舞踊家・振付家で牧阿佐美バレヱ団主宰の牧阿佐美(まき・あさみ)先生が、2021年10月20日(水)午前11時35分、大腸癌のため、都内自宅で死去した。87歳だった。
葬儀は新型コロナウイルス感染の拡大防止を踏まえて団員と近親者のみで密葬の儀を執り行い、後日お別れの会を実施する予定とのこと。
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牧阿佐美(本名・福田阿佐美)先生は1934年8月18日、バレエ舞踊家の牧幹夫と橘秋子の長女として東京に生まれた。4歳で初舞台を踏み、橘秋子バレエ団と後に設立する牧阿佐美バレヱ団で多くの作品に主演。米国留学で世界的バレリーナ、アレクサンドラ・ダニロワに師事し、イゴール・シュベッツォフ、マリア・スワボーダー、ピエール・ウラジミーロフ、フェリナ・ドゥブロフスカら、ロシア帝室バレエの著名なダンサーに学んだ。
1956年、橘秋子とともに牧阿佐美バレヱ団を設立。1957年『コッペリア』の日本初演では日本人として初めて、外国人ダンサー(フレデリック・フランクリン)を相手役に全幕舞台に主演した。1968年には『ブガク』(黛敏郎:作曲)、『トリプティーク』(芥川也寸志:作曲)、『シルクロード』(團伊玖磨:作曲)を発表し、振付家としてもデビューした。
牧阿佐美バレヱ団はフレデリック・アシュトン振付『ラ・フィーユ・マル・ガルデ』(1991年)、ジョージ・バランシン振付『ルビー』(1996年)、ローラン・プティ振付『アルルの女』(1996年)、『ノートルダム・ド・パリ』(1998年)をはじめとする著名な作品を日本のバレエ団として初演。三枝成彰氏の作曲、島田雅彦氏の台本に振付け、高円宮憲仁親王殿下へのオマージュとして制作した『ア ビアント』など、オリジナル作品の創作にも力を入れた。また日本での『くるみ割り人形』の12月公演は、牧阿佐美バレヱ団で1963年から始まり、現在に至るまで続いている。
1979年に発足させた選抜クラス「AMステューデンツ(牧阿佐美 ジュニア バレエ トゥループ)」で全国から集まるジュニアを指導し、国内外のバレエ団で活躍するダンサーを数多く輩出。1996年には東洋人として初めて、英国ロイヤル・バレエ学校でアッパースクールの1年生と2年生のクラスを指導するゲスト教師を務めた。ローザンヌ、ニューヨークなどの国際バレエコンクールの審査員を歴任したほか、2008年5月には日本人として初めてブノワ賞(ロシア)の審査にあたった。
1999年7月から2010年8月までは新国立劇場舞踊芸術監督を務めた。新国立劇場バレエ団では2000年に『ラ・バヤデール』をプティパ版を基に自ら振付し、日本人として初めて新国立劇場で行った古典バレエの改訂振付として話題を呼んだ。2004年には『ライモンダ』全幕の改訂振付を行い、同バレエ団はこの年の朝日舞台芸術賞を受賞。2008年には『椿姫』を演出振付し、同賞を振付家として再び受賞した。2009年ロシア文化省、ボリショイ劇場からの招待を受け、『椿姫』をボリショイ劇場で上演。そのほか監修及び演出振付作品として、2006 年『白鳥の湖』、2009 年『くるみ割り人形』がある。
2001年4月、新国立劇場バレエ研修所所長に就任。バレエ研修所は、第1回(2006年1月)、第3回(2011年3月)国際バレエ学校フェスティバル(米国ケネディ・センター)をはじめ、2013年11月ボリショイバレエ学校240周年記念国際バレエ学校フェスティバル(国立クレムリン宮殿)、2018年6月ワガノワ記念ロシア・バレエ・アカデミー280周年記念ガラ・コンサート(ボリショイ劇場・国立クレムリン宮殿)に参加している。
その他、ニムラ舞踊賞、芸術選奨文部大臣賞、東京新聞舞踊芸術賞、舞踊批評家協会賞、朝日舞台芸術賞、紫綬褒章、フランス芸術文化勲章シュヴァリエ他、受賞多数。2008年、文化功労者に選ばれた。
牧阿佐美バレヱ団稽古場にて