Watch Ur Mouth by Botis Seva ©Rahi Rezvani
オランダのハーグを拠点とする世界有数のコンテンポラリーダンス・カンパニー、ネザーランド・ダンス・シアター(NDT) 。多様なジャンルのアーティストや振付家とのコラボレーションを通じて、ダンス表現の可能性を切り拓き、世界の舞台芸術の最前線を牽引し続けている。
NDTは、23 ~40 歳前後の経験豊富なダンサーたちから成るNDT 1 と、18 ~23 歳の若き精鋭ダンサーたちが所属するNDT 2 の、2つのカンパニーで構成されている。2019年、2024年にはNDT 1が来日。そして今回はNDT 2 が、約20年ぶりとなる日本公演を行う。
2025年11月21日の開幕を前に、本公演の統括プロデューサーを務める唐津絵理 氏(愛知県芸術劇場 芸術監督/DaBY アーティスティックディレクター)にインタビュー。国内外を飛び回り、ダンスの“いま”を見つめ続ける唐津氏に、世界のダンスシーンの潮流やNDT 招聘にかける思いなどを聞いた。
唐津絵理氏 ©︎Takayuki Abe
いま、世界では何が起こっているのか
唐津さんは世界の各地に足を運び、様々なダンスの現場を観て回っています。いきなり大きな質問で恐縮ですが、いま、世界のダンスの最前線ではどんなことが起こっていますか?
最も顕著に感じるのは、アーティストたちが様々な国際問題や社会課題に対して非常に強い危機感を持っている、ということです。例えば地域紛争や移民問題など、日本ではまだ切迫感の乏しいことも、彼らにとってはとても身近でアクチュアルな問題なんですね。さらに、環境問題や格差・分断といった現代社会の構造的課題に加え、植民地主義の歴史がもたらした不均衡やアイデンティティの揺らぎなど、ポストコロニアルの問題にも強い関心が向けられています。このように、社会の現実と向き合う切実さがそのまま作品のテーマになっていることが多く見受けられます。
軽々に扱うと空疎な作品になってしまいそうというか……アーティスト自身の思想や知性が問われそうなテーマですね。
日頃から社会に対して高い関心をもち、深くリサーチして洞察している作家ほど、そういったテーマを扱う傾向にあると思います。ダンスの場合、さらに身体的に感じ取られる危機感のようなものが加えられ、いま自分たちが肌や身体で感じているものを、舞台の上でどう表現するのか——自分たちのやり方で社会を解釈しようという切実さを、世界中のアーティストから強く感じます。
そうした傾向はいつ頃から目立つようになってきましたか?
大きな契機になったのは、やはり2020年に始まったコロナ禍でしょうね。身体的な接触が禁じられ、移動の制限がある中で、ダンスアーティストたちの身体のアイデンティティが揺さぶられたことも大きかったと思います。
ただしダンスでは、社会的なテーマを扱うことがあっても、それを直接的なメッセージとして提示することは少ないかと。むしろ、日常的に感じている社会的な関心や違和感から生まれた問いを、身体によって考察していく姿勢が根底にあります。言葉で主張するよりも、身体を通して世界を観察し、解釈し、再構築していく。身体は価値観の揺らぎや曖昧さ、矛盾といった複数の感情を同時に抱え込める。
だからこそ、そこから何を観て、何を考えるのかは、受け取る側の観客に委ねられています。その意味で、コンテンポラリーダンス作品を観るというのは、やはり容易ではありません。観客自身にも能動的な知性が求められるーそれは、スリリングな体験なのだと思います。
FOLKÅ by Marcos Morau ©Rahi Rezvani
ちなみに唐津さんが最近観たなかで、とくに衝撃を受けた作品や振付家は?
自分が面白いと思ったものはすでに招聘したり、来年以降に招聘しようと計画していたりするので、いまここでお答えするのはネタバレみたいになってしまいますね……。来年度以降、愛知県芸術劇場が招聘する公演に、ぜひ注目していただければと思います。
なるほど、それはいま聞くわけにはいきませんね(笑)。では聞き方を変えて、唐津さんが最近面白いと感じるのは、どんなダンスですか?
