ミニマル音楽の巨匠フィリップ・グラスと鬼才演出家ロバート・ウィルソンによるオペラ『浜辺のアインシュタイン』が1976年に初演された時、それまでの一般的なオペラの概念は衝撃と共に一新されたという。台詞はあるが物語はない。歌詞は“数字”と“ドレミ”のみ。打ち寄せる波のように折り重なっていく音楽とダンスーー視覚と聴覚が幻惑されるかのようなノンストップ4時間の体験に、欧米各地の観客は熱狂した。以来、同作は現代オペラの金字塔として、広く世に知られることとなった。
この伝説のオペラが、日本で新制作上演される。公演は2022年10月8日(土)・9日(日)の2日間、神奈川県民ホールにて。演出・振付はダンスカンパニー〈OrganWorks〉を主宰する振付家・ダンサーの平原慎太郎、指揮はキハラ良尚。俳優の松雪泰子と田中要次が台詞を担当し、バレリーナの中村祥子が作品世界を牽引する存在として出演するほか、さまざまなバックグラウンドをもつダンサーたちが多数出演する。また、原版は上述の通りノンストップで4時間の大作であるところ、今回は「一部の繰り返しを省略したオリジナル・バージョン」になるという。
開幕を約3週間後に控えた9月16日、ダンスリハーサルが一部公開され、平原慎太郎の囲み取材が行われた。
オペラ『浜辺のアインシュタイン』日本オリジナル版の演出・振付を手がける、振付家・ダンサーの平原慎太郎 ©︎Hajime Kato
- 記者1 (もともとの作品は休憩なしのノンストップで約4時間ですが)今回の上演では幕間休憩を入れますか?
- 平原 入れます。
- 記者2 今日見学させていただいたダンスリハーサルは、具体的にどのシーンなのでしょうか?
- 平原 冒頭のプロローグからAct 1、そしてAct 2の途中まで。そのあとが幕間休憩になります。
- 記者2 一部だけを観た感想ではありますが、バレエ・ダンスファンが観ればこれはダンス公演だと感じるかもしれない、とも思いました。でも、これはあくまでもオペラということですね?
- 平原 そうですね。どこまでをどう定義するかということではありますが、今日はまだ美術も衣裳も入っておらず、音楽も録音音源で行ったので、余計にそう感じられたかもしれません。本番ではもちろん美術、楽器の生演奏、合唱、台詞などさまざまな要素が入ってきますので、そうなるとやはりオペラと呼ぶべきものになると思います。
©︎Hajime Kato
- 記者2 だとすると、今回はあくまでもオペラということで、平原さんがふだんダンス公演を作る時とは、演出や振付において意識することが違ったりするのでしょうか?
- 平原 ありますね。コンテンポラリー・ダンスとして物事を作る時には、まずコンセプトやテーマというものを第一に考えなくてはいけません。新しいものへの追求とか、探求心といったものを、いつも念頭に置かなきゃいけないと思っています。でもオペラの場合には、その必要はありません。オペラというのは、あくまで音楽を主軸に置いたマルチメディアのことだと思うので。まずはその音楽を聞き込むこと。それがコンセプトになります。そしてそこにどういう要素を加えていくか、どういうふうにフィットさせていくか。そういうことだと思います。ダンスとオペラでは、考え方のプロセスが違いますね。
- 記者2 フィリップ・グラスの楽曲はコンテンポラリー・ダンス作品等でもしばしば用いられることがありますが、グラスのようなミニマル音楽(*)に振付けることの魅力や面白さとは?
- 平原 例えば山の中に行って、木々がざわざわしている音。あの音って、聞き逃そうと思えばぜんぜん聞き逃せてしまいますよね、自然環境の音だから。でも何かの拍子で、その音が人の喋り声に聞こえてきたり、動物が走っている音に聞こえてきたりと、ふと音が粒立って聞こえてくることがある。そしていつの間にかまた環境音となって通り過ぎていったり、自分の思考が音をかき消してしまったりする。そういう、感じ方の揺らぎみたいなものが、ミニマル・ミュージックにはあるのかなと思っていて。具体的にダンスのことで言うと、しっかり音ハメして振付けている部分もあるし、わざと音を外している部分もあるし、あえていちばん聞こえづらいオルガンの旋律で音を取る部分を作ったりもして、(同じ音型の繰り返しのなかで)捉える音を変えていく、みたいな作業が面白いなと思っています。めちゃくちゃ難しいですけど。
ミニマル音楽とは、音素材をミニマル(最小、極小という意味)に切り詰めて、同じ音型を延々と繰り返したり、少ない音を長く引き伸ばしたりする音楽のこと。走り続ける列車のような、あるいは寄せては返す波のような音楽に身を浸していると、自分の意識がどこかに吸い込まれていくような不思議な感覚になる(本ページTOPのトレイラーでその音楽を少し聴くことができます)
- 記者3 この作品には「汽車」「裁判」等のシーンがあると聞いていますが、今日のリハーサルのシーン名を教えていただけますか?
