:03-5858-8189
WEB:勅使川原三郎ホームページ

【愛知公演】
◎日程: 2021年8月11日(水)
◎会場:愛知県芸術劇場 大ホール
◎詳細・問合せ:愛知県芸術劇場

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