身体を通して「人間の存在」を捉えようとしているダンスです。社会的な問題でも、個人の記憶や感情でも、そこに現れる身体が「生きていること」のリアリティをどう表すか。
従来のダンスにおける身体は、「個性」よりも「調和」、つまり揃えることが重視されたり、記号的に扱われたりすることが多かったと思うんですよ。ダンサーは痩せていなくてはいけないとか、クラシックバレエの技術レベルがここまで到達していなくてはいけないとか、そういった条件的なことも含めて。しかし見た目をどれだけ揃えようとしても、個々のダンサーが持っている身体の記憶や歴史性——民族的なルーツ、国籍、ジェンダーなど——は、変えることができません。ですから、調和よりも、個の歴史性を感じさせてくれる振付家や舞台に惹かれます。
唐津さんがいま、そうしたテーマを面白いと感じるのはなぜなのでしょうか?
テクニックを突き詰め、“余分な動き”を徹底的に削ぎ落として、ダンスそのものを究極まで純化していくと、身体はどんどんオブジェ化して、最終的には「モノ」のようになってしまうでしょう。それでも残るものは何なのか。私は「個の実存」みたいなものだと思います。記憶や経験、その人自身の歴史を纏った存在感。それがあるから私たちは生の身体を観たいと求め続けるのだと思いますし、そうした存在に対するリスペクトが感じられる作品に魅力を感じます。
FIT by Alexander Ekman ©Rahi Rezvani
日本のダンスはどうなのか
ちなみに、日本はどうでしょうか。日本の振付家も、海外のアーティストたちと同じような危機感や問題意識を抱き、作品を作っていますか?
日本の場合は、具体的な国際問題や社会課題をテーマに作品を作る人はとても少ないと思います。
それはなぜでしょうか?
これは日本人の良さだと思うのですが、日本のアーティストたちは非常に鋭敏な身体と繊細な感覚を持っているので、言葉になる前のざわめきのようなものや不確かさみたいなものを身体でキャッチして、クリエイションの源にする人が多いように感じています。つまり、まずテーマがあってそれを問うために作品を作るというよりも、身体で世界を感じたり探ったりする中で出てきたものを作品にしていく、というように。だから明確なテーマのない作品が多い印象はありますけれど、その振付家やダンサーたちが「いま」に向き合って作っている以上、それはやはりこの社会への応答であると私は考えています。
言葉になる前のざわめきや不確かなものを身体でつかまえて表現する……それもまた、ダンスだからこそできることですね。
日本の振付家には、日本人ならではの強みもたくさんあります。なのに、その才能を育成する環境が圧倒的に欠如しています。例えば、日本にはNDTで振付をするような振付家、つまりバレエ団から委嘱されて作品を作るような振付家がほとんどいませんよね。これは、この国のダンスが抱える深刻な問題のひとつです。
確かに……。
例えばヨーロッパは公的資金が大きく、アメリカは富裕層による個人寄付が多い。日本はどちらもあるけれど、どちらも充分とは言えず、予算が非常に限られています。だから、実験的なことができないんですね。ほとんどのバレエ団は、新しい何かを作るよりも、古典作品を多く上演して集客することのほうに重きをおかざるを得ないのが現状です。もちろん古典の継承や更新も重要ですが、いま生きている振付家と一緒に作品を作っていくことは、クリエイティヴなダンサーを育てます。与えられた振付を踊るだけでなく、振付家と一緒に考え、振付家の意図を解釈して、自分からも動きやアイデアを提案する。そういう経験がダンサーたちには必要であり、そういう姿勢を持ったダンサーたちと作品を作る場が、現代の振付家には必要なのです。でも、日本はその機会があまりにも少ない。
日本で活動する振付家やダンサーからも、そうした状況を嘆く声を聞くことがあります。
NDTが優れているところのひとつは、振付に挑戦したいという人にチャンスがあることです。例えば今回上演する『FIT』を振付けたアレクサンダー・エクマンは、NDT 2のダンサーとして踊っていた頃に「自分はダンサーよりも振付家のほうが向いているのではないか?」と思ったと。それで22歳の時にカンパニーで振付ける機会を与えられ、すぐに才能を認められて、NDT 2の振付を任せられるようになりました。つまり、振付の才能が芽吹くかもしれない人が現れた時に、素晴らしいダンサーたちがそこにいて、サポートしてくれるスタッフたちもいて、彼らと一緒に作品を作れる環境が、NDTにはあるわけです。しかも、NDTは国立ではなく、私設のカンパニーなんですよ。もちろん国や市からかなりの額の助成金が投じられてはいますけれど、チケット収入も充分に多い。つねに実験的な冒険をしながらも、毎公演ソールドアウトです。
FOLKÅ by Marcos Morau ©Rahi Rezvani
若き精鋭たちが、ダンスの「いま」を踊る
NDTの話が出たところで、今回の来日公演についてのお話を。NDTは23~40歳前後の経験豊富なダンサーたちで構成されるNDT 1と、18~23歳の若手気鋭ダンサーたちが所属するNDT 2から成っていますが、今回NDT 2を招聘することにした理由とは?