- 平原 今日お見せしたシーンがまさにAct 1の「Train」(列車)と「Trial」(裁判)、そしてAct 2の「Dance 1」「Night Train」という場面です。原作のオペラを見ると、最初の「Train」は遠くから列車を見ているような、駅みたいな感じなんですよ。そしてAct 2の「Night Train」は、最後尾の車両にちょっと外に出られるところがあって、そこに出てきた男女がお話をしているようなジェスチャーで歌うという場面。どちらもとても印象的なシーンなので、今回の演出でも、前半については原作のオマージュみたいな感じで作っています。
- 記者3 「Trial」のところも、台詞をよく聞くと審判的なことを言っているので、なるほどと思ったのですが、原作の雰囲気をどの程度生かそうと考えていますか?
- 平原 おっしゃる通り、雰囲気というのがやはりすごく重要で。とても独特な雰囲気なんですよ、原作が。なので、その雰囲気を時々召喚して、ダンスで空気をぐわっと上げて、また原作の雰囲気を持ってきて……というふうにしたいと思っています。やっぱり、フィリップ・グラスとロバート・ウィルソンの影が見えるような作品にしたいなと思っていて、とくに前半はそれを意識しています。
©︎Hajime Kato
- 記者3 小道具のビニールの使い方がとても印象的でした。いろんな解釈ができると思うのですが、どのようなイメージで使っているのか、差し支えない範囲で教えていただけますか?
- 平原 ぶっちゃけると2つありまして。ひとつは、ビニールの普通の使い方というのは「保存するもの」ですよね。そして今回も、音楽が「保存された状態」ですよね。要するに、生のライブのセッションではなくて、譜面にちゃんと起こしてある時点で、やはりそれはもう永久に保存されているものだということ。そしてもうひとつは、我々の世代で言うと、ゴミ袋が有料化になったっていうのが、ドンピシャじゃないですか。もっと言うと、最近では震災があって、土を詰め込んだビニール袋が山積みになった写真とかを見てきましたよね。福島や宮城のことがあって。そのイメージから、ビニールは「隠す」ということのメタファーでもあるのかなと思っています。なので、作中にクリーナーという存在が出てくるのですが、彼らがすべてビニールに包んで捨ててしまうとか、何か中身のわからないものを捨てていく様子とかを、もう少しはっきり描きたいなと考えていて。あのビニールは照明を当てると相当美しく見えるのですが、それでいいのか?という問題提起にもなれば。うまく使いたいなと思っています。
- 記者2 中村祥子さんは作中でどのような役割を担う存在になるのでしょうか?
- 平原 この作品は「感情」というものを排除した作りにしようかなと思っているんですね。これはポストモダンの考え方で、「感情」はいったん置いておいて、「素材」で作っていこうという流れがあって。なので、いまは(作品から)感情を排除していっているんですけど、中村祥子さんが、作中でいちばん感情的な役に見えてほしいなと。つまり役割としては、舞台の上に感情を持ってくる役、というふうに考えています。
©︎Hajime Kato
- 記者2 今回の演出・振付を務めるにあたって、平原さんが書かれたメッセージを読みました。「現代日本において今舞台芸術作品にできることはなんだろうと悶々と考えています。日本が今持ち得ているもの、失ってしまったもの。そしてこれから先に追い求めるものの三つを行ったり来たりしています」等々、平原さんは本当にたくさんの「問い」を立てながら作っているのだなと感じました。10月8日・9日の公演の幕が下りた時には、それらの問いに対するご自身なりの答えが見つかりそうな予感はありますか?
- 平原 どうですかね……。(作品作りを)長くやっていると見えてくる場合もありますし、作品は出来上がっても自分の考えは迷宮に入ることもあるので、どうなるかはわからないですね。いまはとにかく、自分が正しいと思ったイメージをダンサーたちと共有している。それが正直なところです。
平原慎太郎(ひらはら・しんたろう)1981年北海道生まれ。OrganWorks主宰。クラシックバレエ、HipHopのキャリアを経てコンテンポラリーダンスの専門家としてダンサー、振付家、ステージコンポーザー、ダンス講師として活動。また、ダンスカンパニー【OrganWorks】を主宰し創作活動を行う。振付家として白井晃、長塚圭史などの演劇作品、塩田千春ら現代美術家、上北健などのミュージシャンなど他分野のアーティストへの作品提供多数。2013年文化庁新進気鋭芸術家海外研修派遣にてスペインに9ヶ月研修。2015年小樽市文化奨励賞受賞、2016年トヨタコレオグラフィーアワードにて次代を担う振付家賞、オーディエンス賞をダブル受賞、2017年日本ダンスフォーラム、ダンスフォーラム賞受賞。DaBYレジデンスコレオグラファー。
2021年東京オリンピック2020の開閉会式の振付ディレクターを務める。
公演情報
『浜辺のアインシュタイン』
公演日時 |
2022年10月8日(土)/9日(日)
各日13:30開演(12:30開場)
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会場 |
神奈川県民ホール 大ホール
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概要 |
音楽:フィリップ・グラス
台詞:クリストファー・ノウレス、サミュエル・ジョンソン、ルシンダ・チャイルズ
翻訳:鴻巣友季子
演出・振付:平原慎太郎
指揮:キハラ良尚
出演:
松雪泰子
田中要次
中村祥子
辻 彩奈(ヴァイオリン) 他
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詳細 |
「浜辺のアインシュタイン」特設WEBサイト |