ここ10年ほどずっとNDT 1と2の両方を観続けているのですが、「NDT 2のほうが面白いかもしれない」と感じることも少なくなくて。いちばん大きいのは、NDT1の前に、新しい振付家が最初に挑戦するのはNDT 2だということです。新たな才能にいち早く出会えるカンパニーであり、上演する作品も先鋭的なものが多いので、面白いんですよ。
また、NDT 2は10代後半〜20代始めの若いダンサーたち、それも世界中から何百人も受けに来て採用されるのは若干名という厳しいオーディションで選び抜かれた、16人の精鋭たちのカンパニーです。だから、全員がものすごく踊れるんですよ。エネルギッシュで、スピーディで、テクニックも抜群。しかも各ダンサーがNDT 2に在籍するのは3年程度なので、「いまこのメンバーのNDT 2を観られるのは、ほんのひとときだけ」という輝きもあります。そんな若くて勢いのあるダンサーたちが、最先端の実験的な作品を踊る。そこには、NDT 1の安定した素晴らしさに勝るとも劣らぬ魅力があります。ですから2019年、2024年とNDT 1を招聘すると同時に、「次は絶対にNDT 2を呼びたい」と思っていましたし、「NDT 2を呼ぶならどんな作品がいいだろう?」と考え続けていました。
観客の側も、大人世代はもちろん、NDT 2のメンバーと同世代やさらに下の世代の人が観ても、すごく楽しめそうです。
まさに、若い観客のみなさんにぜひ観ていただきたいからNDT 2を招聘した、という面もあるんですよ。とくに海外で踊ることを目指している10代のみなさんには、自分たちと同世代のダンサーたちが世界でどんな活動をしているのか、とても参考になるのではないでしょうか。若いうちはテクニックの練習やコンクールで結果を出すことなどに集中しがちですけれど、ダンスを志すのであれば、優れた作品やダンサーを生の舞台で観ることも同じくらい大事にしてほしいなと思います。
上演するのはマルコス・モラウ振付『Folkå』、ボティス・セヴァ振付『Watch Ur Mouth』、アレクサンダー・エクマン振付『FIT』の3作品ですね。
できるだけ多様な作品で、かつ日本ではまだ本格的に紹介されたことがない振付家のものをご覧いただきたくて、エミリー芸術監督と相談してこの3つを選びました。
マルコス・モラウは2025年9月からNDTのアソシエイト・コレオグラファーを務めている振付家です。彼がユニークなのは、本人はダンサーではない、というところです。振付とはダンサー活動の延長ではなく、舞台を総合的にどう演出して世界観を立ち上げていくかを考えるものだと捉えている。それはとても本質を突いていると思うんですよ。良いダンサーが必ずしも良い振付家ではないように、踊ることと作品を作ることは、本来まったく別のことですから。
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ボティス・セヴァは、ストリートダンス出身の新進振付家です。最近はストリートの世界からシアターに入ってくるアーティストも徐々に増えつつありますけれど、バレエの身体を持つダンサーにここまで本格的に振付けているケースは、まだあまりないと思います。セヴァの作品は、ヒップホップの世界観やボキャブラリー、現代社会におけるストリートの文化的背景を感じさせてくれます。『Watch Ur Mouth』はそれこそ、声になる前の声みたいなもの、言葉になる前の身体感覚みたいなものを、舞台上でそのまま体現しているような作品です。
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そしてアレクサンダー・エクマンはNDT 2のダンサーだった頃に振付を始め、いまや世界中で活動する著名振付家になりました。エクマンの面白さは、まずとてもユーモアがあってチャーミングなところ。そして明確な物語はなくとも演劇的で、観客をきちんと意識した作品作りをするところです。クリエイションをする中で、振付家がどんどん作品の中に入り込み、閉じこもってしまうのはよくあることですが、エクマンは作品を観客とのコミュニケーションとしてとても大切にしています。今回の『FIT』もそういう作品です。
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先ほど、「いま、世界のダンスの最前線で何が起こっているのか」を聞きました。今回の3演目も、そうした「世界のダンスの“いま”」を映している作品でしょうか?
まさに、そういう作品です。どの振付家もストレートな表現で語っているわけではありませんが、作品からはやはり社会に対する彼らのメッセージが感じられます。例えばエクマンの『FIT』。「フィット」というタイトルにも表れているように、現代社会において自分の居場所を探している人間の感覚、そのしんどさみたいなものが、ちょっと笑ってしまうようなエンターテインメント性をまといながらもちゃんと伝わってくるんですよ。
世界には優れたダンスカンパニーや振付家が数多存在します。それらの中でも、唐津さんがNDTを招聘したいと思う理由とは?
おっしゃる通り、世界にはNDTのように興行的に成功していなくとも面白いカンパニーはいろいろありますし、私自身もNDTだけが好きなわけでは決してありません。また、非常にマニアックだけれども個人的には大好きな振付家もたくさんいます。ただ、限られた機会、限られた予算の中で、日本のお客様に「いま世界で起こっていること」を観ていただくには何を招聘するのがベストなのか——プロデューサーとしてそう考えた時に、私はやはり、NDTが最良の選択のひとつだと思っています。時代の先端を拓く振付家の作品を、最高レベルのテクニックと表現力を備えたダンサーたちによるパフォーマンスで観ることができる。そこにはたとえコンテンポラリーダンスになじみのない人や子どもたちが観たとしても、理屈抜きで感動するものがあるはずです。
NDTは今や世界中からオファーが絶えず、招聘したくてもできないケースが多いと聞きます。日本はNDT自身が「ぜひ公演をしたい」と望んでくれるからこそ、こうして日本公演が実現できています。公演の前後にはトークショーなども企画していますので、ぜひ劇場で「世界でいま何が起こっているのか」を体感してみてください。
Watch Ur Mouth by Botis Seva ©Rahi Rezvani
公演情報
ネザーランド・ダンス・シアター(NDT 2)来日公演2025
【神奈川公演】
2025年
11月21日(金)19時開演
11月22日(土)14時開演
※上演時間:約130分
KAAT 神奈川芸術劇場 〈ホール〉
【愛知公演】
11月24日(月・休)16時開演
※上演時間:約130分
愛知県芸術劇場 大ホール
【上演作品】
『Folkå』 by Marcos Morau マルコス・モラウ
『Watch Ur Mouth』 by Botis Seva ボティス・セヴァ
『FIT』 by Alexander Ekman アレクサンダー・エクマン
【プレ/ポストパフォーマンストーク】
11月21日(金)神奈川公演
●プレトーク
18:40〜18:55
〈登壇者〉
エミリー・モルナー(NDT芸術監督)
唐津絵理(愛知県芸術劇場芸術監督/DaBYアーティスティックディレクター)
11月22日(土)神奈川公演
●プレトーク
13:40〜13:55
〈登壇者〉
エミリー・モルナー
唐津絵理
●ポストパフォーマンストーク
16:10〜16:40頃(公演終演後)
〈登壇者〉
エミリー・モルナー
NDT 2ダンサー
唐津絵理
11月24日(月・休)愛知公演
●プレトーク
15:40〜15:55
〈登壇者〉
エミリー・モルナー
唐津絵理
●ポストパフォーマンストーク
18:10〜18:40頃(公演終演後)
エミリー・モルナー
NDT 2ダンサー
唐津絵理
【詳細・問合せ】
公演特設WEBサイト